第19話 家族の絆
「タケル……」
優しく、懐かしい、ずっと聞きたかった父親の声が、光の球体の中からかすかにタケルの意識に響いた瞬間、タケルの小さな胸は激しく温かい喜びで満たされた。母親の冷たい陰謀も、フクロウの裏切りも、仲間の苦しみも、すべて一瞬にして頭の中から消え去り、ただ、父親の声だけが、彼の意識の全てを占めていた。
「父さん……! 本当に、父さんの声だ……! 会いたかった……ずっと、会いたかったんだ!」
きつく締め付ける黒いオーラの中で、喜びと待ち望んだ再会への激しい思いが両目から溢れ出し、以前の不安や恐怖を忘れ、純粋な喜びで声を震わせた。今まで長い間、小さな胸の奥に押し込めてきた寂しさや、会えない悲しみ、そして、父親を恋焦がれる切実な思いが、少しずつ言葉となって溢れ出す。
「僕、頑張ったんだよ……父さんに会うために、四つも試練を乗り越えて……イトーヌも、ずっと一緒だった……スナも、ライも、シパラも……みんな、父さんに会えるって信じて、僕を支えてくれたんだ……!」
しかし、イトーヌの姿をした母親には、光の球体から聞こえる温かい父親の声は、全く聞こえていなかった。目の前で突然独り言のように話し始めたタケルの姿を見て、歪んだ赤い目に明らかな困惑の色が浮かぶ。
「何を奇妙なことを……気が狂ったか、タケル……?」
母親の冷たい声には、苛立ちと侮蔑の色が混じっている。タケルの喜びに満ちた表情が、その異常さを一層際立たせているように感じられたのだろう。
光の球体の中から、再び父親の声が、タケルの心に優しく語りかけてきた。
「タケル……長い間、よく頑張ったな。お前の思いは、ちゃんと、父さんに届いていたよ」
労いの言葉が、タケルの小さな胸に温かくしみわたる。しかし、父親の声は、喜びだけでは終わらなかった。
「だが、タケル……今は、母さんの悲しみを救うことが、何よりも大切だ。俺も、お前の思いに応え、力を貸そう。だが、最後に母さんの心を動かすことができるのは、お前自身の温かい心だけだ。頑張ってくれ、タケル……イトーヌと、そして……母さんのために」
父親の声は、労いの言葉と共に、これから訪れるであろう困難な試練を示唆していた。タケルは、父親の言葉をしっかりと胸に刻み込み、手の甲で涙を拭うと、固い決意の光をその目に宿した。
虹色の光の球体の中から響く父親の声は、突然、タケルの口を通して語り始めた。それは、長い間離ればなれになっていた愛する女性への、温かい思い出を語る告白のようだった。
「初めて君と出会ったのは、春の暖かい風が吹く大学のキャンパスだったね。君の純粋な笑顔に、俺は一瞬で心を奪われたんだ」
タケル自身の声であるはずなのに、その低いトーンには、確かに父親の柔和で包み込むような響きが色濃く宿っていた。イトーヌの姿の母親の意識は、歪んだ赤い目をかろうじて開き、不意に語り始めたタケルの声に、訝しげに耳を傾けていた。
「何を……? タケル、お前……」
母親の低い声は、警戒の色を帯びている。
「二人で過ごした時間は、すべてが輝いていた。夕暮れの赤く色付いた散歩道、熱く夢を語り合ったカフェ、共に乗り越えた困難な日々……俺たちの心は、いつも固く結ばれていた」
タケルを通して語る父親の言葉は、母親の意識の奥底に眠っていた温かい記憶を呼び覚ます力を持っていたようだ。歪んでしまった記憶の断片のさらに奥、ずっと隠れていた温かい日々の心地よい温もりが、かすかに母親の中に蘇り始めているのが感じられた。
「そんな昔のこと……お前が知るはず……まさか……ユウタさん……?」
母親の声は、微かに震え、驚愕の色を濃くしていく。
「タケルを身籠ったと知った時、君は大きな不安を抱えていたね。『私は、本当にこの子を育てられるだろうか』と、不安そうに呟いていたのを、今でも鮮明に覚えているよ。それでも、お腹の中の小さな命に触れながら、二人の愛の結晶が生まれてくる未来を、俺たちは心待ちにしていたんだ。『きっと、俺たちのように温かい心を持った子になるね』と。夜空の星の下で、二人でそっと囁き合ったね」
タケルの口で語られる父親の言葉は、母親の意識の最も繊細な感情の琴線に触れていく。母親が抱えていた不安、それでも輝かしい未来を夢見ていた純粋な気持ち……長い間忘れていた感情が、冷たい憎しみの奥底からかすかに顔を覗かせ始める。
「どうして……そんなことを……ユウタさん……なの……?」
母親の声は、明らかな混乱と、戸惑いの色を濃く帯び始めている。
そして、タケルの口を介した父親の告白は終わり、穏やかな空間を沈黙が包みこむ。その静寂を破ったのは、タケル自身の、震える声だった。
「母さん……僕は、父さんから、母さんの優しい話をたくさん聞いて育ちました。どんなに優しい笑顔で、僕が生まれてくるのを楽しみにしていてくれたか……どんなに温かい心を持った、素敵な人だったか……ずっと、想像してました」
タケルの小さな声は、純粋で、真っ直ぐだった。父親の言葉を受け継ぎ、母親の心に、純粋な温もりを届けようとしていた。
「私が……優しかった……そこにユウタさんも……いるのね……」
母親の声は、震え、忘れていた生前の記憶に浸るように、そっと呟く。
「母さんがいなくて、寂しかった。あったかい手でたくさん撫でてもらいたかった。優しい声で、名前を呼んでほしかった。もし、母さんがそばにいてくれたら、僕の毎日も、もっと楽しかったろうなって……何度も、考えてたんだ」
タケルの小さな一言一言が、母親の冷え切った心に、ゆっくりと、でも確かに、温かい光を灯していくように感じられた。
気づくと、タケルを締め付けていたあの黒いオーラは消え去っていた。そして、自分の冷たい行いに気づいた母親の意識は、深い混乱に陥っているように見えた。
母親の歪んだ赤い目には、もう以前のような憎悪の色はなかった。代わりにそこにあったのは、愛しい息子への想い、そしてタケルのそばにいてやれなかった深い後悔のようなものだ。長い間押し殺していた本当の感情に、今、母親は初めて気づいたようだった。
母親はタケルを憎んでいた訳ではなかった……ただ、愛する父親のそばにいられなかった後悔と、愛しいタケルへの愛情が引き裂かれてしまった悲しみが、母親の心をあんな風に歪ませてしまっていたんだと、その時、タケルには分かった気がした。
母親の目には、純粋な恐れと、自分自身を責めるような深い悲しみが、激しく色濃く宿っていた。
「私が……私は……なんて取り返しのつかないことを……! ユウタさん……タケル……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
イトーヌの小さな体からかろうじて絞り出される母親としての謝罪の言葉は、痛切で、聞いているタケルの心をも締め付ける。温かい父親の記憶に触れ、純粋な息子への愛情を思い出した今、彼女の意識は、自身の犯した罪の大きさに打ちのめされていた。
一方、フクロウは予想外の展開に金色の目を大きく見開いていた。タケルの口を通して父親の声を聞き、そして今、悲しみに満ちた母親の意識の言葉を聞く中で、タケルの小さな体の中に、確かに父親の魂の存在を感じているようだった。
「もう……遅すぎるの……」
母親の声は、途切れ途切れだ。
「私の魂は、長い間、憎しみに囚われすぎてしまった……純粋なあなた達のそばに、もう二度と立つことはできない……」
その悲しい言葉を聞いたフクロウの金色の目に、深い決意の色が宿った。彼は、最後まで母親を大切に思い続けていたのだ。
「そんなことはありません!」
フクロウは、しっかりとした声で母親の意識に告げた。
「ワシが、あなたを清めます。ワシの魂を捧げることで、あなたを現世に縛り付ける楔から解き放ち、光の中へと導きましょう」
母親の意識は、突然のフクロウの言葉に、目をわずかに見開いた。
「フクロウ……あなた……?」
フクロウは、母親の意識に温かい目を向け、短く頷いた。そして、最後にタケルの方へと向き直ると、厳しい表情で、低い声で告げた。
「タケル……よく聞け。お父様とお母親は、生者の犠牲なしには、再び体を持って復活することはできない。そして、この異世界からお前が現実世界に戻るためにも、強大な魂の力が必要となる。生者の魂の犠牲なしには、元の世界への道は決して開かれないのだ」
フクロウの突然の宣告は、温かい家族の再会を願い、母親の悲しみの純粋な救済を願っていたタケルの心に、新たな衝撃を与えるのだった。
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