第14話 コウイチ④
カラン。突然ドアベルを鳴らして入ってきた白髪の老人は肩で息をして立っていた。
彼は僕と佐藤を見て息を整えると「助けてください」と言った。よく見ると今にも泣きそうに目が潤んでいる。これは多只事ではない。まさに今、バーのマスターと映画の話をしている時に、映画みたいなセリフで映画みたいなタイミングで入ってきた。僕が立ち上がれずに驚いていると、佐藤が先に動いた。
「どうしました?」とカウンターから出てくる。
「突然済みません。犬が、犬が倒れてしまって。犬は亡き妻の犬で、私はあいつがいないとどうしていいか。済みません、突然。私一人じゃ抱えられないし、どうしていいいか」
狼狽する老人の肩をガシっとつかむと「分かった。すぐ行こう」と言ってドアを開けた。青年もだ、の声に我に帰ると僕も佐藤と一緒に向かった。
店をでて数軒横の民家の前の電柱に寄りかかるようにして大きな黒犬が座り込んでいた。佐藤は1ミリも躊躇なく犬の顔をそっとなでて、犬の口と胸に耳を近づけた。だいぶ高齢の犬かな?と佐藤が老人に聞く。
「あぁ、だいぶ歳を食っている。この犬種だと、人間の年齢だと90近いと言われた」
佐藤はそれを聞くと、その歳だとちょっと今日は寒すぎたかもな。でも心臓は大丈夫そうだから平気だよ。と老人に優しく告げた。そして、「青年、こっち持って」と僕に指示を出した。僕と佐藤で犬の肩とお尻を持つと一気に持ち上げた。
僕は大型犬を初めて持ち上げたが老犬とはいえ想像した3倍は重たかった。二人でなんとか店内に運び込むとガスストーブのそばにそっと寝かせた。佐藤は店に裏からガサゴソと古びた毛布を持ってきて犬に被せた。老人は心配そうに犬の頭を撫でている。毛布をかけられると気持ち尾が揺れた気がした。
「少し経ったらこれを飲ませるといい」と深皿に濁った白い液体を持ってきた。白湯だという。
爺さんはこれ飲んで落ち着きな。とマグカップを渡した。青年もご苦労さんと渡されたそれは焼酎のお湯割だった。
僕たち三人は机をどかして、犬を囲むように椅子を並べて、佐藤がいれたお湯割を啜った。
「すまなかった。大変助かりました。私、田中と申します。田中幸之助、と言います」
「佐藤だ。気にしないでくれ、爺さん。大事にならなくて良かった。今日はお客さんもすくなかったら爺さんとこの黒い犬も来くれて俺は嬉しいよ」
「あ、僕は村田光一って言います。犬、よかったですね。なんていう名前なんですか?」
「あぁ、本当にありがとう。こいつは次郎って言います。変な名前でしょう。1頭目だし別に太郎ってのがいた訳ではないんですが、妻がなんでつけたか分からんのですが」
田中さんは愛おしそうに犬の頭を撫でながら言った。
「体冷えたんで。これ、助かります」といって焼酎のお湯割を一口含んで佐藤への言葉を続けた。
「時に、佐藤さんは犬を飼われているのですか? やけに詳しいというか手慣れていらっしゃったので」
「あぁ、そういうのではないよ。見よう見まね。ちょっと前の仕事で犬を扱う事があって、それで色々教えてもらったんだ」
僕が「前の仕事」のところで不思議に思った反応が伝わったのだろう。
「最後に撮った映画がね、犬が出てくる映画だったんだ。ああいう映画ってのは結構ちゃんとした犬の専門家たちと組んでやるからさ」
なるほど、と僕は相槌を打った。聞かれてもないのに佐藤は少しバツが悪そうに「まぁその後その担当のトレーナーの子と付き合う事になってそれで色々学んだというか」と恥ずかしそうに付け加えた。
人との距離が近くてオープンな人だと思ったが、割と色恋には少し奥手な質というか純粋な人なのかもしれない。
「佐藤さん、映画のお仕事されていたんですか。すごいですね。私そういうご職業の方初めてお会いました」
「なんの。もうやめちゃったからさ。それよりこっちは現役のミュージシャンだぜ」
いきなりお鉢が回されて僕はとまどった。
「いえ、僕なんてアマチュアですから」と焦ってやけに言い訳めいた言葉を口走る。田中さんは僕にまで、すごいですね、なんてお世辞を言ってくれる。謙遜しながらも、心のどこかで後ろめたく感じていた思いが氷解しかけている事に気がつく。
ガスストーブで温められた部屋の中、眠る大きな黒い犬を囲み、映画みたいな夜に初めて会った歳も離れた三人でにこやかに語りながら、なんだか自分がやっている音楽はちっとも芽が出ないけどそれでもなんだか胸を張らないといけない気がほんの少し気がした。
僕はその芽吹きを逃しちゃいけない気がしたが、次の瞬間、そんな些細な想いは吹き飛んだ。
カララン。
強くドラベルがなって大きな音でドアが開けられたと思ったら、これでもかというくらい大きな声で「動くな」という怒号が鳴り響いた。
僕たち三人は驚いてドアを振り返る。映画みたいな夜には映画みたいな続きがあった。
その夜、売れないアマチュアミュージシャン、白髪の老人、眠る大きな黒い犬の後に店に入ってきたのは、嘘みたいな巨大なライフルを持った目を血走らせた若い半グレ風の男だった。
「動くな」と言われてもあまりにも唐突な展開すぎて動きようもない。代わりに思わず僕は「そんなバカな」と呟いた。
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