第二十五話  初恋

 ヴィンセント=オリバーは知っている。


 自分の生まれた家がどれほど裕福で名誉ある一族なのか、その家に生まれた自分がどれほど幸運でどれほど誇り高きことなのか。彼がその事実に気づいたのは、物心ついて間もなくのことだった。



 彼が見る景色、他人の見る景色。

 彼が聴く音、他人が聴く音。

 彼が嗅ぐ匂い、他人が嗅ぐ匂い。

 味覚、触覚に至るまで全てが他人と異なる。


 そして自分のあたりまえが他人にとってはそうじゃないことも。



「おれは選ばれたんだ」



 父は正義という言葉を重んじていた。

 正義とは正しいから正義なのだと。


 悪を倒すものは正義であり、正義は悪に必ず勝つ。

 なぜならば正義は強く、正義は清く、正義は諦めないからだ。



「おまえらを俺の騎士団にいれてやろう」



「ありがとうございます」

「オリバー様っ、かんしゃいたします」

「ありがたや、ありがたや」



「うむっ」



 正義の騎士は、弱きを助け強きを挫く。

 強いものは改心させ、仲間にする。


 そうして仲間が増えて、騎士は騎士団となり。

 彼は騎士から騎士団長へと自らを立てる。




 そんな時に現れたのが、この少年。



「はっ、騎士?お前馬鹿なのか?」



 物持ちが悪そうな縫い目だらけの服に、薄い靴を履く。

 目つきが悪いし、なんか汚れてる気がするし、壺を持っている。


 だが正義の騎士はそんな貧乏人だろうと助ける。

 それが正義というもの、それが正しいということ。




「名前?お前に名乗るのすら面倒だわ」



「ふざけるな……こ、このびんぼー野郎が!」



「あっそ、せいぜい遊んでな」



「ッ!!」



 少年はオリバーに見向きもしなかった。

 冷たく空虚な目で軽くあしらうだけだった。




『あぁ……いたのかヴィンセント」




 父の視線と、少年の視線が重なる。



 あの目を他人から向けられる屈辱、その心的外傷は彼にしか分からない。まして正しく自分の感情や思いを自己認識出来ない年頃、理不尽めいた言動を取ることに抵抗などない。



 この日、彼はエニを”悪”の人間だと決めた。




「ただいまかえりました」




 彼の家はエニの家から遠く離れた場所に存在している。


 単純計算でエニの家に対して約20倍の敷地面積、王国直下の城下町にて栄える工房、技術屋によって建設された一軒家。エニの家が何百建っても到底叶わない金の山によって築かれた豪邸だ。



「おかえりなさい」



 母との会話は一日に三回。


 家族の愛情などというものを感じたことはない。欲しいものはいつの間にか置いてあるし、朝昼晩の豪勢な料理もある。ベッドシーツは毎日清潔なものが使われているし、服も望めば手に入る。


 与えるものは全て与えられた。

 だが、肝心なものが欠けていた。

 


「おいしいです、母上」



「……」



 母が料理をしているところを見たことはない。


 だが母が作ってくれていると思っている彼は今日も母に礼を述べる。勿論、料理人によって作られた食事ではあるが、ヴィンセントは家にいる時間の方が短いので知ることもなかった。



「父上……母上」



 彼の父は家に帰ることの方が少ない。


 3日に1回、5日に1回と日が経つにつれ間隔が伸びた、ヴィンセントが覚えている限りでは最後に父を見たのは56日前。その空虚を埋めようと母に縋ったところで応えようとする気力もない。

 父が帰ってくる度に匂いが違うことも、母が外出する度に髪留めを無くしていたのも知っている。父と母の関係を邪推するまでもなく、子供ながらに感じ取っていた。



「父上……母上……ううぅっ」



 今日も彼は枕を濡らす。

 その涙は翌日には残らない。


 誰も彼の苦悩に気付けない。






「ふんふふーん」



 今日はどうしてもと外せない用事があるとかで、エニがいない。


 もはや2日に1回は訪れているのではないかと思えるほど、第2の家であり半場家族感覚でリーベは一人読書していた。

 昔は文字をなぞりながら声に出さないと読めなかったが、今ではページをめくるのが鬱陶しく感じてしまうことが多くなった。



「早く帰ってこないかなぁ」



 用事が終わり次第すぐに向かうと言っていたのを覚えている。

 リーベの事を意識してくれている、顔が熱くなった気がした。



「はぁぁああ」



 リーベの最近のお気に入りは、恋愛小説と文化本。


 特に恋愛小説は、自分を主人公に投影してしまうほどに陶酔していた。1日で2冊の恋愛小説を読み切った時は、感情の波に呑まれてチグハグになることもしばしばあった。



「鈍感はやっぱ嫌」



 馬鹿の一つ覚えの鈍感モノ、叶わない恋を描いた身分違いの急落モノ。

 多数の人から愛されたい自己酔モノ、性別の垣根を超えた同性モノ。


 色々な恋愛を見たが鈍感が一番嫌いだった。

 どこかの誰かとそっくりな反応が多すぎるからだ。



「気づかないのかなぁ」



 気づいていないのではなく、勘違いしているが正しい。

 妹に向ける愛情にしては愛と優先順位が高すぎることを彼女は気づいていない。



 彼女もまた同じ子供なのだ。





 「!!!!!」



「え?」



「お、お、おまえ」



「え、誰なの」




 リーベは幼い頃、エニの妹がよく遊んでいたというブランコに座って本を読んでいた。不用心だが、人の敷地の中まで覗いてくる人間はそういない。



「お、おれはヴ、ヴぃんセントオリバーだ!」



「ヴぃ?……あっ、ビンセント?」



「ちがう!俺はヴィンセントだ!」



「変なの」




 偶然にも彼は世紀の美少女へと変貌を遂げていたリーベを見つけてしまう。青緑色の長髪を靡かせながら、精霊のような高貴な雰囲気を醸し出す彼女に、彼は目を奪われ誘われる。




「まぁいいよ、ヴィンセントね」



「お、おう。お、お前の名前は?」



「わたし?……リーベ」



「そ、そうか、リーベか」




 これが彼の初恋であり、最悪のトラウマとの出会いだった。

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