多忙
幽霊館に戻って碇さんをゲストルームに案内したあと、事務所で報告書を書く。事務所には私と雲雀さんだけ。雲雀さんはソファで寝転んでしまっている。
静かな事務所に電話が鳴った。当然、私が出る。
「はい、課長は席を外しておりまして」
近頃、課長への電話が多い。犬飼先輩が言うには他区で碇さんのような重いケースが発生すると、課長に助言を請う電話が後を絶たないのだという。私は折り返す旨を伝えて電話を切った。
課長の書き物机に電話連絡要のポストイットを貼り付け、再び報告書を書く作業に戻る。すると、雲雀さんの声がパソコンを叩く私の背中に届いた。
「碇は49日、もたないかもしれねぇな」
「もたないってどういうことですか?」
私は手を止めてソファで長い足を組んで寝転ぶ雲雀さんを見つめる。雲雀さんは天井を見たまま淡々と話した。
「基本的に幽霊は49日で悪霊堕ちだ。だが、強烈な恨みや執念、愛増を煮詰めた幽霊は早堕ちする」
「そんな……じゃあ碇さんはいつ悪霊化しても、おかしくないってことですか」
雲雀さんが頷く。悪霊化は必ずしも時間の問題ではなく、感情の濃度で決まるというのか。碇さんはブラック企業の社長への復讐心が濁り切ったあとで、莉乃さんへの執着の粘度も過熱している。
「危ういな。もうひとつ何か間違えば、確実にイくな」
「も、もしそうなったら」
「俺が撃つ」
雲雀さんは即答した。
俺の担当は絶対悪霊堕ちさせねぇと言う雲雀さんだ。しかし、いくら雲雀さんが有能であっても、悪霊堕ちゼロなんてのは無理なのだ。私にだって、それくらいわかる。
だって人の気持ちは決して、他人が矯正できるものではないから。
雲雀さんの兄、一也さんがそうであったように。矯正できない強い意志が存在することを、雲雀さんは誰より知っている。それを知っていてなお、絶対に悪霊堕ちさせないと掲げる苦しい道を彼は選んでいるのだ。
そしてどうしてもダメだった場合。処理の責任まできちんと、雲雀さんは引き受ける。雲雀さんの仕事に対する姿勢は真摯で、ひどく胸が痛い。
「執着で悪霊化したら、最初に命を狙われるのは莉乃だ。碇にそんなことさせねぇよ。早く次の何かを見つけねぇとな」
雲雀さんは寝転びながらもずっと碇さんたちのことを考えている。怖い顔のくせに、彼は幽霊に人一倍、優しいのだ。碇さんに成仏してもらいたい。雲雀さんに担当を撃たせたくない。私も気合が入る。私はパソコンを閉じて、びっと勢いよく立ち上がった。
「ウッス、雲雀さん!絶対に何か見つけてみせます!」
私が気合を入れて両拳を天井に振り上げると、雲雀さんがふっと笑った音がした。すると同時に、夜勤の犬飼先輩が事務所のドアを開けた。
「お疲れ様ッス!指輪はどうなったッスか、あっと」
犬飼先輩に今日の報告をしようと思ったが、電話が鳴った。犬飼先輩がすぐに受話器を取る。そこにスマホで電話をしながら課長が入ってきた。課長は私たちに軽く手を上げて挨拶しながら通話を続ける。
雲雀さんが身体を起こしてソファに座ると、今度は開け放ったままだった扉を受付課の職員がノックした。
「新しいお客様をお連れしました」
「あ、はい。担当はあとで決めるので、とりあえず私が案内します」
資料を受け取り、新しいお客様を碇さんの隣のゲストルームに案内した。私はゲストルームの扉に背をとんと預けてひとつ息をついた。
碇さんで手一杯のときに次のお客様。今から私は莉乃さんの付き添いに出る。そろそろキャパオーバーが見えてきている。だが、泣きごとも言ってられず、私は両手で頬を叩いてから事務所に戻った。
「依月君、お疲れ様。集合してくれるかい」
課長の書き物机を全員で囲む。雲雀さんがポケットに手を突っ込んで舌打ちした。ヘルプ案件発生だと予想する。私が眉を顰めると課長が渋い声で言った。
「依月君が察した通り、ヘルプ案件が来ている。緊急だ」
「緊急?」
「49日を待たずに早堕ちしたときは緊急でヘルプ出すしかなくなるッス」
「あ……そっか」
49日のリミット通りであれば、ヘルプ案件は数日前に打診される。しかし早堕ちの場合は予定外。ということはすでに悪霊化してしまったということか。
「今、悪霊はどこに」
私の初心者丸出しの質問に犬飼先輩がきちんと答えてくれる。
「各幽霊館にある成仏ゲートの部屋は結界も兼ねてるッス。悪霊が発生したときは成仏ゲートの部屋に閉じ込める訓練、したッスよね」
私はそういえばやったなと思い出した。幽霊館職員は巴さんが作った転移札を常備していて、悪霊にそれを貼り付け、成仏ゲートの部屋へと転移させる。霊術師が来るまで、そうして持ちこたえるのだ。
「ヘルプ案件が、世田谷区と港区、さらに品川区から同時に来ている」
「三件も?!」
「私もできる限り助言はしていたのだが、力及ばずだった……」
課長への重いケースの相談電話が増加していたのは知っていた。あの電話相談の結果がこういう形で現れるのか。
「厄日ッス……たまにあるんスよね、こういう日」
「ど、どうするんですか?」
「雲雀君が二件、私が一件対応する」
「課長も霊術師ですもんね」
「雲雀君の500分の一にも満たない戦力だがね」
課長は穏やかに微笑む。さすがの雲雀さんも三件一気には動けない。
「雲雀君には道案内が必要だ。莉乃さんの付き添いは女性しかできないので道案内には犬飼君についてもらう」
こういうとき、雲雀さんの迷子体質は不都合だ。人を割かれてしまう。しかし、雲雀さんの圧倒的戦力は絶対に必要なものなので仕方ない。
「先ほど新しく来た幽霊は受付課に無理を言って、夜の見守りをお願いする。しかし、情緒不安定な碇君を受付課には頼めない。依月君、申し訳ないが今宵も碇君を連れて、莉乃さんの付き添いをお願いする」
また、碇さんと莉乃さんをセットにする夜がやってきてしまった。
しかも、前回よりさらに執着を煮詰めている碇さんはもう何が間違いで悪霊化するかわからない危うさだ。私にかかった任務の重さは皆が理解していた。課長が私を安心させようと渋みある声を出す。
「私が一番早く戻る。病院に碇君を迎えに行くから、それまで辛抱だ」
「なにかあったらすぐ連絡するッスよ!」
「ウッス!」
課長と犬飼先輩が勇気づける言葉をくれて、私は大きな声で返事をした。ビビっている場合ではない。二人セットにすることで危険はあるが、何か気づきもあるかもしれない。柔道の試合でも必ず訪れる。ピンチをチャンスに、変える瞬間だ。
「おい、野々香」
解散してバタバタ出発の用意をし始めると、雲雀さんが私の前に立った。濃い眉間の皺。勝手なことすんじゃねぇぞと釘刺し頭突きされるかと思った。
「だてに俺の
私は目を瞠った。
「何か見つけるんだろ。碇と莉乃をしっかり見ろよ」
お前なら、できると言われた気がした。
「終わったら飲み行くぞ」
私はにっと笑ってしまった。私の額にかかる短い前髪がくすぐったく揺れる。
「ウッス、雲雀さん!」
さあ、怒涛の夜の、始まりだ。
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