バンの正体

 バンの両親が貴族だったのか平民だったのかは誰も知らない。ただ幸せな家族だっただろうことは容易に想像がついたという。

 けれどバンがまだ物心つく前、バンの母親を見初めたウユの現国王が夫と彼女を引き離した。どう引き離したのかは誰も知らない。ただバンの母親は国王を酷く憎んでいたし、死ぬまで心を開くことはなかった。国王とバンの母親の婚姻はわずか数年のことだった。

 そして国王はバンを目の敵にしていた。前夫との子など愛されるはずもなく、バンはずっと孤独だった。

 バンの母親が亡くなってすぐ、国王は後妻を迎えた。バンはより孤独になった。元々公にされていなかったバンの存在は、さらに公に知られなくなった。秘匿されたのではない、ただないものとして扱われたのだ。ミナやジンが知り合ったのはまだバンの母親が存命の頃だった。二人はどうしていいか分からなかったし、どうすることもできずただバンを見守っていた。

 やがてバンは盗みを始めた。始めは暇潰し程度だと側から見ても分かった。けれどそれはやがて大きな盗みに変わっていった。怪盗ミングを名乗り始めたのはこの頃だ。やはり二人はどうしていいか分からなかったし、どうすることもできずただバンを見守っていた。

 そのうちミナはバンに同行するようになった。またバンはその稼ぎでウユの下町に骨董品店を出した。ミナは同行を止めた後、現在の旦那と半ば駆け落ちして結婚し、骨董品店を手伝うようになった。

 そして数年の後、怪盗ミングは世界に名を馳せる怪盗になった。

 いつしか国王と後妻の間には王子が生まれ、その子が嫡男として世間に公表された。バンの存在はなかったことにされたのだ。


 *


 あれから一週間が経った。船から寝台列車へと乗り継ぎ、私たちは最初に訪れたターミナル駅を目指していた。そこからまた列車に乗り換え、ウユへと戻る予定だ。

 私は列車の共有スペースでボンヤリと地平線を眺めていた。山に沈んでいく夕日が美しい。ウユで見る夕日やあの日東の島国で見た夕日より遥かに美しかった。なのに私の心は重暗く沈んだままだった。

 バンが王子だなんて、話を聞いてから数日経った今でも信じられない。ミナさんの言う通り、柄じゃないというのが一番近しいだろう。私の知っているバンは少し乱暴で、屋根の上に登るような男だ。イメージの中の王子像とは大分異なる。

 それに、あまりに優しくてそんな孤独を生きてきたとは到底思えなかった。どんなに辛く苦しかっただろう。どんなに孤独だっただろう。どんな思いだったんだろう。私は抱えていた膝に突っ伏して目を閉じた。

 ミナさんの話だと、国王はこれを機にバンを名実ともになかったこと・・・・・・にする可能性があるとのことだった。国王の為人ひととなりなんて気にしたことがなかった。それ程までに私たち平民と王族貴族は住む世界が違うのだ。バン。あなたは沢山の顔を持っていたんだね。私はバンのことを何も知らなかったんだ。ただ好きだというだけで追いかけて来たけれど、なんて独り善がりだったんだろう。どうしたらあなたに近づける? 手を伸ばしたって届かない。いつも手をすり抜けていくのはバンの方だ。あまつさえ突き放しさえする。バンが殺されるなんて嫌だ。だけどそれさえも独り善がりだったら…? ぐるぐると考えが頭の中を堂々巡りしてだんだん気分が悪くなってくる。そんなとき不意に、頭に重みを感じた。顔を上げると苦笑したジンさんがいた。



「ひどい顔だな。」

「……。」



 いつもならひどいだなんだと言い返すところだが、今日はそんな気も起こらず、私は顔を俯けた。ジンさんは私の隣に腰を下ろすと車窓に目を向けた。いつの間にか空はすっかり暗くなっていた。



「それで?」

「え?」

「お前はどうしたいんだ?」

「どう、って…。」



 そんなのバンを助けたいに決まってる。どこだっていい、生きていてくれたらそれだけでいい。ウユを旅立つ前とは違う。もう二度と会えなくたって、きっと私は永遠にバンにもらったものを大切にしながら生きていける。



「生きていてほしい、です。バンを助けたい、です。」



 だけど自らバンが捕まったんだとしたら? バンが国王の考えを知らないはずがない。私が手出しすることをバンは喜ぶんだろうか。表情を曇らせていると、ジンさんは言った。



「余計なもの全部取っ払ったとき、残る想いはなんだ。」



 優しい声音でそう言われて、私は俯けていた顔をようやく上げた。今は車内が反射して見えないが、車窓から見える夜空にはきっとたくさんの星が煌めいているんだろう。そっと目を閉じるとすぐに思い浮かべられる。眼前に広がるウユの街並み。頭上に煌めく星々。そして優しく笑うバンの姿。




「バンが好きです。バンといたい。」



 じわりと涙が滲んで、そのまま頬を伝って流れ落ちた。言ってからハッとしてジンさんの方を向くと、ジンさんは優しく微笑んでいた。



「それでいい。」



 私はグッと唇を噛み締め、ただそのまましばらく泣いた。ジンさんはただ隣に座っていてくれた。


 *


 ウユに帰り着いたのはそれから数日後のことだった。私たちはウユに着くとすぐに新聞を購入した。路地裏で新聞を読んだ私たちはその場で私たちは凍りついた。



『怪盗ミング逮捕! 公開処刑決定!?』



 私は思わず膝から崩れ落ちた。危惧していた一番最悪のパターンだ。新聞を見れば、その日はもう三日後まで迫っていた。



「間に合っただけラッキーってところかしら…。」



 ミナさんが忌々しげに顔を歪めて言った。新聞にはバンの本名は出ておらず、大々的な掲載のわりに顔写真が載っていなかったり、バンの素性を公にするまいという意図が感じ取れた。きっと貴族の中でも知っている人は知っているに違いない。けれど貴族の中に、それを口外するような人間はいないということなのだろう。



「くそっ…!!」



 ジンさんは忌々しげにその辺にあったブリキ缶を蹴り飛ばすと俯いたまま拳を握り締めた。あまりの強さに血が滲んでいる。見ればミナさんも唇を噛み締めていて、口の端に血が滲んでいた。私は傍らに放り出されたトランクと東の国で得た売上をボンヤリと見つめていた。



「ミナ、さん、バン…。」



 やっと出た声は掠れていて、ちゃんと声になったのかも怪しい。ミナさんはそっと目を逸らした。そのままジンさんへと視線を移すもジンさんも目を合わせてくれなかった。今日のところは一旦解散にしようというミナさんの言葉で、私たちは次の打ち合わせの予定も決めることなく解散した。

 久しぶりの我が家はひっそりと静まり返っていた。荷解きもそこそこに寝床を整えてベッドに入った。一気に日常が押し寄せてくると、ここ数ヶ月がまるで夢だったかのように思えてしまう。しかし残念ながらこれは現実だ。三日後にはバンは処刑されてしまう。新聞ではウユのお店を消し去りたいかのように書かれていた。けれどそれが建前なのはもう分かった。国王は本当にバンをなかったことにしたいんだ。

 のそのそと起き上がるといつもの窓を開いて窓のへりに頬杖をついた。視線を向ければ遠くに王宮が見える。広がる星空。ウユの街並み。そして。視線を隣の家の屋根に移すせば簡単にそこに姿を思い浮かべられる。



「バン…。」



 ポツリと名前を呼んでみるも、返事があるはずもなく。声は静かに夜闇に消えていった。

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