第10話 コウイチ③

 ザ・ショートナイトのドアをぐっと押した。

 カラン。ドアベルが鳴る。懐かしい気もするけどどこで聴いたのか思い出せない不思議な感覚になった。カラン。何かの映画のシーンだった気もする、いかにもな喫茶店な趣の音色だった。


「いらっしゃい」

 店の奥のカウンターに男性が立っていた。店の外観に似つかず思いの外若い。おそらく30代後半で、喫茶店というよりはライブハウスの店員のようだ。金髪に染めた髪を後ろに撫でつけて、冬なのに派手な柄シャツが大きく開襟している。少しアウトローな雰囲気だ。


 僕はこんばんわ、と小さく返事をするとギターケースを揺すって戸をくぐった。自分でもなんで入ってみようと思ったのかよく分からなかったが、何故だかそのまま帰りたくはなかった。ブラブラと自転車で乗り回して体が冷えたことも手伝ったが、無性に誰かと話したかったし、とにかくこのままの気分で寝て、明日の朝を迎えるのが嫌だった。なんだかこの先も自分の人生はこのままなのじゃないか、そう思うとどうにもならない恐ろしさを感じる。


 僕は店員から少し離れた手前のカウンターに座るとギターケースを床においた。

「まだ、やってます?」

 男はカウンターの前に移動してくると「うん」と言いながらおしぼりを僕の前においた。うち夜は喫茶じゃなくてバーとしてお酒やっているからさ、まだまだ大丈夫だよ。と言った。なんだか距離感の近い人だなと思いつつ、喫茶店のマスターと言うよりはバーのマスターだと思えば少し納得がいった。

 冬の夜風に冷えた体だったので暖かい飲み物を頼みたかったが、バーといわれ僕は少し考えてビールをお願いした。バーで頼むようなホットのお酒を僕は知らなかった。彼は店の奥の冷蔵庫から缶ビールを出して目の前でグラスに注ぐと「これ食べてよ」とナッツを盛った小皿と一緒に目の前においた。僕は軽く会釈して一口含んだ。店内は心地よいガスストーブの暖かな香りに包まれていて、意外とこの季節でもよく冷えたビールは似合った。さっきまでの冷え冷えとした冬の空気が嘘みたいだ。


「音楽やってるんだ?」マスターの男が話しかけてくる。

 僕はまた軽くうなずくと、まぁ、アマチュアですけど。と付け加えた。すると、アマチュアだろうが、プロだろうが音楽でしょう。と彼はニヤニヤとした。なんだが自分の弱気な所を見透かされたみたいでバツが悪く思い「喫茶店なのに夜はバーって珍しいっすね」と返した。

「うん。もともと親父がやってた時は単なる喫茶店だったんだけどね、せっかく継ぐから好きにやろうと思ってさ。夜暇だしお酒出そうかなって、この時間はこんな感じでバーもやってんだ」

 彼は店内を紹介するように手を広げる。見回しても誰もいなく、変な話あまり繁盛しているようには見えない。まぁ、辺鄙な所だから別に夜はあんまし人が来ないんだけどな。と自嘲気味に言うと店の奥から彼も缶ビールを持ってきて「乾杯」とグラスにあわせた。今夜の初来客記念、と言ってビールを飲む彼を見て、少し近い距離感の人だけどどこか憎めない気がした。


「青年はプロを目指してんの? 趣味でやってんの?」

 や、一応プロを目指してます。一応ってなんだよ、ちゃんと目指せよ。すみません、実は本気で目指してます。だよな、何か歌うまそうだしな。なんかそういうセンスみたいのって見た目で分かっちゃわない? ちょっと分かんないす。でも歌うのは本気で好きすね。今日外で歌ってたのかよ。ストリートライブってまだあんだ。古くね。いいじゃないすか、別に練習がわりなんですし。


 不思議と彼との会話に心が解きほぐれていった。ビールの酔いも手伝ったのかなんだか僕は自分が彼の言葉にあまり構えずに言葉のキャッチボールを楽しんでいるのを感じた。僕が名乗ると彼は「佐藤だよ」と名乗った。なんだか不思議な雰囲気の男だった。ふと、その雰囲気が自分の兄に似ていることに気がついた。コミュニケーション力が高くて人と仲良くなるのがうまい。そんな人間の雰囲気。しかも兄は要領もよく、勉強もでき、クラスや友人たちの中心にいつもいる、そういったタイプの人間だった。

 そして僕は彼とは全く異なるタイプの人間だった。僕はどちらかと言うと一つの事にのめり込むと正直他の事はどうでもよかった。そして僕にはそれが音楽だった。

 兄は勉強も出来、いい大学に高校の指定校推薦で入学して、それでとんとん拍子に今じゃ都内でエリートサラリーマン。引っ越して空になった兄の部屋のドアを見るたびに、地元に残って夢を追う自分の現実が倍の重さでのしかかる気がした。出来が違うと言えばそれまでだけど、僕は僕なりに自分の才能を知っているつもりだったのに。ただ、周りはそんな気もしれず兄を指しては優秀で両親も鼻が高いだろうと僕と暗に比較するように言うのが常だった。そんな事、わざわざ他の誰かに言われなくても自分が一番よく分かっていた。


 少しまた嫌な気分になりかけて、僕は佐藤に話をふった。

「お店の名前、なんか由来があるんすか?」

 彼は咥えたタバコに火をつけると目を細めて、ゆっくり息を吐き出した。

「俺、君が音楽やっているように、前は映画をやっていたんだ」思いがけず、口調は少し優しくその言葉を懐かしむようだった。

「映画」

「そう。映画を撮っていた。小さい箱だけど何本か劇場で流してもらえた事もある。まぁあんまり儲からない映画ばっかだったけどな。自主映画から毛が生えたような。」

 彼はタバコの灰をトンと灰皿に落とすと人懐っこい笑顔で「でも、創るのって楽しいじゃん。やめらんないよな」と続けた。

「ま、でも2年前に畳んでこの店継いだんだ。いろいろあってな」

僕はなんだか急に彼の身の上を聞いて良いのか分からなくなり、そうなんですか、と小さく呟いた。

「それで、折角なら店の名前を改めようと思った時にふと思いついたのがこの名前なんだ」

「ショートナイト」

「ザ・ショートナイトな」

「俺の好きな映画監督に因んだんだ。そうだ、この由来がわかったらビール奢ってやるよ。スマホで調べるなよ」と言っていたずらそうに笑った。


 カラン。

 突然ドアベルがなった。振り返ると白髪の老人が肩で息をして立っている。ちょっと一杯と思って立ち寄った表情ではないのはすぐに分かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る