番外編:眠らない猫には、おしおきを



SS:レイムと結婚した後のノアの話。


視点:ノア




 ――当たり前のように子供が欲しいと言われて嬉しかった。


 でも、言われた当初ノアは、それをレイムの甘い睦言というか……ただの冗談だと思っていた。



 * * *


 ノアは、この先も常闇の森でレイムと静かに変わらない毎日を過ごすのだと思っていた。けれど、残念ながら、そうはならなかった。

 

 静かで穏やかだった二人の日常に突然変化が訪れる。

 

 トードア国の長い冬が終わる頃、少し面倒なことが起こった。


 レイムは強い力を持っているが『常闇』の名を継いでいない無名の魔法使いだ。

 だから周囲の人間からは、田舎の森に住む薬師で通っていた。

 ただ、それはレイムが師を亡くし、一人きりだからこそ許されていた自由。


 古くから続く魔法使いの家というのは、面倒なしがらみが沢山あるらしい。


 一人でいれば、弟子を取らない半人前の変わり者扱いをされる。

 かといって、弟子を取れば、横にも縦にも面倒な繋がりを求められる。


 レイム・アーベルトが、突然、魔法学校にも通っていないような獣人を弟子にした。

 あの偏屈で、冷淡で、血も涙もない魔法使いが、どんな弟子を取ったのだろう。

 次第に、魔法に関わる人間たちが、田舎の薬師を噂し、騒ぐようになった。


 風の噂を運んできた伝書鳩の手紙にも、騒ぎの状況が記されていた。


【アーベルトの新しい弟子は、恐ろしく、強い獣の血を引く獣人に違いない XXX・▲●XX】

【その獣人を早めに、こちらの手の内に入れた方が、将来的には魔法界のためになるのではないか、と XXX・XXX】


 噂には尾ひれどころか背びれもついて、今はレイムがドラゴンを飼い出したなんて話にまで発展していた。


 レイムの家には、伝書鳩と猫しかいないのに。


 そんな周りの状況が毎日、森の中の薬屋に届くので、ノアは落ち着かない日々を送っていた。そのせいで、ノアは新しく届く手紙の内容が気になり、朝早くに目が覚め寝不足続きだった。


 今日もノアは朝早くに外に出て、新しく伝書鳩が届けてくれた手紙を開いた。また前回の手紙と同じことが書かれていた。


「恐ろしく……つよい、獣、俺が……」


 ノアは思わずゴクリ、と喉を鳴らす。


「なるほどな、確かに、猫は恐ろしい生き物だ。魔法使いたちが恐れるのも無理はない」

「お、恐ろしくないよ! これ! 誰と勘違いしてるんだよ!」


 鳩小屋の前でしばらく固まっていたら、後ろからレイムに手紙を取り上げられた。手紙を読んだレイムは、なぜか楽しそうに笑っている。


「気にしなくていい、そのうち飽きて静かになる。今日、お前は二階で勉強をしなさい」


 そう言ってレイムは鳩小屋を離れ店の中に戻ってしまった。

 

 今まではレイムの元へやってきた、どんな弟子希望の魔法使いも、すぐに追い返されていた。それが獣人なんて変わり種を正式な弟子にしたせいで、痛くもない腹を探られる事態になっている。

 書かれている噂は全部間違っている。

 ――それでも。

 ノアがレイムの弟子になったせいで、魔法界のお偉方がレイムを危険視するようになってしまったのは事実だ。


(それに、このままじゃ……俺)


 レイムは王宮からの呼び出しも断り続け、年中森に引きこもっているような魔法使いだ。つまり騒がしい環境が大嫌い。

 今の煩わしい状況が続けば、結婚したのにノアは離婚されて追い出されてしまうかもしれない。


「レイムさん!」


 ノアはレイムの後を追い急いで店に戻った。レイムは周囲の騒ぎなど意に介さずに普段通り薬屋の仕事を続けていた。


「ん、どうした」

「俺、今から王都に行くからね! 夜までに帰るから!」


 レイムはノアの言葉に目を丸くして驚いた。ノアはレイムを横目にローブを羽織り街へ出かける準備を始める。


「何故? 何か急ぎで欲しいものでもあるのか?」

「だって、俺……行かなきゃ……このままだと、どうしよう」


 いてもたってもいられなかった。


「そう。分かった。少しおちつけ、ノア」


 そう言った次の瞬間。レイムはノアを猫の姿に変えてしまう。


「わっ、え、な、なんで!」


 小さくなったノアは脱げた服とローブの中に埋もれた。服が前足に絡んで身動きがとれない。布の中でもだもだしていたら、店のカウンターの中からレイムが出てきた。


「私は、お前に、勉強をしろと命じたはずだが? 遊びに行くのは、それからにしなさい」

「そう……じゃなくて、だって、俺行かなきゃ」


 しかし猫の姿にされてしまったので、この姿じゃ街まで辿り着けない。

 ぐるぐる纏まらない思考を巡らせていたら、頭の上から小さなため息が落ちてきた。


「分かった。ノア、少し構ってやろう」

「っ、みっ!」


 レイムは床に落ちたローブの中からノアを出し、首根っこを掴んだ。

 そして奥の暖炉の前にあるソファーへと連れて行く。

 ノアは猫の姿にされるとレイムに甘やかされて、寝てしまう。それはレイムだって獣人の本能だと分かってるはず。 

 勉強をしろと言ったのに、なぜ猫にしたのだろう。獣の姿になると勉強が出来ない。獣の前足じゃ本を開くのだってままならないからだ。


 ノアは膝の上からレイムの真意を探ろうとする。


「ねぇ、勉強は?」

「あとでいい。最近ちゃんと眠れていないのだろう? だから余計なことを考える」

「余計な、こと?」

「あんなに私と共にいたいと言ったのに、自分の足で出て行くのか? 薄情な猫だな」


 三角耳の近くを優しく甘やかすように撫でられると、もうたまらなかった。ごろごろと喉を鳴らしてしまう。


「……お、俺は……レイムさんと一緒にいたいよ」

「じゃあなぜ、出て行く」

「でもさ、だけど、このまま騒ぎが大きくなったら、俺、邪魔になる。そうしたら、レイムさんに追い出されるし、だから、なんとかしないと」


 そこまで言いかけるとレイムにほっぺたをつねられた。


「いたい、レイムさん」

「お前が望んで、私も望んだ。ノアの居場所はここだ、いい加減覚えろ。猫はそんなに物覚えが悪いのか」

「だって」

「あぁ、言葉で足りないのなら、たくさん子を作ってやろうか」

「へ?」


 それは唐突な提案だった。言われたのは二度目。初めて交わったときに、レイムはノアに似た愛らしい子が生まれるだろうな、と温かく優しい言葉をくれた。

 嬉しかった。でも、冗談だと思っていた。

 けれど頭が蕩けていない状態で言われて、レイムのそれが、本気だと気づいた。

 紫の瞳は冗談を言っていない。


「分かりやすいだろう、お前が私の愛情を理解するには」

「レイムさん……賑やかなの、嫌いなのに、子供欲しいの?」


 くすり、と優しく笑い、レイムはノアを膝の上で転がし柔らかいお腹の白い毛を撫でてくる。くすぐったくて、身を捩って笑ってしまう。

 言葉の通り、すごく構われていた。


「あぁ、けれど、そうしたら、ますます魔法界は私たちを脅威と感じるだろうな。猫一匹弟子にしただけで、これだから……」

「そ、それ! 誤解解かないと、俺たちは悪いことなんて考えてないって、王宮に行って」

「何故? あながち誤解とはいえないだろう。猫は、たくさん子供を産むから、その子たちが、もし魔法使いになったら? 悪戯して大変なことになる。戦争が起きるかもしれない」

「たくさん……戦争?」

「けれど私は、三匹でも五匹でもノアの子なら生まれて構わない」

「レイムさん?」


 レイムは悪戯っぽい笑みを浮かべた。普段は冷たい印象だけど、時々子供みたいな笑い方をする。その笑顔を見て急に安心していた。


「ノアの子を見れば、きっと、魔法界のお偉方も馬鹿馬鹿しいと気づくだろう。猫の軍団に滅ぼされる未来なんて、な」

「……れ、レイムさんも冗談言うんだね」

「噂話が馬鹿らしいことと気づけて良かったな。少し寝なさい。起きたら昼からは真面目に勉強するように」

「……わ、分かった」


 その夜、ノアはレイムに抱かれて、久しぶりに深い眠りに落ちた。

 レイムがおかしなことを言ったせいか、その日の夢は子猫の魔法使いが魔法界を騒がせる話だった。


 おわり


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