第2章

初めての国外 -1

 車窓から少し顔を覗かせると、髪が風に靡いた。



「すごーい!」



 歓声を上げる私とは打って変わって、ミナさんとジンさんは至って普段通りだった。私たちは鉄道に乗り、東へと進んでいた。国境は当の昔に越えてしまった。初めての国外に、私はどうしても浮き足立ってしまっていた。ミナさんもジンさん、珍しくないんだろうか。



「楽しそうで何よりだわ。」

「ミナさんは、国外へはよく出てたんですか?」



 そう問いかけるとミナさんは分かりやすく表情を引きつらせた。狭いコンパートメント内、向かいに腰掛けたジンさんがそれを見つけて鼻で笑って言った。



「バンとそこら中の国を巡っては盗みを働いていた女だぞ。今更国外ごときが珍しい訳ないだろう。」



 そういえば先日ミナさんの家でもそんなようなことを言っていたっけ…。



「…気になるって、顔に書いてあるわよ。」

「ご、ごめんなさい…。」



 慌てて表情を取り繕ってみたけれど、時既に遅しだった。ミナさんは苦笑を漏らすと、それについて話してくれた。



「若い頃…10年以上も前はね、一緒によく行ったものよ。ほら、私の生家って貴族でしょう? 毎日退屈でね。刺激欲しさに…ね。」



 こともなげにサラリとミナさんは言ったが、私はしっかりと引っかかってしまった。



「ミナさんって貴族の方だったんですか…?」

「あら、知らなかった? 知ってる人は知ってるけど…。」



 ミナさんは可笑しそうに笑った。どこか漂う気品は気のせいじゃなかったのか。下町には似つかわしくないと思っていたら、その謎がこんな形で解けるとは。



「旦那に惚れちゃってね、駆け落ちみたいなものよ。といっても、元々家は兄弟姉妹が多くてね。私はその末っ子だったから、結構自由にやってたわ。」

「そうなんですか…。」

「しょっちゅう国外に勝手に行ってたくらいだもの、親も諦めてたのね。」



 それを聞いて、ついつい苦笑を漏らした。どうやら私の想像と違ってかなりのお転婆だったようだ。……と、いうことは。一つの疑問にぶつかった私は、向かいのジンさんをまじまじと見つめた。



「…なんだ。」

「ミナさんと幼馴染ってことは、ジンさんも貴族の方なのかな…と思いまして…。」



 冷静に考えてみれば、警官隊の部隊長を務めるような人だ。そうでなくとも、その立ち居振る舞いはやはりどこか気品を感じさせるものがある。



「まぁな。」

「そうなんですね…。あれ、ということは、バンも…?」



 そう呟いた瞬間、列車が停止した。どうやら駅に着いたようだ。「降りるぞ。」とジンさんに促され、荷物を持って列車を降りた。



「うわぁ…!」



 駅舎を出ると、私は感嘆を漏らした。初めての異国。ウユとは違って、なんだかきらびやかな街並みだ。ついついワクワクしてしまうのは仕方ないことだろう。



「ここはターミナル駅なの。ここからさらに寝台列車に乗り換えるのよ。」

「寝台列車…。」



 早朝に出かけて来たが、日は既に西に傾いていた。こんなに移動して来たというのにまだ目的地ではないのか。ミナさんによると、夜初の寝台列車に乗ってさらに東へ移動するそうだ。



「まだあと四、五時間程あるし、一旦解散しましょう。」

「まさか逃げるつもりじゃないだろうな。」

「失礼ね、旧友を訪ねるだけよ。バンの行き先の手掛かりが掴めるかもしれないし。」

「…そうか。」



 ジンさんはかなり怪しんでいるようだが、私にはミナさんがこの旅を心なしか楽しんでいるように見える。電車の中で聞いた話によると彼女は好奇心旺盛なようだし、もしかしたら国外に出ることなくウユにばかりいるのは退屈だったんじゃないだろうか。



「じゃ、ジンはメグのことよろしくね。」

「わ、私一人でも平気です…! もう子どもじゃないですし…。」

「ダメよ。初めての異国を一人でフラフラしてる女の子なんていいカモなんだから。」



 そう言われて私は反論できなかった。ジンさんが貴族の出であれば、異国は初めてではないのだろう。そう思うと確かに心強い。だが正直、私はジンさんのことが少し……いやだいぶ……苦手だ。ミナさんは私が反論しないのを認めると、颯爽と人混みに消えて行った。あとに残された私は、どうしていいか分からず困惑していた。話題がない。私は困り果てた末に、やっと「あの」と言葉を発した。



「すみません、私のせいでご迷惑をお掛けしてしまって…。」

「いい。ミナに振り回されるのは慣れている。それに、アイツが言う事も一理ある。」

「……ぐうの音も出ません…。それでなんですが…。」



 私は手に持っていたトランクを掲げて続けた。



「私、少しお金を稼ぎたくて…。」

「ほう。何をするんだ?」

「この辺りで路面店を…。」

「……であれば、俺はそこのテラスに居よう。」



 ジンさんが指差した先には、オシャレなカフェのテラス席があった。あそこから見える範囲でやれということか。私はそれを了承すると、場所を見つけて布を敷いた。その上に、いつものレースや刺繍を並べていく。



「レースや刺繍、いかがでしょうか。」



 いつもお店に卸す私にとって、ほとんどしたことがない直販。稼げる可能性がどうかなんて分からないけれど、やらなきゃいけない。それはきっとこの旅を続ける上で確実に必要なことだから。

 それから数時間後、ジンさんが紙袋を片手に側に来た。



「もう間もなく発車時刻の一時間前だ。そろそろ店仕舞いを始めるんだな。」



 私はグッと唇を噛み締めて俯いた。私はお金を稼ぐということを軽視していたんだろうか。10にも満たない頃から自分でお金を稼いで生きてきた。なのに今日の私の稼ぎはやっと飲み物を一杯買える程度でしかなかった。私は頷くと、商品と敷いていた布を畳んでトランクに仕舞った。駅に着くとミナさんはすでに私たちを待っていた。



「デートは楽しかった?」



 ニコニコしながら尋ねるミナさんをジンさんが物凄い形相で睨み付けているのを尻目に、私はトランクを持った自分の手をボンヤリと眺めていた。本当は、今日の稼ぎを切符代と今晩の食費に充てようと思っていたのだ。貯金は多少あったから、今のところは問題ない。だけどそれもいつまで持つか。先が見えない旅だ、多いに越したことはない。私たちは寝台列車に乗り込むと、それぞれの部屋へと別れた。

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