君のために紡ぐ
数日後、私は船の甲板で潮風に吹かれていた。先程島国を出港し、陸と別れを告げた人々が船内へと入って行くのを横目に、私はただ陸地の方を眺めていた。
「寒くないのか。」
不意に声をかけられて、隣に立ったジンさんを見上げた。無言で視線を陸地に戻すとジンさんが軽く溜め息を吐いたのが聞こえた。これは恐らく八つ当たりだ。ジンさんは何も悪くないのに、むしろ眠りこけてしまった私が悪いのに。
あの後、目を覚ましたら宿の布団の中でぬくぬくしていた。私が取り乱したのは言うまでもなく。せっかくのチャンスを無駄にしてしまったと大泣きして大騒ぎしたのだ。これにはさすがのミナさんも困惑し、ジンさんは完全に狼狽えていた。そんな姿を見られてしまって恥ずかしいというのもある。その後しっかり説教されたこともあって、ここ数日特に私とジンさんの間には気まずい雰囲気が流れていた。
「メグ。」
改めて名前を呼ばれて、ゆっくりと視線をそちらに向けた。すると思いがけず真剣な表情のジンさんと目が合った。
「こっちを向いてくれないか、メグ。」
優しい声音でそう言われて、私は体ごときちんとジンさんの方へ向き直った。それを見て、ジンさんは満足そうに頷いた。
「これを。」
そう言って差し出された包みを開くと、キラキラと輝く髪飾りが入っていた。金細工だろうか、細工が細やかで美しいのはもちろん、陽の光を反射してそれがまた美しい。細工は小ぶりではあるものの、髪に埋もれてしまわない存在感だ。
「花はあの国の花である桜を模しているそうだ。」
「素敵…。」
刺繍やレースを嗜む者として、やはりこういった工芸品を見るとつい賞賛を送りたくなってしまう。どこの国の技工士もやはり素晴らしいものだ。
「髪に、挿してもいいか。」
「お願いします。」
ほんのり俯くと、髪飾りを手に取ったジンさんの手が頭に触れる。あまりに手つきが不器用なので、途中で吹き出したら怒られた。
「よし…。大丈夫だろう。」
ジンさんの手が離れたタイミングで体を起こすと、髪飾りに手で触れてみる。
「ありがとうございます、ジンさん。」
気を遣ってくれたんだろうか。八つ当たりしたり恥ずかしがってみたり、大人気ない態度を取ってしまったというのに。いい加減謝らなければ。そう思いながら顔を上げたのに、不意打ちを食らってすっかり言い損ねてしまった。
「似合う。可愛い。」
優しい顔をしてそんなことを言うものだから、私は小さく息を呑んだ。
「えっ、あっ…。え…?」
困惑する私を見てジンさんは苦笑した。そして距離を詰めると、私の両頬を包んで言った。
「もう、バンの奴を追いかけるのなんて止めにしないか。」
「え…?」
「ウユに帰ろう。それで、俺と結婚しよう。」
「え…、えぇ…?」
間抜け面の私と、真剣な表情のジンさんは少しの間そのまま見つめ合っていた。けれど先に我慢が切れたのはジンさんだった。ふっと吹き出すと、頬から手を離してそのまま船に背を預けて空を仰いだ。
「え…? 冗談ですか…!?」
「いや、悪い。冗談ではない。」
「違うんですか!?」
「ふっ、バンの奴が気に入るはずだ。」
そう言って笑うと、ジンさんはまた優しく笑った。
「バンを好きなままでいい。それごと引っくるめてもらってやる。どうだ。」
「い、嫌です! バンがいい!」
それを聞いて、ジンさんは少し声を上げて笑った。この人、こんな風に笑うんだ。そんな失礼なことに一瞬気を取られた。
「今はそれでいい。だが、候補に入れておいてくれないか。」
そう言うとジンさんは手を伸ばして私を抱き寄せた。あまりの自然さに驚いて拒絶するのを忘れてしまった。
「あの日、お前が無事でよかった。大事なモノというのはこうして増えてくんだな。」
そう言うものだから、私はどうしていいか分からなかった。離れるタイミングを失って、しばらくそうして大人しくしていた。
「あらまぁ、随分仲良くなって。」
そうミナさんに声をかけられて、私はようやくジンさんの腕から解放された。
「お前の神経の図太さは尊敬ものだな…。」
「ジンに言われたくないわ。」
ミナさんは愉快そうにニヤニヤと笑ったかと思うと、急に優しい笑顔になって言った。
「バンを追うの、止めてもいいのよ。メグ。」
「ミナさんまで…。」
「バンの奴、きっと捕まる気よ。」
「!」
思わず息を呑んだ。ジンさんを振り返ると、ジンさんは険しい表情をしていた。捕まるだなんて。
「正直、バンの目的が分からなかったのよ。最初は腕を上げたからリベンジをしてるんだと思ってたわ。だけど違う。きっとアイツ、捕まりたいのよ。」
「なんで、そんな…!」
「……もう、バンの目的は果たされたんだと思うわ。」
「? どういうことですか…?」
困惑する私を他所に、ジンさんは思い当たる節があるようで一つ舌打ちした。ミナさんは少し目を伏せて言った。
「メグを任せられる人を見つけたのよ。」
頭を殴られた気分だった。意味が分からない。
「私を、任せるって…。」
自分でもびっくりするほど掠れた声だった。気付けば涙が次から次へと頬を滑り落ちて、甲板に染みを作っていた。
「……バンの盗みの目的は、メグの幸せ。ただそれだけだったのよ。」
バンの盗みの目的が、私の幸せ…? どうしたってそれをイコールで結びつけられない。私が言うより早く、ミナさんは言った。
「最初は暇潰しだったわ。それがメグと出会って、次第に目的を持ち始めた。お金があれば幸せになれる。そう考えたのよ。子供らしい浅はかな考えね。」
私はただ首を横に振ることしかできなかった。
「いつしか辞め時を見失ったんだと思うわ。だけど今回、ウユの潜伏がメグにバレた。そして、ジンがメグに惚れていることが分かった。もう、メグは独りじゃない。」
私はその場にへたり込むと項垂れた。
「アイツ、いつだってメグの幸せしか考えてないわ。」
私は耐え切れずにそのまま咽び泣いた。バン。バン。私はあなたがくれたもののおかげでここまで生きてこれた。ただあなたが隣にいてくれたら、きっと十分幸せだった。馬鹿なバン。私が怪盗ミングを、創り上げてしまったんだ。
「メグ。」
ミナさんの声で顔を上げると、ミナさんは苦笑していた。
「あんな馬鹿のことは忘れて、ジンと幸せになる道だってあるわ。」
「どうする?」と問われて、私は涙を拭った。バンに会ったらどうしたいのか。バンを捕まえてどうするのか。やっぱり答えはまだ見つからないけれど、でも、一つだけ決まってる。
「バンは、私が捕まえます。」
後のことはその後で考えればいい。まずはバンを捕まえる。それが先決だ。泣き止んだ私を見て、ミナさんは満足気に笑った。
「決まりね。」
「俺の目的は変わらんがな。まぁ、目的が増えたと言うべきか。」
不敵に笑うジンさんと目が合って、咄嗟に目を逸らしてしまった。それを見てミナさんは愉快そうに笑う。
「いいわね、三角関係!」
「何も良くない。」
「私高みの見物だから楽しいわ〜!」
「元婚約者だろお前も…。」
「えっ…。」
思わず驚嘆が漏れて、ポカンと二人を見上げる。ミナさんとジンさんもキョトンとした後、顔を見合わせて肩をすくめた。
「言ってなかった? 私、バンの婚約者だったの。」
「言ってないです…。」
「そう? でもまぁ、私たちそういう感じじゃなかったし。っていうかもうずっとメグにゾッコンよ。ただでさえない興味が地の底まで落ちたわ。」
そう言って笑い飛ばすものだから、私の中にとぐろを巻いていたドス黒い感情も一緒に吹き飛んでしまった。
──『ついに逮捕!? 怪盗ミング!!』
そんな見出しのニュースが世界中を駆け巡ったのは、それからわずか一月後のことだった。
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