第23話 どうにかこうにか
「うん、なんでしょうか?」
黒岩さんに言葉を向けられて、俺は一つだけ深呼吸をした。
「そちらのご事情はよく分かります。ですが、こちらの提案を飲んでいただくことは、そちらにとってもメリットがあるのではないかと思うのです」
黒岩さんは、にこりと笑う。
それは決して嫌みでもなく、他意もなく、こちらの言葉に興味を向けてくれたようだった。
「今回、弊社にお話をいただいたのは、今の調達先が地震で被災して、物が入らなくなってお困りだったからですよね? 今後もこのようなことが、いつ起こるのか分かりません。リスクヘッジのためにも、もっと取引先を広げておいた方が良いように思います」
「それは……そうだ。それもあって、新しい取引先を探しているんだ」
「であれば、そんな取引先とは、ずっと良好な関係を続けておいた方が安全です。そのためには、お互いにメリットがないと成立しません」
「それはそうですが……メリットというのは、値段のことですかな?」
「それは大事です。ですがもっと大事なのは、お互いがビジネスパートナーとして、これからもいい関係を続けていけることだと思うのです」
「と、言うと?」
黒岩さんは面白そうだ。
世界的な製造メーカーの責任者が、この程度のことを、分かっていないはずはない。
何だかこちらの出方を楽しんでいるかのようだ。
「小さな会社は、毎日ギリギリのマージンで経営をしていることが多いです。例え僅かな額でも、赤字は会社の命に直結します。だから今回は、ご提案した値段以下では、お受けできません。ですが、この先の取引がある程度見えれば、企業努力も可能になるかと思います」
「なるほど、ボリュームディスカウントというやつですかな?」
「はい。ある程度、将来の数が見えれば。ただ、最近では人件費や物価が上がっています。それに小規模な会社が多いので、大きな設備投資や人の雇用は難しいです。なので大きく値が下がるのは、難しいかと思いますが。それでも今回のようなことを考えれば、調達先が増えるメリットは、そちらにもあると思うのです」
「……う~ん……」
黒岩さんは、腕組みをして考え込む。
「それに、当社と繋がりがある会社は、どこも技術力が高いですし、他にも沢山あります。きっと御社にとっても、メリットは大きいと思います」
「……君達、どう思う?」
黒岩さんは、自分の横に座る部下の方に目を向けた。
「そうですね。一度この価格でお願いして、品質検査をしてみてはどうでしょうか。それでこちらの仕様通りの物であれば、これからお願いする先として、安心できますね」
「そうか、そうだな……」
どうやら、こちらが言いたいことは、伝わったようだ。
あとは、返事を待つだけだ。
それからしばらく、鴻池側のメンバーで、議論が続いた。
こちらは黙って、それを見守る。
そして、黒岩さんがウムと頷いて、
「分かりました。今回はご提案頂いた内容でお願いします。ですが継続取引となると、今のままではお願いすることは難しいです。一つお願いなのですが、発注数を10倍にした場合にどの程度応じてもらえるのか、検討してもらえますか?」
「10倍、ですか? ……はい、分かりました。持ち帰って、検討させて頂きます」
俺と遠野さんが頭を下げると、会議室の中に暖かな空気が広がった。
今回の注文だけであれだけ苦労したのだから、10倍の数なんて想像がつかない。
一旦持ち帰って、またみんなに相談してみるしかない。
打ち合わせを終えて建物の外に出ると、二人ともふっと体の力が抜けて、自然と表情が緩んだ。
「よかった。何とかうまくいったのかな」
「うん、上々だよ。これで協力してくれたみんなに、いい報告ができる。今から会社に帰って、連絡を入れようか」
「ええ、そうしましょう!」
無事に大役を果せて、遠野さんも嬉しそうだ。
実際、堂々と言いたいことは言えていたので、全く大したものだと思うよ。
それから急いで会社に戻って、上司に報告を入れた。
労いの言葉をもらってからすぐに、今回協力をしてくれる6つの会社に、遠野さんと手分けをして連絡を入れた。
一刻も早く、動いてもらうためだ。
こちらの希望通りの値段を維持できたためか、どこも快く引き受けてくれた。
これでこの件は、一先ずは大丈夫だろう。
「これであとは、待つだけですね。ありがとうございます、久我山さん。お蔭で何とかなりました」
「いえいえ、遠野さんが頑張ったからですよ。でもこれで安心して、連休に入れますね」
「ですね。ねえ、久我山さん、今日は少し早めに帰りませんか?」
「え? ああ、それはいいですけど、何かありますか?」
不思議に思って訊き返すと、遠野さんの唇がこっちの耳の近くに寄って来た。
「今日は久しぶりに、お料理を作ろうかと思って。このところ忙しくて、お弁当やお惣菜を買うことが多かったから」
「は、はあ、なるほど」
「……良かったら、久我山さんの分も作って、持って行くけど……」
……え?……??
それって、俺の分の夕飯も、作ってくれるってこと……?
いや、それ、俺にとっては嬉しいけど、心苦しくないか……?
いくらご近所さんとはいえさ……
「あの、嬉しいけど、そこまでしてもらうと悪いし……」
「お料理作るのって、一人分も二人分も、あまり変わらないの。いつも自分の分だけしか作っていないから、何だか味気なくて。今回のお礼もあるし、もし良かったら」
そうか、そう言ってくれるのなら、断わるのも悪いかな。
「えと……そっか。なら、お言葉に甘えようかな……」
「うん。じゃあ決まりね」
そうと決まれば、後は早く仕事を切り上げるだけだ。
帰りに一緒に買い物もしようということになったので、時間を合わせてオフィスを後にする。
「じゃあ美田園さん、先に帰らせてもらうよ」
目の前の席に声を向けると、美田園さんが眠そうな顔を上げた。
「お疲れ様です。もしかして、遠野さんとどこかへ行くんですかあ?」
「えっ!? な、なんで、そう思うのさ……?」
「だって今日、二人で商談をまとめたんでしょ? 遠野さんももう帰るみたいだし。一緒に打ち上げかなあって」
鋭いな、図星……ってことでもないよな?
晩御飯を作ってもらうことにはなっているけれど、別に二人で打ち上げをするのではない。
それに家が近くだから、帰る方向が一緒なだけな訳で。
うん、今日はそれだけなのだ。
「それは無いよ。ちょっと疲れたから、早めに帰ろうかなってさ」
「は~い。お疲れ様で~す」
美田園さんのジト目を振り切って、どうにかこの場を後にした。
遠野さんと帰る方向が同じとは言え、変な誤解は受けたくはない。
社屋からは別々に出発して、駅のプラットフォームで待ち合わせだ。
ごった返す人込みの中で、彼女を見つけた。
「遠野さん、お待たせ!」
「いえ、全然。じゃあ帰りましょうか」
並んでつり革に揺られて、最近慣れてきた帰り道、その途中にあるいつものスーパーに立ち寄った。
「何がいいかな、今晩」
「俺は何でもいいよ。遠野さんの作ってくれるものなら、何だって美味しそうだし」
「そんな、ハードルを上げないでよ。でも、ご期待に沿えるように、頑張ります」
買い物客で賑わう店内をぐるりと物色してから、豚肉と海老、それに野菜を買って帰ったのだった。
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