思い出の骨董店

 ある日の昼下がり、私は市場に買い物に出ていた。籠の中には一週間分の食料がどっさり詰まっている。これがなかなか重く、私は少しよろけながら家路を急いでいた。風が強く冷たくなってきたから、一雨降りそうだ。洗濯物を外に干しっぱなしだし、何より食べ物が濡れてしまう。野菜はともかく、パンはまずい。傘を持って来るんだったと後悔しても後の祭りだ。



「あ! メグー!」



 呼ばれて振り返ると、お隣の女の子だった。大きく手を振りながらこちらへ駆けて来る。丁度そこへ、馬車が迫って来ていた。



「危な…!」



 私は手に持っていた籠を放り出すと、彼女の元へと飛び出していた。手が触れたとき、少し安心した。だけど馬車があまりに近くに迫っていて、あぁ、死ぬかもしれないと思った。咄嗟に女の子を突き飛ばしたけれど、自分の身は守れそうにない。いよいよ悲鳴が聞こえて来て、まずいなぁなんて呑気に考えていたその時、お腹に物凄い力を感じて、次の瞬間には道の端に座り込んでいた。何かがお腹を滑る気配を感じて、呆然とそちらに視線を向けると、その正体は腕だった。



「大丈夫?」



 顔を覗き込まれてハッと我に返った。助けてくれたのは、骨董品店の店主のタブルさんだった。



「あ、ありがとうございます…。」



 非常に正直なところ、私は彼が苦手だ。小さい頃はバンの影響で、世界各国の骨董品を扱う彼の店によく行っていた。骨董品の中には古本も混じっていたから、字の勉強がてらによく読ませてもらったものだ。そんな風にお世話になったのに、私が彼を苦手な理由。それは恐らく、彼が私を好いていないからだ。昔は店に行くとやたらと避けられたし、かなり素っ気なかった。だからバンが姿を消して程なく、私は骨董品店に行かなくなったし、タブルさんとの接点もめっきり減ってしまっていた。



「無茶はしないように。」



 私の頭を一撫ですると、彼はスッと立ち上がった。



「すげぇ軽い身のこなしじゃねぇか!」

「アンタ意外とやるなぁ。」



 声をかけられる彼は、困ったように笑っていた。確かに、言われてみれば。細いと思っていた腕は逞しかったし、のんびりしていると思っていた身のこなしは軽やかだった。それに、何より…嫌われてなさそうだった。

 後日、私はお礼のお菓子を手に骨董品店を訪れていた。



「ごめんくださーい…。」



 恐る恐る店内を覗き込むと、店内はひっそりと静まり返っていた。思い返してみれば、元々繁盛していたわけではない。なのに10年以上も続くこの店、採算は取れているのだろうか。そんな失礼なことを思っていたところ、奥から声がかかった。



「あら、メグ?」



 ひょっこりと顔を覗かせたのは、昔からこの店の手伝いをしているミナさんだった。



「ミナさん。」

「どうかしたの? 珍しいわね。」



 ミナさんはこの下町には珍しい、上品な笑みと声音で私に訊ねた。店主……タブルさんは苦手な私なのに、どうにもミナさんのことは大好きで仕方がない。下町に不釣り合いな気品やスタイルの良さや、何よりその美人さ。純粋に外見も美人だが、何より中身が美人な彼女は町のマドンナだ。



「あ、えっと、タブルさんは…。」

「奥で寝てるわよ。呼ぶ?」

「でも起こすのは…。」



 困ってモジモジし始めた私に、彼女は優しく笑った。



「きっとそろそろ起きるわ。」



 少し店の中でも見て待っててと言うミナさんのお言葉に甘えて、私は約10年ぶりの店内を物色し始めた。さすがにあの頃から少し変わってはいるけれど、纏う独特な雰囲気はそのままだ。懐かしいな…。あの頃は、本に飽きては骨董品を眺めて、それに飽きたらまた本を読んでの繰り返しだった。この骨董品の故郷は、バンが話してくれたあの国なのかもしれない。バンはどこで何をしているのかと、想いを馳せながら。



「やぁ、お待たせしちゃったみたいで悪いね。」



 不意に声をかけられて振り返ると、そこにはタブルさんがいた。どうやら本当に寝起きらしく、目がボンヤリとしている。ミナさんもミナさんだが、タブルさんもタブルさんで、あまりこの下町には似つかわしくない気品を感じさせる。



「いえ…。あれ?」

「ん? どうかした?」

「タブルさん、その傷…。」



 彼はいつも長袖のシャツを着ていて、腕は袖に隠れてしまっているので気付かなかった。腕に痛々しい傷跡が残っている。タブルさんは勢いよく傷を隠すと、取り繕ったような笑みを浮かべた。



「見苦しいものを見せたね。昔の古傷でね。あまり良いものではないから、忘れて。」

「……うん。」



 あの傷…。私はお礼のお菓子を渡すと、世間話もそこそこに店を出た。

 その夜、そっと窓を開けた。一似をしてあの屋根に登ったことがある。まだ小さい頃だった。案の定足を滑らせた私は、屋根から落ちかけた。バンが助けてくれたからよかったものの、死ぬほど叱られたのは言うまでもない。その時、バンは腕に怪我をした。今日店で見てしまった、タブルさんの傷と同じ箇所に。



「……。」



 まさか、ね。私は自分の考えに嘲笑した。バンはもう少し乱暴だったし、金髪金眼だったし。一方のタブルさんはすごく丁寧で、黒髪黒眼、おまけに眼鏡がないと何も見えない程の視力の悪さだ。そう。タブルさんがバンなわけない。もしバンだったなら、どうして隠すのか。私の前に10年も姿を現さなかったのか。考え出す度に、あの優しい思い出が悲しいものになってしまう気がする。…止めよう。私はそっと窓を閉めた。

 そういえば、とふと気が付いた。怪盗ミングの予告状では、予定は明日だったはず。街中に警官隊がやたら多くいるなと思ったが、そういうことかと納得する。本当に盗みに入るのだろうか。果たしてそれは成功するのだろうか。

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