新たな夢物語の始まりへ

 歩くたびにジャラジャラと鎖がぶつかる音がする。同時に石床を歩く足音がペタペタと木霊して沈黙を打ち消してくれた。絞首台への道のりが遠い。まるで退屈なときの時間の流れのようだ。そうか、俺は己の死に緊張しているのか。無理もない、初めての経験だ。だが心配することはない。なぜなら俺は何もしなくていいからだ。首にロープをかけられた俺の足元の床が開けば、俺の身体は真下に落ち、自重で頚骨が折れ窒息する。簡単な話だ。とは言いつつも手汗は止まってくれそうにない。……正直、少し怖い。

 長く続く廊下を抜けると外に出た。客席に円状に囲まれた死刑場は他のイベントの際にも使用される場だ。とはいえそれは趣味の良いイベントではない。神聖な場と血濡れた場は共存しないのだ。そしてこの国にはかつて血濡れた場を娯楽とする風習があった。この場が死刑場とされているのはその風習の名残りで、観客が客席を埋め尽くす様もその名残りなのだろう。今回は怪盗ミングの公開処刑だ、なおさらだろう。そんなことを考えながらぐるりと客席を見渡して、見知った顔を二つ見つけた。ミナとジンだ。二人の表情から感情を読み取ることはできなかった。どうやらメグはいないらしい。最後に顔を見たかったけれど、死ぬところを見られずに済むと思うと少しホッとした。

 階段を登り、首にロープをかけられる。手足の鎖が外されることはなかった。周りから兵が離れたかと思うと、絞首台の縁に一人の兵が立った。そいつは恭しい仕草で手に持っていた書状を広げると大きく深呼吸した。



「これより、怪盗ミングの死刑を執行する。罪人、怪盗ミング。罪状、窃盗及び不法侵入。その数多の罪は看過することのできないものであり、どの刑をもってしても償うことは到底不可能であると判断された。よってここに絞首による死刑に処す。」



 大役を務めた兵は書状を畳むと一歩下がり、またしても恭しい仕草で一礼した。笑ってしまいそうだ。俺の方が緊張しているに決まっているだろう、なぜお前が主役のように振る舞うんだ。堪えきれずに変な笑みが漏れた。胃の辺りが先程からどんよりと重いのだ。いよいよ迫るその時を、身をもって実感しつつあった。

 だが同時に、少し腹立たしくもある。俺の本名は明かされず、身分も伏せられたままだ。そこに気付く人間はどの程度いて、さらに声を上げる者はどの程度いるんだろうか。そんなの答えは分かりきっている。この国に、そんな馬鹿野郎はいないのだ。そもそもこの場に国王すらいない。わざわざルチェルナから移送して来たにも関わらず、いかに関心が低いかが見て取れる。

 いよいよ兵がレバーに手をかけた。レバーを引けば俺の足元の床が開く仕組みだ。死の足音が忍び寄って来た。俺にはお前を受け入れる準備はある。だがやはり…、最後に一目会いたかった。あわよくば幸せな姿を見たかった。白いチャペルで純白のドレスに身を包み、隣の男と笑い合う姿を何度想像しただろう。そしてその男はジンであって欲しいとこの頃俺は思うのだ。



「死刑はそこまでよ!」



 不意に場内に女の声が響き渡った。ゆっくりと俯けていた顔を上げると、最後尾の客席の上で仁王立ちする女がいた。ローブを身に纏い、口元はレースで覆っていて顔を判別することはできない。



「怪盗ミング! お前を盗みに来た!」



 彼女がそう声高らかに宣言すると、周囲の兵が一斉に抜刀した。観客の方は勝敗はどうでもいいらしく、別の方向で盛り上がっていた。



「何!? ミングの仲間!?」

「そういや一時期そんな噂あったなー!」

「直接対決が見れちゃうってこと!?」



 おいおい、何をそんな悠長なことを言ってるんだ。俺は彼女を見上げて渾身の舌打ちをした。彼女の耳にはさすがに届かなかったが、ミナとジンの耳には届いたようだ。二人はただニヤリと笑った。あれは俺の仲間なんかじゃない。メグだ…!



「来るな!!」



 そう叫ぶもすでに遅く、彼女は客席を蹴っていた。軽やかな身のこなしで観客の間をすり抜けると死刑場へと降り立った。ここからは無数の兵が敵になる。尚且つ手足を拘束され首にお縄を頂戴した俺を救出しなければならないし、兵がレバーを引く前にそれをやり切らなければならない。できるもんか! 捕まればメグも道連れだ。



「頼んでなんていねぇだろ! 帰れ!」



 そう叫ぶと、彼女は露骨に怒りを露わにした。



「頼まれてないわ! でも、もう待つだけの女は止めたの! あなたに守ってもらうだけの女も止めたの!」

「なっ…!」

「あなたの隣で、あなたと生きていきたいの!」



 そう言って斬りかかってくる兵の中に突っ込んだ。



「馬鹿…!!!」



 名前を呼ぶわけにもいかず暴言を口にするも、彼女は軽やかな身のこなしで兵の剣を避けた。見事だ。思わずミナとジンを睨みつけると、二人は満足そうにその光景を見守っていた。そしてミナの手には針が握られていた。麻酔針で援護射撃をしているようだ。やがてメグは目立った外傷を与えることなく兵を捌くと絞首台へと辿り着いた。正直本気の警備でなくて幸運だった。とはいえ、ここまで辿り着いたのはメグの実力だ。呆然とする俺を他所に、メグは床のレバーに手をかけていた兵を絞首台から落とすとレバーが作動しないよう石を噛ませた。



「お前…、なんて無茶を…。」



 呆然としたままそう言うと、レース越しに笑ったのが見えた。



「大人しく盗まれてください、怪盗ミング。」

「馬鹿野郎…。せめてお前は元の生活に戻れ。」

「もう戻る場所はないの。」



 そう言いながらメグは俺の首にかけられていたロープを切り、そして笑った。



「国外に出たときの稼ぎを全部売って、大金を作ったの。その中から旅費をミナさんとジンさんに返して、あとは逃亡資金にしたの。お家ももう引き払ったし、骨董品店の品物も国境ギリギリの森に全部運び出して隠した。もう、引き返せる場所なんてないの。」



 呆然とする俺を他所に、メグはどこからか取り出した鍵で手と足の鎖を外し始めていた。あらかじめ盗んできていたんだろう。



「私、あなたの横に立てる女になりたくて頑張ったの。そして私はあなたを盗む。あなたは私の所有物になるの。」



 鎖を外し終えたメグは俺に向き直ると優しく笑った。



「バン、私に盗まれて。」



 そう言うものだから、俺は堪らずメグを抱き締めた。



「馬鹿野郎…。無茶ばっかりしやがって…。」

「誰のせいだと思ってるの?」

「言うようになったな。」



 メグはしっかりと俺に抱き着いて言った。



「私、バンとずっと一緒にいたい。罪も一緒に背負う。だから一緒にいさせて。私の幸せはどうしたってバンの側にしかないの。もうバンなしじゃ幸せに生きていけないの。」

「……俺の負けだ。」



 どんな意地も彼女の前には無意味だ。例え何年経とうと、俺の想い同様、彼女の想いだって薄れなかったのだから。解放された手足の感触を確かめつつ、逃げるための算段を立てる。といってもすでに兵は全滅しているし、メグがどの程度動けるかは分からないがきっと大丈夫だろう。やっと繋いだメグの手から伝わる温もりが俺に勇気をくれる。ふとどこからか煙幕が発生した。こんな芸当ができるのはあいつらだけだ。煙に紛れて客席を駆け上がりながらそちらを見ると、ジンとミナと目が合った。二人が不敵に笑うものだから、こちらも笑みを返した。言葉はいらなかった。それが俺たちなりの餞別だった。



「ねぇ、バン。」

「あ? こんな忙しいときになんだ。」

「大好き!」



 あまりに可愛い笑顔でそんなことをほざくものだから、一瞬面食らってしまった。ああ、愛しい。



「俺も大好きだよ。」



 そう返して、客席の最後尾から朝のウユの街へと飛び出した。

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