第2話 悪夢
幼き日の面影、母の背、師の声。風に揺れる竹林に、木霊する子らの笑い声――あの日の里が、懐かしくも遠くにあった。
ふと目を覚ました才蔵は、まだ暗い空にうっすらと朱が混じりはじめているのを見上げた。焚き火はほとんど灰と化し、冷えた風が湿った落ち葉をかすかに鳴らしていた。
「……あと一里ほどか。もうじき里も見えてくるか」
(一里は約3.9273km)
独り言のように呟いたその瞬間、ふと鼻をつく焦げ臭さに、才蔵の眉がぴくりと動いた。
ただの野焼きにしては、煙の質が違う。これは……火事の匂いだ。しかも、古びた木材や衣の焦げるような、禍々しい臭気。
「……まさか――」
胸に不安を覚えた才蔵は、木々の間を駆けるようにして山を下りた。
踏みしめる土の感触すらもどかしく、風を裂くように駆け抜ける。
飛ぶように道をたどり、尾根を越え、ふるさとの谷間が見下ろせる高台へと出たとき――
その目に映ったのは、黒煙立ちのぼる焼け野原だった。
忍びの里と呼ばれた地。
才蔵が学び、育ち、命を共にした者たちの暮らしていた場所が、今や瓦礫と灰の海と成り果てていた。
風に乗って、炭と血の匂いが鼻腔を突く。煙の向こうに赤く染まった空が、静かに世界の終わりを告げていた。
声も出ぬまま、才蔵はその場に立ち尽くした。
呆然としながら、膝が震え、力が抜けてその場に崩れ落ちる。
だが、戦場に身を置いた者の本能が、すぐに正気を引き戻した。
「……誰か、生きては……」
辺りを見渡すと、二町(にちょう)ほど先――
井戸の周辺が、まるで大蛇がのたうったように、不自然に荒れ果てていた。
そこだけがぽっかりと、地形そのものがえぐり取られたかのような異様さを放っている。
地面は深く裂け、焼け焦げた黒土と赤黒い血が混じり合い、禍々しい臭気を放っていた。
ただの戦いではない。そこにあったのは、まさしく“破壊”の痕跡――
烈火に呑まれ、何者かの凄まじい力によって蹂躙された痕だ。
才蔵の目に飛び込んできたのは、屈強な男たちの無残な亡骸。
――才蔵が名を知り、共に任を果たし、笑い合った仲間たちだった。
その骸が、まるで見せしめのように、井戸の傍に無造作に積み上げられている。まるで、人ではない“何か”が、己の力を誇示するかのように。
才蔵は思わず息を呑み、拳を握った。
目を見開いたその奥底で、かすかに燻っていた怒りが、音もなく、静かに燃え始める。
それは悲しみと怒りの入り混じった、鈍く重い炎だった。
そして――その瞬間。
死体の山の中から、ゆっくりと、何かが動いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます