11.突然の訪問者

 私とスカイアンドホワイトは次の『東アンネリアカップ』に向けて猛練習をしていた。そう。猛練習をしていたんだ。

 私はチラッと横を見た。私のすぐ横で大惨事な光景が広がっている。


 人。いや、明らかに人だよね、うん。


 私は当惑していた。

 何故、当惑していたのかというと、それは私のすぐ横で頭からすっぽりと地面に埋まっている人がいたからだ。

 ちなみにこれは誇張しているわけではない。見たままのことを言っている。

 まず、この地面に埋まってしまった人は、さっきまで私とスカイアンドホワイトの方に全速力で向かってきていた。

 そして、次に、この人が盛大にすっ転んでしまう。

 で、気がついたら、こんな風になっていたというわけだ。

 コメディアンが芸を披露してくれたのか、ってレベルの光景が今、何故か私の前で広がっているわけで。私は、これを見て、一瞬どうしてあげれば良いのかわからなかった。

 わざとボケとか呼ばれるやつを披露してくれているのか、それともドジなだけなのか、判断が難しい。

 とりあえず、このドジなお姉さんをちょんちょんと突っついて起こしてあげるべきか。

 人差し指で、パンツまで丸出しのドジなお姉さんの足を突っついてあげる。

 しかし、ピクピクとしているだけで、なかなか起き上がってこない。


 あっ、これはまずい。早く起こさないと。

 必死になって、そのお姉さんを引っ張ってあげた。


「あの、大丈夫ですか?」

「……う、ううーん……はっ⁉ 危うく、三途の川を見るところだったよ~。ありがとう~」


 一瞬で空気がぽやぽやとした感じになった。


 ええと、よくわからないけど、無事っぽいから良かった、良かった。

 私はひと安心して、ホッと息を吐く。

 チラッとお姉さんを見ると、ニコニコと微笑みながらこちらに向けてぽやぽやとした空気を送ってきている。顔がのほほーんとしていて、私はこの人のことをとてもマイペースな人だと思う。

 優しそうだけど、放っておいたらまたドジって変な状態になりそうなので、じーっと見守ってみることにする。

 すると、お姉さんは頭の中でハテナをたくさん浮かべながら、ニコニコしていた。

 困った。クレナイの知り合いではないっぽいし、このお姉さんはクレナイとはまったくちがう雰囲気の人だ。だから、どう接して良いのか、私にはわからない。

 嫌いではないし、むしろ仲良くなれそうな雰囲気をしている。

 けれど、何処か困ってしまう。

 話題に困る。今までにあまり接したことのないタイプの人だから困る。笑顔が眩しすぎてその笑顔が私に突き刺さってくるので困る。

 一先ず、何か話を振ってみようかな。このままぽやぽやとしていてもアレだし。


「えっと、お姉さんは、天馬好きですか?」

「うん。とっても大好き」

「私も大好きで、好きすぎて、最近、このこの騎手になったんですよ」

「そうなんだ~」

「えっと、お姉さんはところでここで何をしに来た感じですか?」

「……あっ! そうだった!」


 お姉さんはポンと手をついたあと、なにやら筆記具やらメモ用紙やらを懐から取り出し、私の顔を興味津々な目で見てきた。


 うん? なんで、私の顔をそんなにまじまじと見ているのかな?

 メレットさんと出会ったときのように、訝むようにお姉さんを見ると、お姉さんが「テヘッ」と言って笑い返してきた。


「お姉さんね、こういう者なの~」

「は、はい……?」


 名刺を渡されたので見てみると、その名刺には『アンネリア新聞社』と書かれていた。

 となると、取材に来た? なんで?

 またしても、私の頭の中で疑問が浮かんできてしまう。

 スカイアンドホワイトは無名の天馬だ。おまけにここ【逆バニーズハウス】も知名度があるわけではない。変な名前の牧場ではあるけれど、それ以外は取り立てて変わったところはない、というのがここの現状だ。

 それなのに、メディアの人が今、私の目の前にいる。

 だから、「それは何故?」と思ってしまう。

 スカイアンドホワイトはデビュー戦で勝利を収めた。一番期待されていた天馬、ワンダフルブレイバーを破って、八番人気のスカイアンドホワイトが勝利したというのは、たしかに印象的なレースになったと思う。

 けれど、デビュー戦で勝利したくらいで人々はその勝利を語ることはない。メディアもまた然り。

 ワンダフルブレイバーが勝利していればまだ取材に来る者がいてもおかしくないだろうとは思う。

 が、スカイアンドホワイトは、無名な天馬だ。悲しいことに、まだこの世でこの天馬の名前を知っている者が少ないほどに、知名度の低い天馬なんだ。

 そんなスカイアンドホワイトを目当てにして、記者とかいう立場の人間がやってくるわけはない。と、思っている。

 でも、このお姉さんは明らかに私たちの方に向かってきていた。つまり、このお姉さんのお目当てはスカイアンドホワイトだということで間違いない。

 間違いないから、変に思ってしまう。


「スミレさん? は、取材しに来たってことなんですか?」

「うん! そうだよ~」

「スカイアンドホワイトのことを取材しに来た感じですか?」

「うん。それと、シャレアちゃんのことも」

「……えっ、私も?」

「うんうん」


 ちょっと待って。私は取材されるような立場の人間なんかじゃない。

 おかしい。本当におかしい。これは、何か裏がある。

 じろりとスミレさんを見る。

 すると、やはり、このスミレというお姉さんは、ぽやぽやとした笑顔で私を見つめてきた。

 まあ、悪い人じゃなさそうなんだけど、むしろ良い人そうなんだけど、それとこれとはべつで、スミレさんが私のことを取材しようとする意図がわからない。本当に本当にわからない。

 クレナイがメディアに賄賂でも渡したのかな?

 私は一瞬だけ、良くないことを考えてみる。でも、すぐに「クレナイがそんなことをするわけがないか」と思ったので、この考えも否定されてしまう。

 とにかく、クレナイの知り合いではないと決めつけていたけれど、それはまだ確定事項ではないので、クレナイにたしかめてみることにしよう。それが一番良い。メディアの人が【逆バニーズハウス】にやってきたということは、経営主のクレナイにも伝えておいた方が良いだろうし。

 と思って、私はスミレさんの手を掴んで、売店すぐ脇の待合室に向かった。おそらく、クレナイはそこで休憩をしているだろうと踏んでいる。


「クレナイいる~?」


 ガラガラとドアを開けて、待合室の中を覗いた。

 待合室の端に紅色に染まった髪と青い瞳の人物が見える。

 ビンゴ。あれはクレナイだ。

 私は指をパチンと鳴らして、クレナイのもとへ近づいた。


「ん、どうした?」

「このお姉さんのこと、もしかしてクレナイは知っていたりする?」

「いや、知らんな。誰だ、そいつ。なんの用だ」

「スカイアンドホワイトとあとなんか私のことを取材するために来たらしいよ」

「ほう」


 クレナイは私の話を聞き、「興味ないな」という顔をしてコーヒーをすすり始めた。

 いやいや。待って、待って。一応、スミレさんはお客様なんだから、もう少し丁寧な対応をして。

 と思ってみるのだが、クレナイはもうスミレさんのことを一切見ておらず、どうやら、スミレさんのことを『いない者』として扱い始めたらしい。

 まあ、スミレさんはアポ無しで取材しに来たわけなのだから、クレナイがこういった態度を取ったところで、文句は言えないだろうけれど。

 でも、冷たくあしらうのもどうなのだろう。

 とか、私は思ってしまう。

 たしかに、スミレさんの方に非がある。そして、クレナイのこの対応は、怒鳴りつけて帰らせようとしたり力尽くで追い返そうとしたりしないあたり、まだ優しい方だとも思う。

 けれど、折角来てくれたのだから、せめて話を聞いてあげるくらいはしたいと、私は思う。


「シャレアは優しいな。好きにしてくれて構わないが、そいつが怪しい動きをし始めたら私に報告してくれ」


 クレナイは、ぽつりとそんなことを言ったあと、壁にもたれ掛かって昼寝をし始めた。


「ご、ごめんなさい。うちのオーナーがこんなので」

「ううん。お姉さんが悪いんだから、気にしないで? むしろ、こっちがごめんなさいなの」


 謝らせてしまう。

 ぽやぽやとしたお姉さんを謝らせてしまうのは、非常に申し訳ない気がする。


「……えっと」

「……シャレアちゃん」

「は、はい」

「……こんなタイミングで言うのは変なのかもしれないけれど、デビュー戦、優勝おめでとう。お姉さん、観客席から観戦していたけど、見惚れちゃった」

「あ、ありがとうございます。あれ、というか、観戦していたんですね」

「そうだよ。ふふふ。お姉さん、スカイアンドホワイトに賭けていたから」

「えっ?」

「ワンダフルブレイバーに勝ってくれそうな予感がしたんだよね。だから、スカイアンドホワイトに賭けたんだ。仕事じゃなくて、もちろんプライベートでね」


 スミレさんが実際に買った券を私に見せる。スミレさんが本当にスカイアンドホワイトに賭けていたことを確認した私は、驚きの表情をスミレさんに向けた。


「それでね、その出来事に感動したお姉さんはシャレアちゃんとスカイアンドホワイトのことを取材しようと思ったの。シャレアちゃんとスカイアンドホワイトに、お姉さんは心を動かされたんだ」


 真剣な目で言われた。スミレさんは本気なんだ。


「それに『新人の美少女騎手と誰も知らないのにかっこいい天馬』って組み合わせが、お姉さん的にビビッときてね。お姉さんは『誰もが勝つと信じている英雄』よりも『今まで誰も存在を知らなかったダークホース』の方が好きなんだ」

「……『新人の美少女騎手』って私のことですか?」

「うん! そうだよ?」


 元気よく言われたので、照れてしまう。


 び、美少女騎手。わ、私が⁉


 とても恥ずかしかった。

 恥ずかしすぎて、顔が熱い。落ち着こう。


「……さてと。シャレアちゃんにおめでとうって言えたことだし、そろそろ帰ろうかな」

「あれ、もう帰っちゃうんですか?」

「うん。アポ無しで来ちゃったから、オーナーさんはあまり良い顔をしていなかったし。長居するのも迷惑かなって。だから、今度はちゃんとアポ取って来るね」

「わかりました。今度はいっぱいお話ししましょう」

「うん! じゃあ、またね」

「またよろしくお願いします」


 私はスミレさんの姿が見えなくなるまで大きく手を振った。

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