観察
私は莉乃さんに会えると喜ぶ碇さんを連れて病室を訪れた。病室のドアをノックしようとすると中からバンと先に開いた。鼻先にぶつかりそうになったドアを避けると、中から警察官の里中さんが現れた。ぶ厚いマスカラが嵐を起こしている。
「依月ちゃん!いいところに!莉乃ちゃんいなくなっちゃった!」
「え?!」
「ちょーっと化粧直しに行った間だったの!」
雲雀さんのやらかす予言が、しっかり当たってしまった。化粧直しと言って十五分くらい居なかったのではと思えるマスカラの太さ。だが、責めても始まらない。
「さ、探しましょう!」
「アタシが看護師さんたちに伝えてくる!」
ぷりんぷりん胸を揺らす里中さんが伝達に走る。私は私の後ろで千切れた左肩を眺める碇さんに詰め寄った。
「碇さん!莉乃さんがどこに行ったか心当たりはありませんか?!」
「……もちろんありますよ。けれど、言ったら君は莉乃の決断を阻むでしょう?」
「当たり前です!」
碇さんは病室の格子付き窓から外を眺めて、のんびり言った。
「言いません。莉乃はやっと自由になれた」
「碇さん!」
碇さんは口を引き結んだ。これ以上、碇さんに言っても無駄。私は髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回して唸りながらしゃがみこんだ。
考えるのは一番苦手だ。雲雀さんがいれば、とよぎって頭を振った。
ヘルプ案件は成仏課全員をすり減らす。みんなそれぞれの場所で頑張ってる。体力バカなだけじゃ成仏課職員は務まらないのだ。私もない頭で全力を尽くす。
何か見つけると、宣言したのだから。
『碇と莉乃をしっかり見ろよ』
雲雀さんの言いつけを思い出す。雲雀さんが赤ちゃん幽霊、勇気君の未練を見つけたとき。雲雀さんは勇気君をじっくり観察していた。
もの言わぬ相手には観察だ。倣え。
私はニタニタ笑う碇さんの視線を追った。碇さんはベッドサイドの棚に置かれたシルバーリングを見つめている。碇さんの指輪より一回り小さい指輪。莉乃さんのものだ。
私は莉乃さんの指輪に飛びついてさらに観察する。指輪の内側には碇さんのものと同じ文言。
英語で「天空で永遠を誓う」と書いてある。ロマンチックなはずの言葉に胃が冷たくなる。空へ、連れていかれてしまう。
「天空で、天空で……天空でってそっか、場所か!」
もしかしてプロポーズの場所か。婚約指輪ならプロポーズ場所を刻むことがあるはずだ。私はスマホで受付課が作ってくれた成育歴の資料を参照する。
「これも目黒、こっちも目黒、目黒」
二人とも生まれも育ちも目黒の幼馴染。大学、就職、現住所いづれも目黒。そして極めつけは二人のペアルック、MEGUROデザインのシャツだ。二人は目黒推し。なら、目黒でプロポーズするのではないか。
「依月ちゃん、ごめんね~ちゃんと幽霊館には連絡しとくから~」
病室に戻った里中さんが睫毛をバチバチさせて甘えた声を出す。いらっと来るが、トレンドに明るそうな里中さんならロマンチックなプロポーズ場所に覚えがあるかもしれない。私は里中さんの両肩につかみかかった。
「目黒区内でプロポーズするならどこですか?!」
「へ?」
「天空に近くてプロポーズするところ!どこかありますか?!莉乃さんはそこへ行ったかも!」
里中さんはえっとぉとしばらく考えた。スマホで何回か検索を行い、私にスマホ画面を見せてくれた。
「目黒、天空庭園?」
「目黒天空庭園はね、首都高速道路の屋上にあるドーナツ型の公園!場所が独特でぇ、夜はライトアップで雰囲気良いよ!プロポーズもあり!」
「屋上公園って……もしかして高い所ですか?」
「高さは30メートルくらいって書いてるね」
「行ってみます!」
私は里中さんにお礼を言って病院を飛び出した。碇さんは私の後ろを静かについて来た。私は碇さんの口をこじ開けることはできない。
けれど幽霊の碇さんだって、生きた私を物理的に止めようと思っても止められないのだ。
凍える冬の夜が訪れた目黒天空公園は、首都高速道路の大橋ジャンクションの屋上に広がるユニークな空中庭園。
通常の公園とは異なり、巨大な円形構造の上に造られたこの場所は、まるで空に浮かぶ緑のオアシスのような造形だ。
「莉乃さん!莉乃さーん!」
園内は緩やかな傾斜を描く遊歩道が円を描くように巡り、私はその坂を猛スピードで駆け上がった。きっと一番上。天空だから。
私は直感に従い、最速で展望台を目指した。寒風が吹きすさぶ冬空の夜だ。人は誰もいない。
展望台は公園の円形構造の最も高い位置に設けられた、都市の風景を一望できる開放的なスペース。ウッドデッキの周囲には視界を遮るものがなく、目黒の夜景パノラマを存分に楽しめる設計だ。
今の私には展望台に込められた設計の遊び心が狂気にすら見える。高さ30メートルの公園。落ちたらどうする気だ。
ぼんやりと淡いライトに照らされただけの頼りない展望台で、莉乃さんがうずくまっていた。
「莉乃さん!大丈夫ですか?!」
「……ウェッ」
莉乃さんは四つん這いになって展望台の端でえづいていた。何も食べてないのに吐き気が収まらないようだ。よくそんな体でここまできたものだ。莉乃さんの執念も相当だ。
私は莉乃さんの隣にしゃがみ込んで背を擦った。彼女のぬくもりに触れて安心しながら、片手はスマホだ。幽霊館へ莉乃さん発見の連絡を入れた。
私の後ろをついてきていた碇さんが、痛ましそうに眉をひしゃげて莉乃さんの頭を撫でている。
「莉乃、食べ過ぎても吐いてるのなんて見たことないのに……かわいそうに」
私は莉乃さんを支えて立ち上がらせてウッドデッキのベンチに横向きに寝転ばせた。碇さんが莉乃さんに付き添う。私は碇さんの言葉に違和感があった。
「今日も、食べてないですよね……莉乃さん」
莉乃さんは答えない。口元を押さえてわずかに動くのもつらそうだ。
観察し続けろ。違和感は何だ。直感を逃がすな。
莉乃さんは点滴で栄養を取っている状態で、精神的に辛いとしても吐き気がここまで続く要因は少ないはず。なのに続く吐き気。私の中で観察と経験が繋がる。
私が通っていた柔道場で、屈強な女性の先輩がいた。でも彼女が吐き気でへろへろになったことがある。そのとき、彼女はご懐妊だった。
「莉乃さん……妊娠の、可能性は」
私がぽつりと声を落とす。
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