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普通の高校に通い、普通の成績を収め、そのまま家に落ち着き、死んでいく。
葵の人生はもうずっと昔からそう固定されてきた。この家にいれば衣食住に困ることもなければ金銭に困ることもないのだ。なんていい暮らしなのだろうか。
周りの人間が聞いたらそう思うであろう。だがしかし、全くもってよいものではない。自分の自由なんてものはそこにはないのだ。両親が思い描いた場所に息子を縛り付けるだけのある種の奴隷契約。そんなものに意味は成さない。
でも、もう諦めるしかないのだろう。
なんせあの頭の硬い父親のことだ。今更考えを改めて東京に行くことを許してくれるとなれば僕は父を病院につれていくだろう。
「………葵、あとで私の部屋に来なさい」
――そう、この瞬間まではそう思っていた。
季節は秋の終わりに近づいてきた。都会の方ではまだ秋景色を見れるらしいがなんせここは田舎だ。もう雪は振り始め、紅葉していた葉っぱたちはすっかり枯れてしまっている。
そんな中、部屋で勉強していた葵に声をかけた父の声は冬の寒さを加味しても拭いきれないほどの張り詰めた声をしていた。
また自分はなにかしでかしたのかと脳みそで必死に計算しながら父の部屋の前まで来ると、やけに空気が冷たくて重たい雰囲気を醸し出していた。恐る恐る扉を開けるとそこには普段いないはずの兄と母が揃っていて、思わず喉がひゅっと変な音を鳴らす。
「葵、そこに座りなさい」
「ど、どうしたの…?どうして兄さんがここに…」
「単刀直入に聞く。葵、これは一体どういうことだ」
「は?どういうことってこれのなに…が……」
三人とも表情は険しく、葵を非難の目で見ていることは顔を見た瞬間に察知した。なにも心当たりがなかったのだが、如何せんこの家族に逆らえた試しは一度もないので大人しく父が投げた写真に目を見やる。
そしてその瞬間、葵の背筋に電流が走った。
そこには制服姿の自分が顔は見えないが、恐らく同じ学校の人間にキスをしている写真であった。自分の顔も髪の毛で隠れていて、完全に見ることはできないが確かに葵本人であった。
その頬は少し赤らんでいて、互いの顔の角度で完璧には抑えられてはいないがこれはどう見たってキスの現場そのものだ。
「こ、れ……一体どうして…」
「聞きたいのはこっちの方だ。朝ポストを開けたらこの写真が投函されていた。これは誰がどう見たってお前だ」
「い、いやいや…待って僕本当に知らないって!僕キスなんて…してない…」
「そういうことじゃないだろう。葵、お前……実はゲイだったのか?こんな気色の悪い写真を…」
「……いや、あの。えっと、だからこんな写真覚えがないって…それに僕はこんなリスクあることしない!」
「もう既に他の家にも投函されているらしい。田中さんのところも山崎さんのところも私のところに訪ねてきたんだぞ。お宅の息子さんは男色家なのかってな」
いや、待ってよ!なんだこれは!!
そう叫びたくなるのも無理はない。こんな写真自分は知らないし、キスすらしたことはない。この学校の誰にも自分がゲイであることを言っていないのだ。バレるわけがない。ましてやこんなリスクが高い学校でなんてあり得るわけがない!
しかも写真のアングルを見る限り僕を標的にしてわざと撮っているに違いない。
そう言えたらどれほど幸せだろう。
残念ながらこの状況から逃げ出すことなんて絶対に不可能だろう。それどころか変な言い周りをしてしまったせいで信憑性が上がってしまった気がする。
「葵。俺達はお前が男とキスをしていたとかそんなことが聞きたいんじゃない。お前が一家を汚すようなことをしていないのかを知りたいだけだ」
「いや…それ矛盾してるよね…というか本当にしてない…」
「この村で噂が流れたら一瞬で浸透することは葵も知ってるわよね?私が婦人会に出たら私を見て皆でもの不思議そうな顔で見てくるのよ」
「待ってよ…!そんなことよりそんな写真を投函した人間を探したほうがいいって…」
「そんなものは取るに足りない。大切なのはお前が同性愛者なのかだ」
冬だというのに冷や汗が止まらない。
どうしよう、言い逃れることなんてできない。だけどキスしていたということは否定したい。でもゲイであることは本当だ。これまでも嘘をついてしまったら適当にお見合いを充てがわれそれこそジ・エンドだろう。
「父さんも、兄さんも…僕をどうしたいの?」
「こんな奇妙な噂が回ったことを今すぐ訂正するんだ。自分の足で一軒一軒回って謝罪して、疑念を払拭しろ」
「え…いや、でもそんなの信じる人なんて…」
「こんなにも由緒ある家の人間が同性愛者だなんて…それだけでも一家の汚点だというのに…」
「いや、待ってよ…僕は、その…」
話が拗れている気がするのは自分の正しい直感だろう。元からこの人たちは僕の話を聞く気はないのだ。僕は同性愛者だろうが、じゃなかろうがこの家に傷がつくことが嫌なだけだ。僕の意見なんて気にしてはいない。
昔からそうだ。一家のために正しくあれと言われてきたがその結果見事に歪んだ息子になってしまった。原因は誰のせい?あなた達のせいでしょうが。
「翠を少しは見習ったらどうなの?若くして綺麗なお嫁さんも捕まえて、この家のために働いてるというのに貴方は毎日遊んでゴロゴロと…」
「そ、それは今関係ないでしょ…今話してるのは僕が男とキスをしていたとかそういう話だ」
「別になんと言おうが俺は構わないよ。でもね、葵のその行動でどれだけ父さんと母さんに迷惑がかかってるか分かってる?お前はまともでいなくちゃいけない。この旅館を守ってくれるんだろう?」
なんって頭が硬い家なんだ。僕がゲイであったとしてもなんの支障をきたすというのか、詳しく大きな紙に記入してほしいくらいだ。
もちろんこの世界はまだ同性愛に寛容な社会とはあまり言えないだろう。特にこんな田舎であれば腫れ物扱いするのが正解かもしれないがまさかここまで滅多打ちにあうとは思ってもいなかった。頭の固い父達だが決して馬鹿ではないのだ。
「まさか本当にゲイだなんて言わないだろうな。そんなこと…」
「ぼっ……僕は、ゲイだ!!男の人が好きだ」
「葵……お前、まさか本当に病気に…」
「病気でもなんでもない!僕は生まれたときから男の人が好きだ!この感情を病気だとか間違ってるなんていう貴方達のほうが病気だ!自分の息子がデマかもしない写真を撮られて、息子よりも家のことを心配して僕のことを病人呼ばわりするこの家に生まれてきたことが僕にとって一番の地獄だ!」
母は泣いていた。泣きたいのは僕の方だ。僕はこんな扱いを受ける為に生まれてきたわけでもないし、自分の心のうちをそのまま話しただけだ。
父と兄の顔はもはや機械のように冷たく、そして死んでいた。
その時、父の手からバサリとなにか書類が机の上にバラ撒かれるように置かれた。その書類を眺めると紙には「大学リーフレット2017」の文字が記入されていて、これは大学のパンフレットなのだと察した。
「…こことは違う別の県の大学を決めておけ。お前の学力でも落ちない大学にしろ。浪人は許さん」
「と、父さん…こ、これって…」
「一家の恥さらしを家に置いておけない。さっさと東京にでもどこにでも行けばいい」
「そ、そんな……この家を出ていけっていうのかよ」
「そうしたいって言ったのは自分だろう。夢が叶うじゃないか」
そうじゃない。
ただ一言、葵がゲイだろうが関係ないとその一言が欲しかっただけだ。どうして同性愛者というだけで僕をこんなにも腫れ物扱いするのか。僕がいつ一体どこで迷惑をかけただろう。どこかの誰かがあんなデマ写真を広めなかったら僕がゲイだなんて墓場まで知られることはなかったというのに。
「…それが葵の選択ならそうするしかないみたいだね。東京はいいところだよ。きっとお前にとってもいい経験になる」
「兄さん……あの、僕は…」
「間違っても…向こうで変な女装壁とか一家の恥になる行動を取ろうとするなよ」
鈍い足音を立てて去っていく父と、鼻をすすりながら僕を避けるように部屋を出ていく母。そして年の離れた弟を憐れむような顔で見る兄は、もう僕のことを受け入れることは二度とないだろう。この人も所詮は自分のことしか考えていないのだ。
優しい表情を浮かべるその裏には軽蔑と、疑念と、失望の感情が出ているに違いない。葵はただこの空気に逆らうこともできず縮こまることしかできなかった。
今から受験勉強だって?もう12月も目前だというのに間に合うのだろうか?もしも受験にすら失敗したら?僕はきっとこの家から追い出されて無一文で飢えて死んでいくんだ。だいたい何なのだ。20世紀を過ぎてもまだ同性愛は悪だと、病気だと言いたいのか。
絶望で机が歪んで見える。いや違う、これはきっと涙だろう。一体僕はいつになったら本当に自由を見ることができるんだろうか。好きになる対象がたまたま男性だっただけだ。それだけのことでどうしてこんなにも迫害されないといけないのか。
この世界は歪んでいる。歪んで凹んで跳ねて、ずっと地球という地平線を婉曲している。
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