12.みんなの英雄に敗北を
『三級賞』、『東アンネリアカップ』の日がどんどん近づいてくる。
私とスカイアンドホワイトはデビュー戦前のように、忙しなく動き回っていた。
「シャレア、いるか?」
「どうしたの、クレナイ?」
クレナイの顔がいつもより険しい顔をしていたので、何かあったのだろうかと心配してしまう。
「大変なことになりそうだ」
「……へっ?」
私の口から、素っ頓狂な声が出た。
クレナイがメモ帳を私に差し出してくるので、私はそのメモ帳に書かれていることを読んでみる。
日時、場所、コースの詳細、出場する予定の天馬、騎手など、そこにはさまざまなことが書かれていた。
これは、次の『東アンネリアカップ』のメモか何かなのかな?
でも、これがいったいどうしたというのだろう?
不思議に思った私は、クレナイの目をチラッと見た。
特に変わった感じはない。普段の、クールに振る舞おうとするクレナイだ。何もおかしいところはない。
冷静。冷静なように見える。
だけれども、内心では焦っているのではないかと思ってしまう。
そんな感じ。クレナイはそんなような様子だった。
何か、不備があった?
いや、その程度じゃ、クレナイは動揺しないか。
実は推薦枠とかいうものはなかった、とか?
それならこの動揺っぷりもあり得る。スケジュールも狂ってしまうしね。
とにかく、これがどうしたのかと訊いてみるか。
「クレナイ。このメモ何? 何か、問題があるの?」
「レジェンドコスモが参戦するらしい。シャレアはレジェンドコスモを知っているか?」
「うん。養成学校で習ったよ」
「ああ、そうか。ここにいない間に教えてもらったんだな」
「まあ、今ホットな天馬や昔の伝説の天馬、【天馬競争】の歴史なんかは、養成学校で習ったからね」
そこでいろいろな天馬に触れたり、いろいろな天馬について知ったりはしたが、それでもやはり私の一番はスカイアンドグレートで揺るがなかった。それくらい、私はあのときの出会いが衝撃的だった。
このレジェンドコスモのことを知ったあとでも、私の一番はやはり変わらない。私の一番はスカイアンドグレート。そして、その一番を受け継いだスカイアンドホワイト。私の英雄はレジェンドコスモではなく、彼らなんだ。
レジェンドコスモはたしかにすごい天馬だ。
スカイアンドグレートは負けしか知らない天馬だった。
でも、負けしか知らない天馬がいるのならば、その反対もまた然り。勝ちしか知らない天馬も探せばいるってこと。
それがレジェンドコスモだ。
レジェンドコスモは現在、二十二戦もして、未だ負けなしの天馬だ。
観客たちは、彼を褒め称えた。
彼は、観客たちを天空の遥かその先――宇宙へ誘った。
レジェンドコスモは観客たちの心を次々と鷲掴みにしていく。
レジェンドコスモはみんなの英雄なんだ。
でも、私の一番はスカイアンドグレートでスカイアンドホワイトだから。
だから、私たちはみんなの英雄に――敗北を味わわせてあげる。
「現存する天馬の中で、最強に最も近いと呼ばれている天馬。それがレジェンドコスモ。私たちは、彼と戦える、ということだね?」
「……ああ。……ああ、そうだったな。お前は、そういう奴だったな」
クレナイがフッとクールに笑った。
私は、何故笑われたのか理解できず、クレナイの顔をじーっと見る。
いつものクレナイだ、ということしかわからない。
呆れられているわけじゃない。怒っているわけじゃない。
なんだ、このクレナイの感情は。どちらかというと、喜んでいるような感じかな?
しかし、待ってほしい。何故、急に喜び始めた。
私が何かをしたことによって、喜んだのは間違いない。
つまり、私の行動にその答えがある。
けれど、私はクレナイを喜ばせるような何かを意図的にしてはいない。喜ばせようと思って、何かしたわけじゃないんだ。
クレナイが喜ぶ理由。それが一ピコメートル足りともわからない。いったい、クレナイは何に喜んだというのだろうか。
私は、クレナイの手足、表情、身体、私自身の手足、身体、まわりの状況など、キョロキョロしながらいろいろな箇所を確認した。
だけれども、クレナイが喜んだ理由がまったくわからなかった。
「これで勝ってしまったら『レジェンドコスモが唯一勝てなかった天馬』として、名前くらいは覚えてもらえるかもしれないな」
「クレナイ。安心してね。『勝ってしまったら』なんてないから。私たちが『絶対』勝つ。そして、名前だけじゃなくて、スカイアンドホワイトが何故この世界に存在するのか、って理由もスカイアンドグレートのことも全部、全部全部、観客たちの記憶に刻み込ませてあげるから」
「……まったく、誰に似たんだか。かっこつけすぎだ」
クレナイが私の頭に軽くチョップを食らわせた。私はその痛みで、悶絶してしまう。
な、なんで⁉
すぐにガバッと飛び起きて、クレナイの方をチラッと見ると、クレナイがクスクスと笑っていた。いつもかっこつけているクレナイなのだが、そのクスクスと笑っているクレナイの姿が新鮮で、思わず私もクスクスと笑ってしまう。
クレナイがあんな風に笑うの、初めてみた。普段はクールぶっているけれど、案外、素はこんな感じで、スミレさんみたいなぽやぽやとしたお姉さんなのかもしれない。
……いや、年齢的にはおばさんかな?
一瞬、失礼なことを思った。
「それより、レジェンドコスモが『三級賞』に参加するなんて珍しいね。レジェンドコスモって出場するにしても『二級賞』からだと思っていたけど」
「まあ、レジェンドコスモくらいの天馬だったら『二級賞』も『三級賞』も変わらないのだろう。おそらく『どうせ一着を取るのだからどの賞でも良い』という感じなのだろう」
「へえ。なら、その鼻っ柱、折ってやりたいね」
「お前……相当、強気だな」
「うん。メンタルから強くしていかないと、強くはなれないから」
それに、これはチャンスだと思うから。
最強に最も近いと言われるレジェンドコスモという天馬。その天馬が次の『東アンネリアカップ』に参加するということは、『東アンネリアカップ』で優勝すれば、観客たちやメディアの人たち、もちろんレジェンドコスモやその騎手さんにも、振り向いてもらえるかもしれないということ。
そういう理由もあって、私は今、強気になっているのだと思う。
無敗の王者レジェンドコスモと、駆け出しの天馬スカイアンドホワイト。絶対的な王者と挑戦者。
おそらく、観客たちはデビュー戦のときのように、スカイアンドホワイトには目もくれないだろう。きっと、みんなレジェンドコスモに夢中のはずだ。そして、レジェンドコスモが勝つとしか思っていないはず。
そんな中、駆け出しの天馬スカイアンドホワイトが、レジェンドコスモと観客たちの目の前で一着をかっさらっていく。
今、頭の中にしっかりとイメージが浮かんできた。当日の様子。当日の光景。
私たちはやる。
私たちは、その絶対的な王者を倒してみせる。
そして、きっと私たちに目もくれていないレジェンドコスモとその騎手を、絶対に振り向かせてやる。
私たちは最強だ。さあ、恐れ戦け。
最強はレジェンドコスモだけのものじゃない。
「私たち、絶対に負けないから」
「ああ、信じているよ。底から這い上がって、大番狂わせを起こしてやろう」
「うん」
「そのためには、きついトレーニングもいっぱいしないとな? 今のままではレジェンドコスモには到底勝てないだろうし」
クレナイがニコッと怖い笑みを浮かべて私の顔を見てきた。
えっ、その左手に持っているムチみたいなものは何? えっ、なんか、怖いんだけど。
ちょっと待って? クレナイの目が笑っていないんだけど。いや、いつも死んだような目をしているけど。
あれれ? ちょっと、様子がおかしいけど、んんん?
じりじりとこっちに寄ってきている気がするけど、何? 何? えっ、怖い。
拷問でもする気⁉
恐怖からか、私の顔から一気に冷や汗がダラダラと垂れてきた。
「……ああ、すまん。ムチを持ってきてしまった。ちょっと探してくる」
突然、クレナイがそんなことを言ってから、ムチをその辺に投げ捨て、何処かに行ってしまう。
これから、ミスをしたらムチで叩かれるような過酷なトレーニングが始まるのかと恐怖していたのだが、どうやらそうじゃないらしい。
良かった、良かった、とホッとするものの、じゃあ何故ムチなんてものを持ってきてしまったのかと疑問に思ってしまった。
まさかの、ドジ? いや、まさか。まさか、まさか。えっ、本当にドジしちゃったの? 普通はムチなんて、間違えても持ってこないものでしょ?
……でも、クレナイはいろいろと抜けている人だから、なんかあり得る。
ムチをわざわざ持ってくる理由もないし、クレナイはそもそも冗談でムチなんか持ってくる性格じゃないはず。クレナイは意図的に漫才をする人じゃない。素で漫才チックなことをしてしまっている人だ。
だから、ただ、ドジをして何故かはわからないけれどムチを持ってきてしまった、というのはあり得る話か。うん、まあ、あり得る話なのかもしれない。
一人で納得をしていると、クレナイが左手にストップウォッチを持って帰ってきた。
「……あのさ、まさか、ムチをストップウォッチだと勘違いして持ってきたの?」
「そうだが?」
「どう間違えたらそうなるの?」
「こう間違えたらこうなる」
「やっぱり、そろそろクレナイの部屋お掃除しようよ。クレナイがセクシー女優だったときに使っていたっぽいアダルトグッズとかよくわからないものとかがまだその辺にいっぱい転がっていたよ。だから、ムチをストップウォッチと間違えて持ってきちゃったんだよ」
呆れたように言うと、クレナイがしょんぼりとした顔をした。
今日はなんか、クレナイの珍しいリアクションがたくさん見れた気がする。
私がニコニコ笑顔でクレナイを見ると、クレナイがフッとクールに笑い返した。
「……もう立ち上がれない、ってくらいハードなトレーニングにしてやるよ」
「いえ、結構です!」
私は首をブンブンと横に振って即答した。
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