四つ目の国 -5

 蔵の扉が開いたのは、それから数時間後のことだった。鈴虫の鳴き声が心地良くて、すっかり俺もウトウトしていた。



 「よぉ、悪いなバン。」



 扉を開けた焔は豪快に笑って言った。紅く燃え上がるような髪を携えたその男の頭には、黒鬼同様に捻り上げたような角が二つ生えている。こいつも鬼だ。



 「ったく勘弁しろよ。」

 「ん? なんだ、その女は。お前のか?」



 焔は俺の腕に抱かれたメグを見つけると、不思議そうに首を傾げた。俺はメグを抱き上げてそのまま扉へと向かった。



 「違う。」

 「ほー…?」

 「なんだ。」

 「いや何でもねぇよ。こっち来い。」



 焔はニヤニヤと笑ったまま母屋に向かって歩き出した。俺たちは焔の家に上がると、囲炉裏を囲んだ。焔が黒鬼を呼びつけて布団を敷かせたので、メグはそこに寝かせた。



 「で。その女、お前の何だ?」



 改めて訊かれると答えに困る。



 「しつこいぞ、焔。」

 「お前が女連れなんて、今までじゃ有り得ねぇからな。」

 「あ? 昔ミナを連れて来たろうが。」

 「そうだったか? 忘れたなぁ。」



 なんて適当な鬼だ。いや、彼らは悠久の時を生きる人間とは異なる種族だ。単に本当に興味がなかったのだろう。そう思い直して溜め息を吐いた。



 「……俺の、宝物だ。」



 そう言うと、焔は目を丸くしたかと思うと豪快に笑った。



 「お前、財宝以外にも興味があったのか! ふくくっ、しかも女を宝とは!」



 言うんじゃなかった。思わず舌打ちすると焔は「すまん」と謝った後、ふっと息を吐いた。



 「いや、お前にもそういった感覚があるんだなぁ。」



 囲炉裏の火を見つめながら言うその表情は初めて見るものだった。優しさとも哀しさとも取れる表情をされては、こちらももう噛みつく気は起こらなかった。

 彼らは悠久の時を生きる。きっと俺たち人間には計り知れない経験をしてきたんだろう。



 「あれか、昔国に残してきたという。」

 「…そんな話、したっけなぁ。」

 「したさ。あの時と同じ顔をしている。」

 「……忘れたな。」



 嘘だ。行く先々で俺はメグの話をしていた。どれだけ可愛くて、どれだけ大切で、どれだけ守りたいか。そんな話をずっとしていたんだ。物でも話でも、何を持ち帰ればメグは喜ぶのか。メグのためになるのか。そればかりを考えていた。メグを振り返ると、安らかな寝顔を今こうして見られるだけで幸せを感じる。



 「我慢ならなくて連れて来たってか?」



 焔に視線を戻すと、焔はニヤニヤと笑っていた。



 「……勝手について来た。」



 焔は今度こそ目を真ん丸に見開くと、豪快にゲラゲラと笑い出した。



 「勝手に! ぶはは!」

 「おい、メグが起きる!」

 「だってお前! そりゃ笑うだろ!」



 焔は涙を拭いながらゲラゲラと笑った。幸いメグは身動いだだけで目を覚ますことはなかったが、焔の笑いが治ってからも俺の機嫌はしばらく治らなかった。



 「そうか、勝手にか。」



 呼吸を整えた焔は黒鬼が持って来た茶を啜りながら呟いた。



 「その女、よっぽどお前に惚れてんだな。」



 そう言われてまたしても面食らう。再びメグに目線を移すとやはり穏やかな寝顔をしていて、あの頃と変わらないななんて思う。



 「こいつのそれは、親や兄弟に抱くもんと同じだ。」

 「ほー?」

 「俺じゃ、ないはずだ。」



 今まできっと身近にいい奴がいなかっただけだ。今は……そう、ジンがいる。アイツなら俺も安心してメグを任せられる。だから早く、眼を覚ませ。



 「その割にはお前、顔と言葉の矛盾がすげぇぞ。」



 思わず言葉に詰まる俺を、長生きな鬼は見逃してはくれない。焔は優しく笑うと、その腰を上げた。



 「約束の物取ってくっから、ちょっと待ってろ。」



 そう言って焔は部屋から出て行った。手持ち無沙汰になり、メグの頬をゆるりと撫でる。その柔らかさや滑らかさが懐かしくて、また笑みが溢れた。



 「寝てるおなごに手を出すとは…、変態かお前。」



 不意に声がして慌てて手を離してそちらを見ると、黒鬼が襖の隙間からこちらを見ていた。思い切り睨みつけると、黒鬼は愉快そうに笑った。戻って来た焔は俺たちを見て首を傾げていた。



 「ほれ、約束の物だ。」



 焔はそれを俺に向かって放り投げると、元いた場所に腰を下ろした。慌ててそれを受け取るとその重みに驚嘆が漏れた。

 それは短刀だった。かつてこの地を収めていた領主の娘が懐刀として所持していた物だ。なぜこれを焔が所持しているのかは知らない。だが以前これを盗みに入った際、まんまと焔に捕まった俺は洗いざらいを話し、解放してもらった。そして次に来たときには刀を譲ると言われていたのだ。



 「……本当に持って行っていいのか。大事な物なんじゃねぇのか。」

 「あぁいい、持ってけ。」



 焔は優しく笑って続けた。



 「そこにアイツとの思い出はない。そいつはただの物だ。」

 「……分かった。」



 俺が刀を脇に刺したのを認めると、焔は再び立ち上がった。



 「そろそろ夜が明ける。麓まで送ろう。」

 「助かる。」



 古くから神域とされるこの山には結界というものが張られていて、侵入者を拒む。鳥居以外から入山する方法はなく、鳥居も夕暮れから朝方までしかくぐることができない。つまり、メグは本当に偶然山に迷い込んでしまったのだ。メグを抱き上げながら苦笑する。あんなにビビリのくせに、こんな所まで一人で来るなんて。麓まで降り、鳥居をくぐる直前で送ってくれた焔と黒鬼を振り返った。



 「ありがとうな。」

 「また来い。」

 「もう来んな。」



 無言で黒鬼に拳骨をかます焔につい笑みが溢れた。俺は鳥居に向き直ると足を踏み出した。

 鳥居をくぐると辺りが一気に明るくなった。陽の光で白み始めた空が田んぼに反射して幻想的な風景が広がっている。そして、ポツリと立つ二つの人影。ミナとジンだ。二人は俺の姿を認めるとこちらに駆け寄って来た。



 「バン…! あぁメグも…! よかった!」



 ミナはホッと胸を撫で下ろすと、俺の腕に抱かれたメグの顔を覗き込んだ。



 「どこも怪我してないわよね!?」

 「あぁ、寝てるだけだ。」

 「もう…! バン抜きじゃあの鬼たちを相手にできないから山に入れなくて…。あぁもう本当によかった!」



 こりゃメグが目を覚ましたら強烈な説教が待ち受けているに違いない。そうなる前にさっさと退散しよう。ジンに視線を移すと、ジンは俺を思い切り睨みつけていた。



 「ほら、後は頼んだ。」



 無理矢理押し付けると、ジンは難しい顔をしながらもメグを受け取った。そしてその寝顔を見ると少し表情を和らげた。俺はそれを見逃さなかった。間違いない、ジンはメグに惹かれている。あの堅物が。



 「追いかけて来られても俺が助けてやれるわけじゃねぇ。ちゃんと面倒見とけよ。」

 「なんだと…!? コイツがどんな思いでここまで…!」

 「だから、それが迷惑だっつってんだ! …お前になら任せられる。」



 俺はすれ違いざまにジンの肩を一つ叩くと、そのまま脇をすり抜けて畦道を歩き出した。俺を呼ぶミナの声が聞こえたが、これでいい。

 俺はこの旅で、メグが俺に失望すればいいと思っていた。いや、とっくに嫌われたものと思っていたんだ。だから、こんな風に追いかけられるとどうしたって俺が揺らいでしまう。いつまでも変わらないあの子の隣で、ただ優しい暮らしを夢見てしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る