エピソード10 —本の香り—

 彼女は料理を用意すると言い奥の部屋へ消え、レイヴァンは改めて部屋の中を見回した。


 天井まで届くほどの書棚が並び、古びた本の香りが微かに漂う。
壁にはランプが灯されており、暖かな光が本の背表紙を照らしている。


 (……書庫、か)


 異世界に来てから初めて落ち着いた場所に足を踏み入れた気がする。
ふと、手近な本を一冊取り、表紙をめくる。


 「……読める」


 不思議なことに、この世界の文字がすんなりと頭に入ってきた。
ページをめくりながら内容をざっと確認していると、少女が盆を持って戻ってきた。


 「お待たせ。簡単なものだけど……」


 盆の上には、香ばしい香りのするパンとスープが置かれていた。


 「ありがとう」

 レイヴァンは礼を言い、スープをひと口飲む。
 優しい味が口の中に広がり、自然と体の力が抜けた。


 「本、好きなの?」

向かいに座った少女が、レイヴァンが手にしている本に視線を向ける。


 「いや。ただ、なんとなく」


 適当に返事をしながら、本を閉じる。

少女は少しだけ寂しそうに目を伏せた。


 「……私は、好き」

そう言って、ゆっくりと本棚を見渡す。


 「本には、色んなことが書かれているから。現実にはないことも、あるかもしれないことも……。だから、読んでると、いつの間にか夢中になっちゃうの」


 彼女の声は穏やかだったが、どこか遠くを見ているようでもあった。


 レイヴァンはスープを飲みながら、静かに彼女の言葉を聞いていた。


 「この書庫……君の家なんだろ?」


 「うん。正確には、昔ここで暮らしていた人が残したものだけど」


 「その人はどこかに行ってしまったのか?」


 少女は少しだけ驚いたようにレイヴァンを見た。だが、すぐに微笑んで、静かに答える。


 「……うん」


(その人、今は何をしてるんだろう)

そう思ったが、聞くのはやめた。
どこか、触れてはいけない気がしたからだ。


 沈黙が流れる。


 レイヴァンはパンをちぎりながら、ぼんやりと思考を巡らせた。


 (こいつ……やっぱり俺のことを知ってるよな)少女の言葉の端々から、それが伝わってくる。
だが、彼女は決して「知っている」とは言わない。


 「君、名前は?」

 レイヴァンがそう尋ねると、彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。 


 「えっ……?」


 「いや、名乗られてないからな」 


 「……あ」

 彼女は少しだけ頬を赤らめ、ゆっくりと口を開いた。 


 「……カレン」


 それは、どこか聞き覚えのある響きだった。
けれど、思い出せない。


 (カレン……)


 心の奥に引っかかるものを感じながらも、レイヴァンはそれを振り払った。


 「……そうか」


 短くそう答え、最後のパンを口に運ぶ。

その時だった。


 ——ガタッ


 突如、外から物音がした。


 「……誰かいるのか?」


 レイヴァンが警戒を強めると、カレンもすぐに立ち上がる。

 

 扉の向こうから、ゆっくりとしたノックの音が響いた。


 ——コン、コン


 「カレン? いるんだろう?」

 男性の声だった。

 

 レイヴァンが唾を飲み込むと同時に

軋む(きしむ)音を鳴らしながら扉が開いた

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