ふたりの過ち

野々山りお

ふたりの過ち

 玄関で出迎えた私を見て、先生は少し首を傾げた。


 どうやら母は、今日家庭教師を休みにする件を先生に連絡し忘れたらしい。


 これはチャンスだ。


 これまで何度も「大好き」と伝えてきたのに、相手にされなかった。それはきっと親を気にしてのこと。


 母は親戚のお通夜に行ってそのまま向こうに泊まってくるし、父は緊急オペが入って帰ってこない。


 今日しかない。そう思い、私は笑顔を作る。


 なのに先生はドアを開けたまま入ろうとしない。


「こんばんは、綾華あやかさん。今日はお母さんは?」


「先生、中にどうぞ」


「親御さんの許可なく入れませんよ」


 いつもは母が玄関で出迎え、私の部屋に連れて来る。


「母は今、手が離せなくて玄関に来れないの。父は今日も緊急オペ。ね、開けたままだと寒いから、早く閉めて」


 決して嘘ではない。母は玄関に来れないのだから。


 先生は少し悩んでいたけど、薄着の私を見かねてドアを閉めてくれた。


 ガチャリという音を聞き、口元が緩む。

 これでふたりきりだ。


「どうぞ」


 スリッパを出し、私は先生を待たずにリビングに戻る。玄関に残されたらもう来るしかない。

 予想通り先生はこちらに来た。



「コート掛けるね」


 私が手を伸ばしても、先生はコートを脱ごうとせず、部屋を見渡している。


「お母さんは?」


「いないよ」


 隠す気はない。


「え?」


「お通夜に行ってるの。今日は帰ってこない」


「帰ります」


 先生が玄関に戻ろうとしたので、慌ててその手を引く。


「待って、先生。女子高生が夜にひとりきりって危ないでしょう? だから、一緒にいて?」


 私は高二で、先生は大学二年。年だってそう離れてない。年頃の男女が家にふたりきり。何が起こってもおかしくはない。



「ね? 今夜だけ。一夜の過ちでいいから」


 手を握ったまま、もう一歩近寄り、先生を見上げた。

 

 すると、静かな空間に、溜息の音が響いた。


「ったく、これだから盛りのついたガキは」


「え?」


 いつも丁寧な先生の言葉とは思えなかった。


「一夜の過ち? 予め過ちってわかってんなら避けるに決まってんだろ。しかもそれ、俺にしかリスクがないやつじゃん。無理無理」


 荒っぽく手を振り払われる。


「そこそこ賢い生徒かと思ってたのに、こんなレベルの低いこと言う女でがっかりした」


 突然の豹変に言葉が出ない。

 私を見下ろす先生の目はとても冷たかった。


「さっきの色仕掛けのつもり? 俺、未成年に手ぇ出すほど困ってないから」


 鼻で笑う様子は、まるで別人だ。


「帰っていい?」


 冷たくそう問われ、私は小さく頷くしかできなかった。


 固まった私を置いて先生は玄関へ向かう。



 どうしよう……。


 まだちょっと混乱しているけど、確実なのは、先生を怒らせてしまったということ。これは、よくない。


 私は先生を追う。


「先生」


「まだ何か?」


 呆れた声で、こちらも見ずに靴を履いている。


「あの、ごめんなさい……」


 とにかく謝らなくてはと思った。

 無理やり家にあげて、先生にとって不快なことをしてしまったのだ。浮かれていた私が全て悪い。


 すると先生は振り返り、私を見下ろした。

 居た堪れなくて、私は俯く。


「少しは勉強になりましたか?」


「え?」


 顔を上げると、いつもの優しい先生がいた。


「綾華さんが話がわかる子でよかった。今後はこんなことはないようにしてくださいね」


 待って、さっきまでのあれは、演技?


 言葉にならず、口をぱくぱくとさせていると、先生はくすりと笑い、こちらに顔を近づけた。


「俺を誘いたいなら大人になってから出直してこい。一生思い出したくない過ちになっていいんなら、遊んでやるよ、お嬢様」


 嘲笑混じりにそう言われ、思わず息を呑む。

 先生が出ていくのに、体が強張って動けない。



 ガチャリという音がやけに大きく響き、私はひとり玄関に取り残された。


 ……はぁ。


 数秒して、ようやく息ができた。心臓は相変わらずうるさいし、顔も熱い。


 びっくりした。あんな人だったなんて。私、先生のこと、何もわかってなかった。


 短い時間に激しく感情を掻き乱された。


 私が調子に乗ったから、からかわれたのだ。そうとも気づかず取り乱してしまって恥ずかしい。


 だけど……。

 あれは反則。


 今日の先生を知って、ますます好きになってしまったから困ってしまう。


 だって普段とのギャップ! ずるすぎる。いくつ顔があるの? あんなの見せられたら、もっと先生のいろんな姿を知りたくなっちゃうって。


 それに、先生はきっと知らない。私が再来月の4月に18歳になることを。先生が思うより私が大人になる日は近い。

 あと2ヶ月で正々堂々と先生を誘える。そう思うと頰が緩む。



 何も知らずに浮かれていたのは私の過ちだった。

 だけど、怒ったまま帰らずに、からかったことを種明かしする優しさを見せたのは先生の過ち。


 追いかけて大好きだと叫びたいのを我慢する。だって、次のふたりの過ちは、大人になってからだから。


 それまで先生が家庭教師をやめないように、もう諦めたふりをして、真面目な生徒を演じることにしよう。

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ふたりの過ち 野々山りお @nono_rio

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