第11話 リョウコ③
家まで半分くらいの所まで来て、なんだか色々と思い出してまた辛くなってきて、お行儀が悪いけど何か飲みながら帰ってやろうと思いついた。
通りがかりのコンビニで買ったレモンサワーのタブを立てる。
シュ、と静まりかえった夜の住宅街に気持ちの良い音が響き渡る。一口含みながら先ほどよりもゆったりと歩幅をとって歩く、なんだか気持ちが少し落ちついてくる。
就活から卒業、希望していなかった業界への就職、そしてもうすぐ就職して1年が経とうとしている。この冬が終われば、大量の新入社員募集枠と会社の知名度によって、また私のように特にやりたかった訳でもないのに入社してくる子がいるのだろう。あんなに嫌だったに、今ではあの赤い看板の銀行を見かけると少し誇らしい。
一番嬉しそうにしていたのは父だった。夢の破れた私は父の喜ぶ姿を見てなんだか前向きになれたと思う。私の受かった銀行に入りたくても入れなかった子がきっとたくさんいると思うと恵まれた環境だったと、運が良かったと思って私は4月1日の入社日に臨んだ。
仕事はやっぱり今でも心の底から興味があるかと言われると疑問だけど、先輩バンカーたちと同じように朝刊の経済面で会話ができるようにもなった思う。
それでもやっぱり心のどこかで諦めたくなくて、慎吾には何度も転職についてアドバイスをねだった。それを慎吾があまり快く思ってない事ぐらいは分かっていた。私は彼の仕事の事を色々知りたかったが、彼はどんな会社に入っても結局仕事は仕事だと私に諭した。大変な事は大変だし、別に「業界」だからって華やかなもんじゃない。特に俺みたいな営業は他の業種と変わらなくて基本的には同じような事をしているんだよ。涼子がイメージするのはきっとクリエイターとかだよ。彼らのような生き方をするのと、結局会社に雇われるサラリーマンするのとは根本的に違うんだ。
慎吾は休みの日まで仕事の話はしたくないな、と冗談めかして笑っていた。私は学生の時はあんなに大人に見えた彼も、私が同じ社会人になってみるとまだまだ若いサラリーマンだったと気がついた。
支えて欲しいのは自分だけではなかったはずで、彼の心の休まる場所になれなかった自分がフラれてしまったのは理解できた。ただ、頭で分かっていても心で分かっていられるかは別の問題で、私は思い通りにならない自分の人生を変える手段として慎吾に役割を期待してしまった。
彼の会社で求人が出ていないか、知り合いのプロダクションに伝手がないか。彼は私の事を好いてくれていたとは思うけど、別に彼にとって自分の彼女が銀行で働いている事は悪い事ではなかったはずだ。広告の世界は忙しいし、いつか一緒になる事を考えると涼子には今の銀行で働いて欲しいな、と言われた事もあった。
私は将来を考えてくれている事を素直に喜んだけど、それと自分のキャリアは別のものだと思った。結局私は慎吾との未来も掴めぬまま、いまだに仕事の未來も見えていない。
気がつくとレモンサワーの残りが結構少なくなっていて一気に飲み干してやろうと勢いよく缶をあおった瞬間に、道端のマンションの入り口の暗がりに体育座りをしている女の子に気がついた。夜中にこのシチュエーション。心底びっくりして盛大にレモンサワーを咳き込んだ。
苦しそうに咳き込んだ私を見て女の子も目を見開いている。夜中に道端で苦しみ悶える女を見つける恐ろしさはイメージできる。涙目になりながら私は女の子に声をかけようとするものの声が出ない。
見かねた女の子が心配そうに「大丈夫ですか?」と小さく声をかけてくる。それは私のセリフだ。
「ごめんね、変なところに入っちゃった」飲み干した缶を見せながら私は続ける。
「こんな所でどうしたの?家に入れないの?」
見たところ小学生くらいの女の子だ。こんな時間に外で体育座りをしているのは普通じゃない。虐待で外に出されたのかと疑ってもおかしくない。女の子はブンブンと頭を振ると少し思案して「道、分かんなくなっちゃった」と心細そうに言った。
女の子は小学6年生で、塾の帰り道だと言う。いつもは母親が迎えに来ているのだが今日は自分で帰ろうと歩いていたがどちらから来たかも分からなくなってしまったらしい。自分で帰ろうとしたのは「色々あって」の事らしいが、このまま女の子を置き去りにもできず私たちは一緒に駅の方に戻る事にした。女の子の携帯の電源が入れば母親とも連絡が取れるだろうし、とにかく駅まで行けば塾の場所もわかるらしい。女の子の名前は心愛というらしい。心に愛と書いてココアと読むらしい。
私は女の子の緊張をほぐそうと、夜の暗闇を埋めようと、明るく会話を重ねる。
「可愛い名前だね。お姉さんは涼子って名前だよ」
「お母さんが、人を安心させられるように、ホッとする暖かいココアみたいにって」
「お姉さんは、涼しいっていう意味だから二人で冷たいのと暖かいので真逆だね」
心愛は次第に塾の話や好きなバスケの話もしてくれた。
私は中学受験で通っていた塾を思い出す。もう長いこと思い出す事もなかったけど、あの頃の塾は大変だったけど今となると良い思いだった気もする。
私は一人っ子だったけど、妹がいればこんな感じなのかな、と思う。ちょっと歳が離れすぎているけど。そういえば慎吾にも弟がいる、と言っていた事を思い出す。
私のほんの少し年下だと言っていた。慎吾はお酒を飲んでいるとたまに弟の話をしていた。女の私からみると男兄弟ってなんだか素敵で、私は慎吾が話す弟の話が好きだった。自慢の弟であいつは才能がある。俺がなれなかったクリエーターなんだ、と嬉しそうに話していた。
でも少し同時に悲しそうに、でも俺はきっとあいつには好かれてないんだ、と遠い目をした。
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