疑惑の店主
ハッと目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入ってきた。勢い良く体を起こすと、かけてあった毛布がずり落ちた。ここ…? 寝惚けた頭で必死に思い出して、タブルさんの看病をするうちに眠り込んでしまったのだろうと気が付いた。とすれば、ここはタブルさんの家…? 誰かが私をタブルさんの寝室から別室のソファへ運んでくれたようだ。
「まったく、アンタにしては珍しいわね。」
声がした方を振り返ると、ドア下の隙間から光が漏れていた。この声…ミナさん? 何だか口調が…?
「うるせぇな。だからウユは嫌だったんだ。」
こ、の、声…! 私は弾かれたように立ち上がると、勢い良くタブルさんの寝室のドアを開けた。
「バンっ…!?」
10年間、焦がれ続けた……。
「……メグ?」
「あら、起きたのね。そんなに慌てて…。」
私の名前を呼んだのは、タブルさんだった。次に言葉を発したのはミナさんで、部屋には二人の他には誰もいなかった。
「……二人、だけですか?」
「ええ、そうよ。」
驚いた顔をしながらも、ミナさんは優しくそう言った。バンの声だった。確かにそうだった。
「メグ、ありがとう。」
パッと顔を上げると、起き上がったタブルさんが微笑んでいた。
「メグがここまで運んでくれたのかな。」
「あ、はい…。」
「医者も呼んでくれたんだね。助かったよ、ありがとう。」
「そんな…。」
こんな風に受け答えができているのが不思議なくらい、私の頭は混乱していた。
「たまたま通りでミングに鉢合わせて斬りつけられて…。動けなかったから、本当に助かったよ。ありがとう。」
いつになく饒舌なタブルさんは、怪我の割にケロリとした顔をしていた。身体中にあれだけの怪我があるくらいだ、慣れがあるのかもしれない。
「目が覚めて…、大丈夫そうで、よかった…。」
私はグッと拳を握った。
「ごめんなさい、ミナさん。後、よろしくお願いします。」
「え、ちょっ、メグ!?」
ミナさんの戸惑う声にも振り返らず、私は慌ただしく店を飛び出した。
「っ…!」
涙が後から後から、溢れて止まらない。バン…。バン…! ずっと会いたかった。会いたくて堪らない。走って走って、家に着いても涙は止まらなかった。会いたい…。今、どこにいるの…? バン…。
*
翌朝。朝食の支度をしていると、玄関のドアがノックされた。訪問客は基本的にいないので珍しい。それもこんな朝早くに。
「はーい。」
そう返事をして扉を開けると、そこには見慣れない制服の男たちが二人並んでいた。
「警官隊が、家に何の用ですか?」
遠慮なく顔をしかめると、向こうも顔を少ししかめた。法は守って生きているし、何かをしでかした記憶もないのでこんな早朝から訪問を受けるような覚えはない。
「昨晩のミングの件についてだ。」
「ミングの?」
「あぁ。全ての家に聞き込みをしている。」
そう言われてみると、彼らは疲れた顔をしていた。昨晩から稼働しっぱなしで、おまけに早朝から聞き込みではろくに休めていないのだろう。状況を理解すると、途端に気の毒に思えてきた。
「昨晩、あなたはどこに?」
「……伯爵家にミングの見物に行って、そのまま帰りました。」
「なぜ伯爵家へ見物に?」
「話のタネになるかと思って…。」
「それを証言できる人は?」
「仕立て屋の女主人が一緒でした。」
まるで尋問だ。無理もない、ミングの素顔は誰も知らない。であれば、この街の全員が容疑者なのだ。いい気はしないけど…。次の家へと向かった彼らの背中を見送っていると、突然名前を呼ばれた。
「わ、メグ!」
声に驚いて振り返ると、朝刊の配達に来た友人が立っていた。
「どうしたのこんな早朝に。珍しいね。」
「警官隊の方が回られてて…。」
「あぁ、なるほどね。びっくりした。はい、これ朝刊ね。」
「ありがとう。」
手渡された朝刊を受け取ると、私は家の中へと戻った。大見出しは昨晩のミングのことだった。正直予想通り。
『ついに参上怪盗ミング! 鮮やかな手口で見事お宝ゲット』
これではどちらの味方なのか分からない。やはり写真の入手は無理だったのだろう、新聞には盗まれた首飾りの写真しか掲載されていなかった。私は苦笑を漏らしながら、内容に目を通していった。そして気になる記述を見つけた。
『ジン警官隊部隊長によれば、昨晩ミングを右肩から左腰にかけて剣で切り付け、深傷を負わせたとのことだ。』
思い出したのは、やはりタブルさんのことだった。昨晩の彼の傷は新聞に記載された傷と見事に一致していたのだ。まさか…ね…。そう思いつつも、先日路地で馬車から助けてもらった時のあの軽やかな身のこなし。どうしても気になってしまう。昨晩のミナさんとのやり取りも気になり、私はレースや刺繍を店に卸すついでに骨董品店に寄ってみることに決めた。骨董品店の方が家から近かったので、先にそちらに行くことにして家を出た。
「え…。」
骨董品店の側に着いたとき、声が漏れた。骨董品店に記者と野次馬が殺到していたのだ。どうやら店は閉まっているようで、ショーウィンドウに大量の記者と野次馬が張り付いていた。これでは中になんて到底入れそうにない。
「あれ、アンタ昨日の。」
振り返ると、そこにいたのは昨晩伯爵家に来ていた新聞記者だった。
「あ…確か、隣にいた…。」
「アンタ、ミングのファンか?」
「いや、そういうわけじゃ…。ただ店主に用があって…。」
「あぁ、そりゃ無理だ。店主のタブルがミングなんじゃねぇかって持ち切りなんだ。」
「どうして…。」
昨晩のことは誰にも話していないのに…。
「昨晩、タブルの処置をしたって医者が出て来たんだ。」
私は衝撃を隠しきれなかった。私が呼んだ医者だ…。
「まさかあのミングの潜伏先が、ウユのこんな骨董品店だったなんて誰も思わねぇからな。朝からもう大騒ぎだ。」
「怪我人相手に…。」
「仕方ねぇさ、ミングには高い懸賞金がかかってんだ。アンタも首突っ込みすぎんなよ。」
そう言うと、新聞記者はさらに店の中を覗き込もうと群れの中へと入って行った。正面からは無理だと踏んだ私は、路地裏へと回った。確かこっちに勝手口があるはず。新聞記者や野次馬はこちらまでは来てはいないようで、路地に入った途端に辺りは静寂に包まれた。
「確か、こっちに…。」
「メグ…?」
勝手口を探してウロウロしていると、不意に呼び止められた。振り返ると、頭まですっぽりとローブに包まれたミナさんがいた。その声音はいつものミナさんのものだった。
「ミナさん!」
「どうしてここに?」
「昨日のことが気になって…。」
「あぁ…。…メグも、表の人たちみたいにタブルのことを疑っているの?」
私は、何も返すことができなかった。無言の肯定だった。そんな私を見て、ミナさんは表情を変えることなく言った。
「タブルなら、店にはいないわ。」
「え…。」
「こんなに囲まれちゃ養生もできないから…。どこか他所へ行くって言ってたわ。」
「どこに…。」
「私もそれは知らされていないの、ごめんなさい。」
「そう、ですか…。」
タブルさんに、会うことができない。確かめたかった。怪我の具合はどうなのか。大丈夫なのか。ミングなのか。………バンなのか。
「分かりました。ありがとうございます。」
私はミナさんに礼を告げると、レースと刺繍を卸す為に店へと向かった。
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