第24話 都会の片隅で

 自分の部屋に戻って、パッと服を脱いで、風呂場でシャワーを浴びる。

 体の上で弾ける熱い湯が、今日一日の疲れを溶かしていってくれるようだ。


 ずっと準備をしてきた案件の目途がついた。

 慣れない土地である大阪に引っ越しをして、新しい職場の中に身を置いて、落ち着かない毎日だった。

 大型連休も目前、これでやっと、少しはほっとできそうだ。


 風呂上りにパンツ一枚の姿でうろうろと歩くのは気持ちがいい。

 今夜は遠野さんが手料理を届けてくれるというイベントも、この後に控えている。

 心を躍らせながら、冷蔵庫の中から缶ビールを取りだした。


 粗末なスウェットを着込んで、ベッドの上で睡魔と仲良くしながら、ゆっくりと時を過ごす。

 すると、来客を告げるインターホンが鳴った。


 来たかな、お待ちかね。


 いそいそと玄関に向かってドアを開けると、そこにいたのはやっぱり遠野さんだ。

 まるで自分の部屋の中で過ごすような、カジュアルなトレーナーとスウェット姿だ。


「こんばんは。はい、晩ご飯。ゆっくり食べてね」


 手渡された紙袋の中には、食べ物が詰まった容器がいくつか入っていた。


「ありがとう。楽しみだよ」


「うん。じゃあね」


 たったそれだけの会話で、遠野さんは背中を向けた。

 

 俺はただそれを見送るだけ。

 いつもならもっと言葉が出て来るのだけれど、今はそれ以上続かない。

 この部屋に始めて、遠野さんが訪ねて来てくれた。

 そのことだけで、胸がドキドキしている。


 本当なら、「部屋で一緒に」とか、言えたらいいんだろうな。

 でも、それは無理だよ。

 俺たちはただ、同じ職場での同僚な訳だし、適当な距離感は大事だ。

 それに彼女の心の中には、大切な人が今もいるはずで、まだ立ち直ろうとしている最中だ。

 それの邪魔はしたくない。

 何より、そもそもそんなのが無くたって、俺にそんな度胸は無い訳で。


 遠野さんが持って来てくれた容器を開けると、作りたてなのか、ほわっと湯気が立ち昇った。

 ひと口大に切ってあるトンカツとエビフライ、それにタルタルソースが添えられている。

 他にはシャキシャキ感が目から伝わってくる新鮮なサラダと、炊き立ての白ご飯だ。

 レトルトの味噌汁までくっついた、細かい心配りだ。


 お湯を沸かしながら、おかずをお皿の上に並べて、お茶碗に白ご飯を乗っけた。


 そうだ、どうせなら……

 思い立って、普段は使わなくて仕舞ってある折り畳みテーブルと簡易椅子とを、ベランダに持ち出した。


 そこに料理とキンキンに冷えたビール缶とを運んで、おもむろに腰を下ろした。

 暗い空の上では月が輝いていて、仄かに夜風が香る。

 何だか都会の真ん中で、キャンプでもやっているような気分になる。


 せっかくの遠野さんの手料理を、このまま部屋の中で食べるのは、味気ないと思ったのだ。


 海老フライの上にタルタルソースをたっぷりと乗っけて口に運ぶと、さっくりとした歯触りが気持ち良くて、海老の甘みとタルタルの酸味が口いっぱいに広がっていく。

 トンカツは中がピンク色で、噛むと肉の甘い油がじゅわりとしみ出る。

 ぐっとビールを煽ると、さっと油を流し去ってくれて、また次が欲しくなる。


 思わず、スマホを手に取った。


『ありがとう。とってもうまいよ。今キャンプ中なんだ』


 そう送る相手は一人しかいないのだけど、すぐに返信が返ってきた。


『キャンプって、もしかしてベランダで?』


『うん。折角の料理だからと思って。本当にそんな気分になって楽しいよ』


『そう。じゃあ私も混ぜてもらおうかな』


 そう返ってきてすぐに、向かいの部屋の窓が開いて、少し前に会ったばかりの遠野さんが姿を見せた。

 こっちと同じように、テーブルや椅子を運んでいるようだ。

 そして、スマホの呼び出し音が鳴る。


「たしかにいいね、こういうのも」


「うん。ご飯がもっと美味しく感じるよ。遠野さんは料理が上手だね」


「急いで作ったからどうかなって思ったけど。お口に合ったのなら良かったわ」


 何もなくて狭いだけのベランダが、都会の真ん中のキャンプ場へと早変わりだ。

 一緒に過ごす相手は、20メートルの距離を隔てた場所で、缶をこちらに向かって掲げている。

 一日の終わりに過ごす時間としては、この上なく心地いい。

 本当ならもっと近くで話せたらいいのだろうけど。


「ねえ久我山さん、こうしているとさ、本当にキャンプにでも行きたくならない?」


「だね。きっといい気分だろうね」


「よかったら……探してみようか、場所?」


「え? あ、あの……」


 あれ? 成り行きでキャンプの話題になってしまったけれど、これってどういうことだ?

 多分、一緒にキャンプにって、ことかな……?


「あの、そうだね。どこかいい所があるといいね」


「うん。私、そういうの行ったことが無いから、面白そう」


「俺もだよ。でも、テントを張ったりなんかしたことないから、難しいかなあ」


「そうね。どこか簡単にできそうなとこ、探してみるね」


「あ、ああ……よろしく……」


 ……って、いいのかなこれ???

 頭の中に沢山疑問符が浮かんで飛び交うけれど、でも、ちょっとは期待する自分もいて。


 でもここは、任せてみようか。

 今はお酒やこの雰囲気のせいで、そんな気分になっているだけなのかもしれないし。


 静かに眠りに付こうとする大都会の空の下、二人だけの静かな夜は、しばらく続いていった。




 ◇◇◇


「久我山さん、ゴールデンウィークって、何してんですかあ?」


 今日も込み合った会社の食堂で、目の前に座る美田園さんは、クルクルとフォークを回して、パスタを巻き付けている。

 短めの青いスカート姿で脚を組むと、どうしたって目立って、男性社員の視線を引き寄せてしまう。


 俺はと言えば、今日も490円の日替わり定食だ。

 本日のメインは鯖の味噌煮、脂の乗った魚と白ご飯の相性は抜群だ。


「どうもしてないよ。ちょっと大阪の街を歩いて、土地勘を付けようかって思ってるくらいで」


「ふうん。つまりは、暇なんですね」


 何だよ、その断定的な言い方は。

 まあ、その通りだけどもさ。


「だな。のんびりと過ごすことにするよ」


「じゃあ久我山さん、後で携帯の連絡先を交換して下さい」


 ……へえ? 何か色んなことを、すっとばしていないか?


「別に断固拒否はしないけどさ、なんでだ?」


「面子が集ったらプレイできるけど、連絡先を知っている方が便利でしょう?」


 ああ……麻雀ゲームの話ね。

 確かに、アプリの中で個人同士のやり取りはできないから、そういうのがあった方が便利ではあるけれど。

 連休中にゲームに浸る気か、美田園さんは?


「それと、私も結構暇ですから。よかったらつき合ってあげてもいいですよ、街ブラ」


「そうか、成程暇で……は? な、何!?」


「だって、大阪の街を見て回りたいんでしょう? 私はずっとこっちにいるから、久我山さんよりは詳しいですから。報酬は別にいりませんので。でもたまには、こうして一緒に仕事をしている後輩のことを気遣ってくれても、バチは当たらないと思いますけど」


 えっと……どう答えたらいいんだ、これ?

 思わずご飯が喉に詰まってしまって、笑って誤魔化した俺だった。



----------------

(作者より御礼とご挨拶です)


本作をお読み頂き、心より御礼を申し上げます。

今年も終わりが近づいてまいりましたが、今まで沢山の応援を賜り、誠にありがとうございました。

どうぞ健やかな新年をお迎え下さいませ。

年が明けましても、引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。



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