第20話 生者の魂

 フクロウの冷酷な宣告は、温かい家族の再会を夢見ていたタケルの幼い心を、深い衝撃で打ち砕いた。生者の大きな犠牲なしには、父親も母親も、そして自分たちも元の世界に戻れない……そんな非情な選択を、一体どうすればいいというのか。タケルは、恐怖と混乱で言葉を失い、ただ固く拳を握りしめることしかできなかった。


 フクロウは、そんなタケルの不安げな様子を一瞥した。彼の金色の目には、深い悲しみと、固い決意の色が宿っている。


「それでもお前はここまでよくやった、タケル」


 フクロウの声は、いつもの冷たさの中に、かすかな労いの響きを含んでいた。


「お前の温かい思いと清らかな勇気は、確かに大きな力となった。それについては、賞賛に値する」


 そして、フクロウは中央にいるイトーヌの姿をした母親の方へと向き直った。最後に優しい眼差しを母親に向け、低い、しかし清らかな声で囁いた。


「どうか……お父様と、温かい幸せな時間を……」


 その短い言葉を最後に、フクロウの体は、眩いばかりの清らかな光を激しく放ち始めた。光はゆっくりとイトーヌの黒く歪んだオーラを包み込み、まるで溶かしていくようだ。黒いオーラが次第に輝きを失い、清らかな光に浄化されていく中で、イトーヌの小さな体から、母親の意識の気配がかすかに離れていくのが感じられた。

 清らかな光が頂点に達した瞬間、フクロウの姿は跡形もなく光の中に溶けていった。しかし、フクロウが消えたその場所に、温かい銀色の光が宿り始める。それはゆっくりと形を変え、中央で虹色の光を放つ父親の魂の結晶の隣に、もう一つ、穏やかな光を湛えた結晶として静かに現れたのだ。

 後に残ったのは、元の白い毛並みに戻った小さなグレートピレニーズのぬいぐるみ、イトーヌと、温かい光を静かに放つ二つの魂の結晶だった。

 タケルは、白い毛並みに戻ったイトーヌの元へ、心配そうに駆け寄った。


「イトーヌ! 大丈夫か!?」


 イトーヌは、やっとのことで重いまぶたを開けた。以前の清らかな目は、まだわずかに焦点が合わず、周りの見慣れない光景に小さな首を傾げている。しかし、黒いオーラの影響か、彼の清らかな白い耳の片方が、部分的に黒く染まったままだった。


 「ここは……どこんぬ……? タケル……?」


 混乱したような弱々しい声で、イトーヌはタケルに問いかけた。しかし、何かを急に思い出したのか、ハッとした表情で小さな前足を上げ、不安そうに周囲を見回し始めた。


「そうだ……お父さんはどうなったんぬ!?」


 タケルの頭上では、二つの温かい光の結晶が、まるで互いを求め合うかのように、静かに寄り添いながら宙に浮かんでいた。一つは虹色の光を湛え、もう一つは柔らかな銀色の輝きを放っている。

 その温かい虹色の結晶から、懐かしく温かい父親の声が聞こえてきた。


「タケル……よくやったな。本当に大変だっただろう。お前のおかげで、母さんの魂は、ようやく救われたんだ」


 ほとんど同時に、銀色の結晶からも、柔らかく、温かい女性の声が響いてきた。


「タケル……ごめんなさい……本当に、酷いことをしてしまった……でも……大きくなったあなたに、会えて……嬉しいわ……」


 温かい二つの魂の光は、静かに共鳴し、穏やかな温もりを空間全体に急速に広げていく。タケルの小さな胸にも、安堵と、かすかな希望の光が灯り始めた。

 温かい二つの魂の声を聞き、タケルの小さな心は喜びでいっぱいになった。

 冷たい絶望に打ちひしがれていたのが嘘のように、温もりが全身を包み込む。もう、この温かい家族とずっと一緒にいられるなら、元の世界に帰れなくてもいいのかもしれない……タケルは、わずかにそう思い始めていた。

 だが、父親の魂は、まるでタケルの小さな心の内を見透かしたかのように、静かに語り始めた。


「タケル……そろそろ、お前は帰らないといけない」


 タケルは、突然の言葉に、小さな目を丸くした。


「え……?」

「お前のおじいさんとおばあさんが、お前の帰りを、ずっと待っているんだ」


 父親の声は優しく、温かい。


「でも……! 僕は……父さんたちと、ずっと一緒にいたい! もう、一人ぼっちになるのは嫌だ!」


 タケルの目には、涙が滲み始めた。やっと家族と再会できたのに、またすぐに別れなければならないなんて、小さな心にはあまりにも残酷だった。わがままを言うように、タケルは純粋な気持ちを声にぶつけた。

 父親の魂は、そんなタケルを穏やかな温かい光で優しく包み込んだ。


「タケル……お前には、まだまだ長い人生が残されている。父さんと母さんの分まで、たくさんの経験をして、たくさんの人と出会い、そして、いつか愛する人を見つけて、お前自身の家族を持たないといけないんだ」


 父親の言葉は、タケルの心に、ゆっくりと、しかししっかりとしみわたっていく。温かい未来への励ましと期待。タケルは、わずかに理解する。自分には、まだ輝かしい未来が待っているのだと。


「父さんと母さんは、これからのタケルの未来を、一緒に歩むことはできないけれど……いつも、タケルのそばにいるよ。温かい風の中に、穏やかな陽の光の中に、そして、タケルの心の奥深くで……ずっと、見守っているから」


 父親の言葉は、タケルの心に深い悲しみと、わずかな安堵を残した。そばにいられない悲しさは消えないけれど、いつも見守ってくれているという約束は、不安な心をわずかに光で照らしてくれる。

 そばで静かに浮かぶ母親の魂も、慈愛に満ちた穏やかな微笑みを浮かべながら、ゆっくりとタケルに向かって静かに語りかける。


「愛しているわ……タケル」


 母親の清らかな言葉が、タケルの頬を温かい涙でゆっくりと濡らしていく。温もりと、もう二度と触れることのできない悲しさが、激しく押し寄せてくる。それでも、タケルは固く頷いた。


 しかし、わずかに希望の光を取り戻した意識の片隅に、フクロウの最後の冷たい言葉が蘇る。


『生者の魂がなければ、元の世界には戻れない』


 タケルは、不安そうに顔を上げ、父親の魂に問いかけた。


「でも……父さん……フクロウが言っていた……生きた者の魂がなければ、僕たちは元の世界に帰れないって……」


 父親の魂は、わずかに暗い影が色を濃くしたように見えた。そして、穏やかな視線を、悲しそうな目をしたまま静かに佇むイトーヌへとゆっくりと移した。


「イトーヌ……本当に、申し訳ないんだが……お前の魂を、タケルのために使わせてはもらえないだろうか……」


 タケルは、父親の予期せぬ言葉に、背筋を冷たい感覚がゆっくりと這い上がってくるのを感じた。父親の悲しい表情、そして、フクロウの最後の冷たい宣告……タケルの小さな心も、ようやくその無情な事実を理解し始めていた。この空間に、魂の結晶となった両親を除けば、生者は自分とイトーヌしかいないのだから……。

 しかし、頭の片隅では理解できても、感情的な心は、友達であるイトーヌを犠牲にするという無情な考えを激しく拒絶していた。


(イトーヌを……犠牲にする? そんなの、絶対に嫌だ……!)


 イトーヌは、タケルが小学一年生の頃から、ずっとそばにいてくれた、かけがえのない友達だ。嬉しい時も、悲しい時も、どんな時もイトーヌが傍にいてくれた。父親が亡くなってからも、イトーヌがそばにいてくれたから、どうにかこうにか深い孤独に耐えることができたのだ。この奇妙な異世界の冒険だって、イトーヌと一緒だったから、最後まで諦めずに頑張ることができたのだ。


 父親の予期せぬ言葉に、イトーヌも小さな瞳をかすかに丸くして驚いた様子を見せた。しかし、不安げに父親を見上げるタケルの打ちひしがれた表情を敏感に感じ取ったのだろう。小さな前脚を少し俯かせ、そっと父親の魂の結晶を見つめると、ゆっくりと、とても穏やかに頷き、弱々しいながらも優しい微笑みを返した。


「大好きなお父さんの頼みなら……大切なタケルのためなら……僕は、どんなことだって、やれるんぬ」


 その小さな声は、かすかに震えていたけれど、純粋で強く、深い愛情と決意に満ちていた。黒く染まった片方の耳が、かすかな悲しみを物語っているようだった。イトーヌの予期せぬ自己犠牲の申し出に、タケルの心は、冷たい恐怖と、激しい感謝の暖かさで、激しく締め付けられた。

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