第3章
怪盗ミングの逮捕
あれから一月。私たちは船を乗り継ぎ、大海原の離島、ルチェルナ王国までやって来た。島の中腹にそびえるゴルディス山脈を境に、北は極寒、南は温暖な気候の島だ。
「綺麗な国…。」
思わず溢すと、横にいたミナさんが嬉しそうに笑った。ミナさんはこのルチェルナ王国が大好きらしい。
このルチェルナ王国はかつてデネブリスと呼ばれる王国と島を二分していた。それがルチェルナと統合される戦いの最中、敵国の王と姫であった二人が恋に堕ち、そして命を散らしたという。そう、バンのお話の中でも私がお気に入りだったお話の舞台となった国だ。
「王位継承の証である、緑の宝石の首飾りを狙うって聞いたんだけど…。」
そう言ってミナさんは表情を曇らせた。あれから一月。私たちは空振りを繰り返していた。こんなに立て続けに空振ったことなどなかったので、私たちはかなりのショックを受けた。そして嫌でも気づいた。今まではバンに導かれていたのだと。それがなくなってしまえば私たちは自力でバンに追いつくことすらままならないのだとも。
「とにかくまずは上陸して情報収集だ。」
ジンさんは陸地を睨みつけると、上左腕を掴んだ。ウユの警官隊の制服着用時、警官隊の腕章がある場所だ。本腰を入れてバンを捕まえに行く。そう決意を新たにして、私たちはルチェルナ王国に上陸したのだった。しかし聞こえてきたのは、想定外の報せだった。
──『ついに逮捕!? 怪盗ミング!!』
そんなニュースが国中を飛び交っていた。なんでもルチェルナの王城に侵入した際に衛兵に捕えられたのだという。
「嘘…。」
宿の一室で私は入手した新聞を手にポツリと呟いた。バンがこんなにアッサリと捕まるなんて信じられなかった。ミナさんは真偽を確かめるため、この国の情報屋の元に出かけた。例に倣って私のお守りのジンさんは、報せを聞いて以降すこぶる機嫌が悪かった。
「ジンさん。バンは…どうなるんですか…?」
「ルチェルナで捕まった以上、この国で裁かれるだろうな。」
どの程度の罪に問われるんだろうか。王位継承の証を盗もうとしたのだ。そうでなくとも王城への侵入。最悪の展開もあり得るのでは。そんな私の胸中を察してか、ジンさんは眉間の皺を少し緩めた。
「この国では初犯だ。悪くて禁錮刑だろう。バンのことだ、誰かの命を狙ったわけでもあるまい。」
そう言われてホッと胸を撫で下ろした。禁錮刑となると、バンはこのルチェルナ王国で刑期を過ごすことになるんだろうか。……居場所が分かるだけいいだなんて、我ながら複雑だ。
「この旅も終わりか。」
今度はジンさんがポツリと言った。パッと顔を上げると、ジンさんは遠くを見つめていた。そうか。この旅はバンを捕まえることが目的だった。理想とは違うけれど、結果的に目的は果たされた。もう旅を続ける意味もないんだ。
「なんだか、少し寂しいですね。」
いろいろなことがあった。自分の無力さを思い知った。人に甘えることを覚えた。向けられる無償の優しさを知った。そして、自分がどれだけバンに守られてきたかを知った。バンを想っているのかを知った。半年にも満たない旅だったけれど、大きく成長できた。
ウユと異なる文化が栄えた国があること。とんでもなく寒い国があること。鬼が実在すること。砂漠の平原も白銀の世界も、煌めく水平線もきっと一生忘れない。思いがけず素敵な日々だった。
帰ったら売上を換金して、この旅でかかった費用を二人に返さなければ。それから、……それから。ウユに戻ったら、私は何に縋って生きていけばいいんだろう。そう思った瞬間、鳩尾がズシリと重くなった。
「メグ。」
「はい。」
顔を上げると、ジンさんは優しい表情をしていた。目が合うと途端に苦笑された。
「俺が隣にいて、その寂しさを紛らわせてやることはできないか。」
ジンさんは私の頬に触れると親指でスルリと頬を撫でた。こうした話は東の国を出航した直後以来だ。私は何も言えなくて、ただ目を伏せた。
ジンさんの隣は心地が良い。きっとジンさんは私を大切にしてくれる。けれど私はこんなにもバンに囚われたままだ。例えジンさんが許しても、きっと私は自分を許せないだろう。
ジンさんはそっと手を離すと、そのまま私の頭を撫でた。その表情は優しいままだった。
「お前はそのままでいい。そんなお前だから好いと思ったんだ。いつでも待ってる。」
そう言うとジンさんは手を離した。私は「ありがとうございます」と返すのが精一杯で、それ以上何も言えなかった。
その時、ミナさんが乱暴に宿の扉を開けて入って来た。全く余裕がない。いつものミナさんらしくない。ミナさんは床に置いていたトランクをベッドの上で開くと、やっと私たちを振り返った。
「ウユに帰るわよ。」
「え…!?」
思わず驚嘆を漏らした私を他所に、ミナさんはバタバタと荷造りを始めた。
「おいミナ、説明しろ!」
ピシャリと言い放ったジンさんを睨みつけてミナさんは言った。
「バンがウユに護送されることになったのよ。」
「なんだと!?」
「このままじゃ…ウユで裁かれることになるわ。」
ジンさんはミナさん同様、慌てて荷造りを始めた。私はまだ事態が飲み込めずにその場で立ち尽くしていた。
「ウユで裁かれると…まずいんですか…?」
思わず握り締めた新聞で手が切れたらしい。指に血が滲んでいるのが見えた。けれどそんなことは今はどうでもいい。ミナさんは何かを思案しながら口を開いた。
「ウユで裁かれたら、バンは恐らく死刑になるわ。」
バサリと音を立てて新聞が床に落ちた。先程までの希望が打ち砕かれた。
「ど、して…? 余罪があるから…? でもだって、盗んだだけじゃない…!」
犯罪は犯罪だ。けれど誰を殺したわけでも、傷つけたわけでもない。ただ盗んだだけだ。ボンヤリと視界が滲んで、頬を涙が伝って落ちた。ミナさんは一つ溜め息を吐くと、荷造りの手を休めてベッドに腰掛けた。
「ごめんなさい、取り乱しすぎたわね。いつか話さなきゃと思ってたんだけど、バンの口から聞けるのが一番いいと思って黙っていたことがあるの。」
ミナさんとジンさんは目を見合わせると一つ頷いた。ジンさんも荷造りの手を止めて、近くの椅子を手繰り寄せて腰を下ろした。促されて私もソファに腰を下ろしたのを認めると、ミナさんは言った。
「バンは、ウユの王子なの。」
「え…?」
思いがけない言葉に思わず素っ頓狂な声が出た。
「気持ちは分かるわ、アイツ王子って柄じゃないし。でもね、本当よ。」
チラリとジンさんを伺い見ると、ジンさんは一つ頷いた。信じられない。ミナさんとジンさんと幼馴染ならバンも貴族なのかと思った。けれどその予想の斜め上だ。そして私は気づいた。
「でも、王子って…。」
確か王には嫡男である王子がいる。その王子が現在の王位継承権第一位なのだが、その子は私より年下だったはずだ。
私の言わんとしたことを察したのだろう、ミナさんとジンさんは表情を曇らせた。
「『忘れ去られた王子』。それが貴族の間のバンの通称よ。」
「バンは前妻である妃の連れ子だ。戸籍上は王子だが、血縁的には王とは何の繋がりもない。」
「そして嫡男と言われる王子は、後妻と王の実子よ。」
『忘れ去られた王子』。私は10年前、母が死んですぐに町でバンを探し回ったときのことを思い出した。皮肉だが、言い得て妙だ。
「バンは王子として世間にほとんど公表されなかったわ。それどころか王はバンをいないものとして扱ったわ。」
皆まで聞かずとも、ミナさんとジンさんの表情からそれが悲惨なものであったことは容易に想像がついてしまった。
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