柊斗の力のお陰でなんとか履修登録に成功はしたが、相変わらず東京の交通機関には慣れそうにない。家の周辺を探検し、スーパーマーケットやコンビニ、小さなクリニックなど徹底的に調査をし、独自のマップを作り上げることに成功した。これで道に迷うことはないだろうと豪語していたが、その日の夕方は普通に迷って帰ってきてしまった。


 あの隣人との衝撃の出会いを果たして以降、隣に住む早乙女の姿を見ることはなかった。家の中も物音がしないから今は家を開けているのかもしれない。だとしたらそれは僕にとっては非常に好都合だ。誰が好きで他人の夜の営みを聞かないといけないのだ。考えるだけでもゾッとする言葉だが、たしかにあの顔が自分に言い寄ればどんな女性だってイチコロに違いない。


 だって自分ですら一瞬その美しさに目を奪われてしまったのだから…って自分はなにを!!考えているんだ!!

 あんな不純異性交友しかしていない男なんてろくでもないんだ。品行方正に生きてきた葵にとって知ったこっちゃない。勝手に他所でやってきてくれ。



 早乙女の気配がなくなってから、夜はよく眠れるしご飯だって美味しい。自炊は思ったよりも大変だったが慣れてしまうと簡単なものである。ここで実家での生活が活かされるとはなんとも皮肉なことだ。不安でいっぱいの新生活だったがこの調子だと良いようになると思う。隣のやつさえどこかに引っ越してくれたら。


『葵!明日の講義一緒の単元だよな?初授業楽しみだな!』

『うん、明日席空いてたら隣りに座っても大丈夫?』

『もちろん!そのあと学食で一緒に飯でも食おうぜ!』


 東京で初めてできた友達との関係も良好。

 これはいいスタートを切ったのではないだろうか。前途多難だと思っていた大学生活はこのままいけばうまいこと軌道に乗るだろう。

 ――そう、昨日までは思っていたのだ。


「おはよう、葵!来るの早いな!」

「いやいや僕だって来たのは5分前だよ…ここの教室ちょっと遠いね」

「うん、俺も一瞬迷ったから先輩につれてきてもらった!」

「柊斗のコミュ力僕も参考にしたいよ…」


 黒板の前に面倒くさそうに鎮座している教授を見下ろすような形で机が配置されているので、僕と柊斗は一番後ろの席に座った。少し遠すぎないか?とも思ったが柊斗曰く今日は初回でオリエンテーションだから後ろの席に座ったほうが楽らしい。

 周りを見渡すと多種多様な人たちが座っていて、ピアスをたくさん開けている人もいれば髪の毛を金髪に染めていたり、服装にだって個性が出ている。生憎自分は服装についてのこだわりもなにもないので、少し厚めのセーターにジーパンというなんともシンプルないで立ちだ。

 柊斗は赤髪に合わせてコーデを組んでいるらしくその様はまるでインフルエンサーのようだった。同い年の人間なのに自分とは別次元の人間が集まっていることが少し居心地悪かったが、大学とはそういうものなのだろうか。


「じゃあ、授業始めましょうか。今回はガイダンスだからあんまり緊張せず聞いてくれていいよ~」

「やったな、葵。この先生楽そう」

「どうなんだろ…なんか凄く面倒くさそうな顔してるけど…」


 眼鏡をかけ、白衣を着た教授はどっこいしょと重い腰を上げスクリーンに映されているガイダンスを読み上げ始めた。ある程度はシラバスを読んでいたので分かってはいたが、実際に説明されると中々興味を唆られる単元だなと一人のめり込んでいると、後方の扉の方から誰かの足音がバタバタと聞こえてきた。

 あぶねー、遅刻じゃんと声を漏らしながら教室に入ってきたソイツはそのまま葵の席の隣に滑り込んできた。気まずいと思った葵は顔を見ないように、正面を向いていたので気づかなかったがドスンと座った男は自分に対して謝罪の言葉を述べるどころかじっと顔を見つめてきたかと思うと、突然声を発した。




「……ん?あれ?葵くんじゃーん。なにしてんの?」

「…は、え、…えぇぇぇええええ!?」

「あれ?俺たち一緒の大学だったんだ~、知らなかった~」

「お、お前こそ…なんでこんなところに…!!」



 バッと振り向き思わず声を張り上げてしまった自分は絶対に悪くない。だって、どうしてこんなところに早乙女詩がいるのだ!同い年の大学生なのは知っていたが、大学までも一緒だなんて思わず開いた口が塞がらない。

 それどころか大声を発してしまい、講義室の視線が一気に僕に集中するものだからもう逃れようがなく酸素を求める金魚のごとく口をパクパクと開けた。



「そこ、静かにしなさい。今日は初回の授業ですよ?もう暴れ倒したいのであればどうぞ外でやってきなさい」

「あ、え…!!あ、いや、すみません…その、わざとじゃないんです…」

「……プッ、ブハハッ!怒られちゃって可哀想な葵くん」

「バッ、…も、元はと言えばお前が…!!」



 教授のジトッとした視線と、周りのクスクスと笑う声が相まってもう今ここで死んでしまいたいと切に願った。自分のような平凡で地味な人間が、初回からこんな形で注目を浴びてしまうなんて死んでもゴメンだ!

 顔を真っ赤にして恥じている葵をよそ目に、ヒーッと今にも笑い死にそうなほどに腹を抱えて笑う早乙女のことを一発ぶん殴ってやりたかった。元はと言えばお前が授業に遅刻して滑り込んできたのであって一体どうして授業5分前には座っていた僕が怒られる羽目になるのだ!


「ごめんごめんって、いやーそれでも本当に奇跡みたいだね。俺たち家が隣同士ってだけじゃなくて大学までも一緒なんだね」

「うるさい…話しかけるな…さっき怒られたばっかだろ…」

「葵、この人知り合い?ってかめっちゃカッコいい…」

「柊斗…こ、この人は知ってるけど知らないなあ…」

「変な嘘つくなよ、葵くん。俺達もう友達じゃん?」


 一連の騒ぎを見ていた柊斗は興味津々で早乙女に話しかけるし、早乙女も早乙女で嬉しそうに会話を広げている。やめてくれ、さっきうるさいと怒られたばかりではないか。このままもう一度注意されてしまったら僕はもうこのまま退学届を出して去ってしまいたい!!



「…ねね、葵くんってなんで目の色を青色なの?」

「りょ、両親が青色だったから以外になにかあるかよ…なに?似合ってない?知ってるよ…」

「そんなこと一言も言ってないでしょ?綺麗な色だな~って!俺はちょっと金色っぽいブラウンだし?なんかビー玉みたいで羨ましいや」

「…そうかよ、それはどうも」

「俺もそれ思ってた!俺は赤色の目だけどさ?青っていいよな、カッコいい!」


 ―――なんでだ。

 なんでさっきからコイツは何度も話しかけてくるのだ。自分と話すことなんてそんなにないだろう。だからシカトをしているが、しつこく話しかけてくるものだから折れて会話を端的に終わらせるのにそこに柊斗が首を突っ込むせいで余計に会話のターンが終わらない。


「ねーね、葵くん。葵くん」

「…今度はなんだよ。僕今集中してるんだけど…」


 ニンマリと猫のように目を細めて笑う早乙女の顔は見る限りに悪そうだ。なにか嫌な予感がすると思い、身を潜めていると彼は葵の耳元に顔を近づけた。




「………この間、あの後フミノちゃんの声で抜いた?」

「ふっ……ざけるなよ!!このゲス野郎!!」

「静かにしなさいと何度言ったら分かるんだ!君は!」



 今日は絶対にコイツをデスノートに書いてやると、殺意を込めてギリギリと歯ぎしりを立てた。

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