第21話 コウイチ⑤
佐藤がくれた2本目のビールのタブをプシュっとたてると、「ところで」と佐藤が口火を切った。
「ところで、光一青年には実はクイズを出していたんだった。正解を答えられたらビールを一本奢るっていう。今一本奢っちゃったんだけど、答え分かった?」
「このお店の店名の由来ですよね。や、さっぱり」
「ショートナイトって名前の由来ですか?」と椎野さんも加わった。
「ザ・ショートナイトね。そう、お姉さん分かる?」
「全然、分からないですね。単純にあっという間に一夜が過ぎちゃう楽しいお店だからショートなのかと思いましたけど。そういう事じゃないんですよね?」
「違うんだなぁ。これまた映画にまつわる言葉。ある映画監督にまつわるワードなんです」
佐藤は楽しそうにしている。そしてちょっとイタズラそうな顔をすると、「もともと光一青年のためのクイズだったけど、さっきの話を聞いて気が変わったかな。このクイズの答えはお姉さん。あなたのための答えかもしれない」と言った。お姉さんにもビールはあげちゃったから答えも大サービスで教えてあげちゃうね、と続けた。
「お姉さん、サスペンスの神様といえば?」
「ヒッチコック」
「そう、アルフレッド・ヒッチコック。ヒッチコックは生涯50本近くの作品を作ったんだけど。そもそも大ヒットメーカーでたくさんの商業的成功も納めていた。そして、彼はそれまで低俗だと言われていたサスペンスを一人で作り替えて、新たな手法を確立してサスペンスを新しい芸術ジャンルに仕立て上げた人でもある。人によってはピカソなんかと同等に語る人もいるんだ。つまりそれだけ映画史の中だと最重要中の最重要。トップアーティストといってもいい監督なんだ。」
なんとなくそれは光一も聞いたことがある気がした。空を舞うたくさんの鳥たち、世界一有名なシャワーシーン。思い出すだけでもすぐ脳裏に浮かぶ有名なシーンもある。
「そんな映画の歴史に名を残す監督なのだけど、実は晩年はあまり泣かず飛ばずでね。ファミリープロットという作品を発表したのを最後にその4年後に亡くなっているんだ」
そう言うと佐藤は自分の缶ビールをぐいっと飲んで、「だけど実は、その最後の作品にちょっとした逸話があるんだ」と言った。
「ヒッチコックは実はその後にもう一作、映画製作を行おうとしていたんだ。スパイサスペンスもので、原作も役者もスタジオもセットも脚本も全部用意して、よし取るぞってなったタイミングで全部やめてしまったんだ。妻で脚本家のアルマの健康状態が辞めた理由の一つだったらしい。世界的監督最後の作品が妻の病気のケアのために幻の作品になった。と考えたら素晴らしい『最後』だなと。結局ヒッコックは自分の健康問題もあって奥さんより早くに亡くなってしまうのだけどね」
その幻の作品が「ザ・ショートナイト」というタイトルの、この世には存在しない映画なんだ。と付け加えた。
「俺も前の仕事やめる時の理由が、父親が倒れたからってのもあってこの話にあやかったんだけど。俺が思うにクリエイティブな人間だろうとなかろうと、ここじゃなきゃだめって人はいないんだと思うんだ。ヒッチコックぐらいの人だって事情があったらほっぽり出して辞めちゃうんだ。別に「その場所以外」では生きられない人なんていない。そのタイミングで「いるべき」場所で自分が「やるべき事」、「やれる事」、「やってみたい事」をやるしかないのかなって。そう思ったんだ。俺はそう思ったら意外と後悔なく映画監督を辞められたんだ」
お姉さんも、今の職場が今いるべきか、他の場所にいるべきか、は日々考えればいいと思うよ。君が憧れた場所は、どんな偉大なクリエイターだって一瞬で辞めちゃうような場所なんだ。場所そのものにはそんなに価値はないんだよ、と続けた。
椎野さんは佐藤を見ると「ふふ」と嬉しそうにほっぺを膨らませた。
良い話聞いた。でもね、アロハのお兄さん。私もなんだかそんな気がちょうどしてきたんだ。と膨らませたほっぺのまま嬉しそうに続けた。
「明日からまた仕事が楽しくなる気がしてきた。ありがとうね」と椎野さんは言った。
そして、さっと残ったビールを煽るとコートを羽織り「夜ふかしは美容に悪いので私は帰ります。ビールご馳走様。素敵な夜でした」とカランとドアを鳴らしてあっという間に去っていった。
僕と佐藤はお互いを見合わせて笑った。「さて、イケてるお姉さんも帰ったので今日は閉店です。青年も帰った、帰った」と佐藤は冗談めかしながら閉店の準備をし始めた。このおもちゃもらっていいのかな、と床に置かれたアメリカ海兵のモデルガンを手に取って何やらぶつぶつ言っていた。
僕もお姉さんに習って、手元の缶ビールを一気に煽った。思いの外たくさん入っていたビールが一気に喉を駆け降りていく。小気味よい炭酸の喉越しに少し涙目になりながら飲み干した。なんだかとても気分がいい。僕は足元に置いたギターケースを握りしめると佐藤に最初のビールのお会計をして、お礼を言って外に出た。
気がつくと、もうすぐ日の出の時間になっていた。久々の完徹だ。ギターを自転車の籠に申し訳程度に引っかけるとゆっくりと自転車を押して歩いた。
今日は本当にいろんな事があった。不思議な店主の喫茶店に出会い、犬が倒れて、お爺さんと知り合いになった。と思ったら強盗に入られて、小学生の女の子と兄の元カノがやってきた。そして兄の苦悩や想いに触れた。僕だけじゃなく、等しくみんなもがいていた。
上手くいかないことの方が多いのが人生なのかもしれない。上手くいっていると勝手に僕が思っていた兄だってそんなに簡単に生きているわけじゃない。みんな等しく上手くいかなくてもがいている。でも、それでも別にそれは諦める事の理由にはならないんだ。
ポケットのスマホが震える。取り出すと随分と前の出来事の気がするが、ストリートライブを途中で抜けたメンバーの武史からだった。ラインにはたった二言が記されていた。
「結婚する。子供できた」
武史の彼女が絶対会いたいって言っていたのはこれだったのか、と僕は合点がいった。なんだよ。めでたいじゃねぇかよ。その後、ドラムの勇太につづいて武史もこれバンド無理じゃね、いよいよ解散かなって思った。
思ったが、まぁでもその時はその時だ。その時にやるべき事を、やりたいようにもがくだけだ。結局どうあれ変わらないだろう。元から何かがあるわけじゃないんだ。良くも悪くもならないものだ。武史に思いつく限りのおめでとうと、センスのいいお祝いのスタンプを送った所で、あたりの眩しさに気がついた。空を見上げる。
朝日だ。
新しい一日が始まる。見渡す限りの朝焼けの色に心が震える。とても、とても不思議で特別な夜だった。
どんなに不思議な夜を経ても、僕の日常に変化はない。代わり映えのしない、変化のない焼き増しのような毎日で、今日もきっと昨日のままだ。相変わらず道は開けてない。
人生なんてきっと一夜にして変わったりはしない。でもこのままでいい、と思える夜だった。きっとこのまま積み重ねていった先で何かがゆっくと変わったり、少しずつ世界が変化をしたりするのだろう。このままでいい、と思える日々の葛藤の先にきっと僕は自分の人生を誇れるのだと思うと、とても気が楽になった。
そして、この先もどこかでまたそんな夜があるといいな、とささやかに僕は思った。
SHORT NIGHTS 山下南蛮 @hanbun-yoru
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