第4話 八旗酒造.

 かつての街道に並行して流れる川の川岸、柳の木が並ぶ土手の上を歩くふたつの姿があった。茶色のジャケットの小太りの男、大むじなと、藍の着物に支子くちなし色の帯の少女、ましろだ。


「ましろちゃん、まずあそこを見てもらおうと思うんだ」

 大むじなが指さしたのは瓦屋根に白壁、黒褐色の格子窓の蔵造りの建物だ。背後に屋根掛けされた煉瓦積み角柱の煙突がそびえている。

八旗やはた酒造しゅぞうだ。あそこに棲みついているあやかしもいるよ」

 大むじなの言葉にましろは首を傾げた。

「こんな街中に妖がいるのですか」

「歴史のある蔵元だからね。歳月を経た建物で昔の道具も残っている。棲んでいるのはその道具ゆかりの妖だ。気風きっぷのいいおねえさんだよ」

「お姐さん……、お会いしてみたいです」

「さあ、行こうか」


 川沿いを離れ八旗酒造に向かう道肋には石塀や庭木で囲まれた家が並んでいた。石塀の上で寝そべっていた猫が近づく二人を見て顔を上げる。

「やあ、大将。調子はどうだい」

 大むじなが話しかけると、猫はぷいとそっぽを向いた。ましろは大むじなを見上げる。

「いや、妖になってはいないよ、今のところはね」

 大むじなは猫を凝視しながらささやいた。


 八旗酒造に近づいたところで、大むじなは屈みこんでましろに語りかける。

「店の人を言いくるめて中に入る。ましろちゃんは隠形おんぎょうして付いて来てください」

「姿が見えない方がいいの?」

「その身なりは今では珍しいからね。詮索されるのは避けたいんだ」

「わかりました」


 ましろが胸の前で手を合わせると、身体がかげを失い姿が透き通っていった。すぐに完全に見えなくなる。

「これでいい?」

「上出来だよ」


 大むじなは姿を消したましろを連れて八旗酒造に入って行った

「お願いします」

「はーい」

 窓口に出てきたのは、印半纏しるしばんてんを着た色白のふくよかな女性社員だった。

「あら、五木いつきさん。いらっしゃいませ、今日はお仕事ですか?」

「お酒を買いにね。八旗こまちを贈り物用に包んでもらえるかな?」

「ありがとうございます、すぐご準備します」

「頼むよ。出来るまで奥の蔵で待たせてもらっていいかな?」

「いいですけど、腰掛けも何もないところですよ」

「いいんだ、蔵の中の雰囲気が好きなんだよ」

「好きなのは雰囲気じゃなくお酒の匂いじゃないですか? 勝手に大桶おおおけの栓を開いて味見なんかしないでくださいね」

 女性社員は笑顔でこたえる。

「わかっているよ」

「では、お包みしますのでしばらくお待ちください。できましたらお呼びしますよ」

「ありがとう」


 大むじなとましろは建物に連なっている蔵に進んだ。発酵した酵母の濃密な香りが二人を包む。太い梁とのきの年代物の建屋の中に円筒形のタンクや箱形の圧搾機が並んでいた。床は土を固めた三和土たたきになっている。


「姿をあらわしていいよ」

 大むじながささやくと、かたわらに藍色の影が滲み出て少女の姿になった。ましろはゆっくりと辺りを見回す。


「とっても落ちつく感じです」

「百年は越えている建物だからね。お酒を搾る仕組みも木枠と布袋の昔ながらのものだ」

「でも、息を吸う度に体がぽかぽかするような……」

「それはきっと……」

「大むじなのおじさま」

 大むじなの言葉は頭上からの艶やかな声に遮られた。

「相変わらずの見事な化けっぷりね。ここからだと御髪おぐしがちょっと寂しく見えますけど。隣にいるのは座敷わらしかしら」

 大むじなとましろは天井を見上げる。屋根を支える太い梁の上に白い着物の女性が腰かけ、二人を見下ろしていた。

「やあ、お千代ちよさん。少し話を聞いてもらいたいんだけど」

「あらなあに」


女性は梁から腰を滑らせ空中に身を躍らせる。着物を揺らめかせて三和土たたきの床にふわりと降り立った。瞳は紺色の円二つが同心円になった蛇眼じゃがん、右袖と左の見ごろに紺の蛇の目模様が染め付けられた小袖は薄い青を含んだ月白げっぱく色で、うなじを見せる着こなしをしている。二人の前に立ち、ましろを興味津々で見つめた。


「その子のことかしら?」

「ああ、座敷わらしのましろちゃんだ。ましろちゃん、この方はお千代さん、利き酒用の猪口ちょこから変化へんげした付喪神つくもがみさんだ」

「あの……。ましろと申します」

 ましろは深々と頭を下げた。

「お千代よ。よろしくね」

 女性はましろに微笑みかける。

「ましろちゃんは山奥の家に棲んでいたんだけど、その家の人間がみんな出て行ったので棲み続けられなくなったんだ。新たな棲み処を求めてこの町にたどり着いた。わしと娘で棲み処を見つける手助けをしようとしているところなんだ」

「あら、それは大変だったわね」

 お千代は手のひらを胸の前で合わせて嘆息した。大むじなに視線を向ける。

「それじゃ、話と言うのはましろちゃんもここに棲んでもらおうってこと?」

「まずはましろちゃんに町の中を見てもらって、それから判断しようと思っている」

「そう……ね。あたしは棲んでもらって全然かまわないけど、まずいろいろ見てからでしょうね」


 お千代は膝を揃えてましろの前にしゃがみ、ましろの頬に指を添える。

「ましろちゃん……可愛い名前ね。肌がきれい。色も白いのね」

「わたし、前のおうちでは奥の座敷に籠っていることが多かったから……」

「そうなの、でも、不思議ね。頬は少し赤みを帯びているように見えるわ。どうしてかしら…… まあ、それはそれとして」


 お千代は立ち上がって大むじなの方に向き直った。

「ましろちゃんが棲み処を探しているのなら、私も一肌脱がせてもらうわ」

「と言うと?」

 大むじなの問いかけにお千代は、

「棲み処を決める手掛かりのため、棲みつくべき場所の景色を見せてあげる。私の妖能力ちからでね」

と答えた。右手を伸ばして着物の袖を広げ、右袖と左ごろの二つの蛇の目をあらわにする。

「これから棲む処だからこちらの蛇の目ね」

 右袖を掲げて、ましろの前で片膝を付いた。

「時の流れの綾なす模様、入り乱れてもことわりは一つ、必然より出でて必然に還る、されば過去未来は現在がつむぎしもの、いざ、このものの依るべき棲み処の姿を現わし給え。酔鏡すいきょう


 お千代が唱えると蛇の目模様に変化が生じた。円の内側が輝きだし、無数の光の点が現れる。光の点はうごめきながら少しずつ色を帯びてゆき、やがて赤、オレンジ、黄、青、紫の五色に分かれた。色はそれぞれまとまりを作っていく。


「ましろちゃん、私は蛇の目の紋に過去や未来の絵姿を映すことができるの。それがあたしの妖能力ちから、酔鏡よ」


 ましろの目の前で五色の光は分かれ寄り添い、やがて一対の蝶の翅(はね)の姿になった。翅の外縁は紫、模様は向かい合う女性の横顔に見えた。肌は黄色、たなびく髪は青、瞳はオレンジで、目尻とハート形の唇は鮮やかな赤。


「これがましろちゃんの棲み処になる場所……のはずなんだけど。何かしら、これ?」

 お千代はこうべめぐらせ、模様を眺めてつぶやく。

「蝶だよね。この蝶がいる場所ということかな」

 大むじなは当てずっぽうで応えた。

「この蝶、前に……、あれ、なんかへん……」

 お千代の右袖を見つめていたましろの身体がゆらりと揺れる。

「顔が、熱い……です。それに、身体がふわふわして……」

 その顔は耳まで真っ赤になっていた。大むじなと千依は顔を見合わせる。

「酔っぱらっちゃってるわね。ここはもろみから立ちのぼった酒精しゅせいが充満してるのよ」

「ましろちゃん、大丈夫か?」

 大むじながあわてて声をかける。

「とりあえず、座った方がいいわよ」

 お千代が蔵の奥から奇妙な形の木桶を持ってきた。一部の側板が斜め上に張り出していて、上の縁が無花果の断面のような形になっている。

「それ、なぁに?」

もろみを運ぶのに使うきつね桶よ」

 お千代は木桶を逆さに置いてましろを座らせた。膝を付いてそばに寄り添う。

「ありがとぉ、ございますぅ」

 ましろは目をとろんとさせていた。

「つぅ、あたま痛い」

 お千代は困惑している大むじなを見上げて訊ねる。

「おじさまは何ともないの?」

「酒は呑んでこそだ。匂いだけで酔ったりはせん」

「個人差があるものね。ましろちゃんはお酒に弱いみたい」

「とりあえず外に出て酔いを醒まさせよう」

「そうよね」


 大むじなはましろの肩を揺り動かして語りかける。

「ましろちゃん、ここから出よう。隠形できるかな?」

「たぶん、出来まぁす。でも、ねむい」

「隠形してくれ。お願いだ」

「はぁい、やって……」

 ましろの姿がやゆっくりと薄れていき、完全に消えた。すーすーと言う寝息だけが聞こえる。



 大むじなは贈答用に包装された酒を受け取り、ましろとお酒を抱えて八城酒造を出た。ましろの姿は見えないため、贈答用の箱をまるで角樽つのだるであるかのように抱えている風体だ。よろめきながら歩いて川沿いの土手に出る。斜面の草の上にましろを下ろし、その横に腰かけてましろの酔いが醒めるのを待った。


 一時間ほどしてましろが目を覚まし、大むじなは人目がないことを確認して隠形を解かせた。土手に並んで腰かける。二人の周りを心地よい風が吹き抜けて行った。


 対岸を眺めていたましろが一軒の建物を指さした。

「あのおうちっていい雰囲気ですね」


 それは三階建て、バーミリオンの洋瓦の洋風建築だった。三角屋根の上で青銅の風見鶏が辺りを睥睨へいげいしている。壁はよろい張りの板壁で、窓枠や引き戸は木製、共に歳月を経て白っぽく退色していた。一階の道路側はガラス張りのディスプレイで、セピア色の写真が何枚も飾られている。扉は閉まり、全ての窓はカーテンで閉ざされていた。


「あれは写真館だった建物だよ。今は空き家でうちで借り手を探している。写真館は今の流行はやりじゃないし、住居としては使いにくい。なかなか、借り手が見つからないんだ。暗室や機材置き場があって部屋数が多いから、ましろちゃんには棲みやすそうなところなんだけどね。人間が住んでいないところに棲むことはできないよ」

「そうですか……、残念です」

「でも、借り手が出てくるかもしれない。望みはあるよ。さて、一度事務所に戻ってお酒を置いて、次の建物を見に行こう」

「はい」

 大むじなとましろは立ち上がって歩き出した。

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