変わらない春

4月7日 東條瑠奈

 百蘭女子大学附属高校。

 港街で知らぬ者はいない名門校の制服に、瑠奈はまだ慣れていなかった。


 補欠合格とはいえ、夢にまで見た学校に入学できたのだ。

 嬉しいに決まってる。頑張ったんだから。


 ──頑張ったからね。


 教室の片隅、まだ誰も座っていない席に、一人ぽつんと腰掛ける。

 小さく呟いた声は、自分にだけ届いた。


 春の朝。窓の外では風がやわらかくカーテンを揺らしている。

 けれど、その穏やかさを破るように──


「──きゃっ、えっ、なになに!?」「……まじ!?」「え、写真撮っていいやつ!?」


 突然、廊下が騒がしくなった。

 波のようなざわめきが、徐々に近づいてくる。


 そのざわめきがピークに達したとき、

 一人の少女が教室の扉を押し開けた。


 しなやかな手足。

 切れ長の瞳。美しい黒髪。

 何より、凛とした佇まい。


 ──あっ。


 声が出た瞬間、瑠奈の身体がふわりと浮き、そして──

 ガタン、と大きな音を立てて椅子から落ちた。


 制服のスカートが少し乱れ、荷物が床を滑る。

 しかし、周囲は誰一人としてその音に反応しなかった。


 ……いつものことだった。


「大丈夫か?」


 その声が、瑠奈を現実に引き戻した。


 見上げると、あの少女がいた。

 まるであの日の朝と同じように──手を差し伸べてくれていた。


 瑠奈は黙って、小さく頷く。

 けれど──その手を取る前に。


 少女は、瑠奈の顔をしばらく見つめ、

 それから視線をゆっくりと胸元へ落とす。


 何かを思い出したように、目を細めて──


「──あれ? もしかして……」


「……はぅぅ……」


 瑠奈は、何か恥ずかしいような気がした。


 言いかけたその瞬間、ざわざわと少女たちが間に割って入ってくる。


「南郷竜子様ですよね?」

「最新ランキング1位の竜子お姉様ですか?」

「よろしければお話しでも……!」


 気づけば、少女──南郷竜子は教室の真ん中に立ち、

 その周囲には、すでに人だかりができていた。


 瑠奈はその光景を、教室の隅から静かに見ていた。


 ──頑張らなきゃ。


 机の下、制服のポケットに入れていたハンカチを、

 彼女はギュッと握りしめた。


 あの日のまま。

 まだ、渡せないままのハンカチを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る