野々香の休日業務

休日カフェ

◆◆


 腰折れおばあさんの巴さんは翌日までにピアスの修理を終えて、私たちは目黒区に無事帰ってきた。初めての出張は濃い時間だった。


 私の頭には多すぎる情報を消化しきれなかった私は、休みが重なった白雪さんを三階建てのコーヒー専門店「ブーム」に誘った。どうしても誰かに聞いてもらいたかった。上品で真白なワンピースでまとめた休日の白雪さんは今日も美しい。一緒にいるだけで私も可愛くなれる気がする。


 昼下がりのブームの二階、明るい陽が満ちる空間のテーブル席で、濃厚な抹茶ラテを二人で嗜む。私の出張話を聞いた白雪さんはメイクの整った目を丸くした。


「野々香ちゃんが雲雀さんの婚約者だった?!」

「食いつくのそこですか?!」


 静かなフロアで大きな声を響かせてしまって二人で口を塞ぐ。まばらな客たちの視線が一気にこちらに向いてすぐに去った。白雪さんは笑わない目で微笑んだ。


「私の可愛い後輩の野々香ちゃんにそれって……死刑宣告かしら?」

「白雪さんって雲雀さんのこと本当に好きじゃないですよね」

「好き嫌いなんてないわ。ただ生き方のスタンスが合わないの」


 白雪さんの笑わない微笑みは彫刻のようなのに、雄弁で好きだ。白雪さんは私のお母さんに少し似ている。お母さんは笑いながら怒る人だ。


 お母さんは私の記憶がないことを知っていたはずだ。だが、私に何も教えなかった。お母さんは私と封鎖村を関わらせたくないのだ。役所OLは守秘義務がある。私が幽霊と関わっていること自体、お母さんに内緒である。


 母子家庭だったが、お母さんは三年前に再婚。やっと幸せになったお母さんに余計な心配はかけたくない。だから、出張で知った昔のことについて、お母さんに話さないと決めていた。


 白雪さんが洗練された仕草でカップを置いた。


「名家だった雲雀のおうちはもう終わってるのよね?野々香ちゃんも覚えてないなら、婚約は反故よね」

「そうだと思います……でも深い縁はあるんだなぁって考えちゃうのと、あと、器の話は興味深くて」


 婚約の約束にこだわるつもりは全くない。だが、「魂の器」の才能を埋もれさせるのは、腰曲がり巴さんが言うように、もったいない気がする。ずっと柔道をやってきた経験から言えば、才能のある子を伸ばすことは柔道界全体のためになる。


「雲雀の家はもう実質ないですけど、今は幽霊館があります。私の才を伸ばすことで、幽霊たち全体のためになるんじゃないかなって考えたり」


 白雪さんが抹茶が香るカップに指を添わせる。


「今は霊術師の数自体が減ってるから。特にヘルプ業務は雲雀さん一人に大きく負担が偏ってるのが、幽霊館全体の実情ですものね」


 白雪さんは現実的な問題を指摘してくれる。彼女の笑みは柔らかく、声も包み込むようにあたたかかった。雲雀さんの話は楽しくないだろうに、きちんと聞いてくれる。白雪さんは心から美しい人だ。白雪さんの凛とした声が耳に優しい。


「野々香ちゃんは、一人で重責を負い続ける雲雀さんの……力になりたいって聞こえたわ」


 白雪さんに本質を突いてもらった気がした。私はぐいっと抹茶ラテで口内を満たす。甘さと苦さが絡み合う。両方の味を飲み込んで私は顔を上げた。


「そうですね……私、雲雀さんの荷物を一緒に持ちたいです!」

「野々香ちゃんは自分から逆境に飛び込んで行って……損するタイプで心配だわ」


 白雪さんは眉をハの字に下げて困ったように笑った。


「でも才能を伸ばすって言っても、誰に教えてもらえばいいのか」


 私は腕を組んで首を捻った。誰に師事するかはとても大事だと柔道をやってきた身から実感している。白雪さんがまた彫刻の笑みに戻る。


「雲雀さんはダメよ」

「どうしてですか?一番身近ですけど」

「あの人はやり過ぎるから。野々香ちゃんを潰しかねないわ」

「いや、そんなこと……あるかも」


 一般人にオーバーキルする雲雀さんが、頑丈な私をオーバーキルするなんて目に見えた未来だった。私が雲雀さんに踏みつけられる想像をしたとき、私のスマホが振動しだした。


 着信の画面表示は雲雀さんだ。また彫刻の微笑みを炸裂させる白雪さんにちょっと笑いながら、私は電話に出た。


「野々香、今どこだ」

「目黒のブームです」

「課長と犬飼は担当ができた。俺は事務所番。お前はババアの相手だ」

「え?どういうことですか?」

「今からババア行かせるから相手しとけ」

「あの私、休みなんですけど」

「あぁ?お前、俺の部下だろ?」


 電話は無情にも切れてしまう。理不尽過ぎる。要件も謎だったが仕事をしろという話だったような気がする。私が白雪さんの顔を恐る恐る見ると、白雪さんの鉄扉面が輝いていた。白雪さんの冷たい声が怒りに満ちる。


「まさか、私と野々香ちゃんの休日を邪魔する……雲雀さんからのお仕事電話かしら?」

「あ、はい」

「野々香ちゃん、NOを言うのは大事だと思うわ。でも彼相手に無理なこともあるのもわかるの。しかし!私はNOよ!お先に失礼するわ。また幽霊館でね」


 白雪さんはワンピースのスカートを靡かせて、軽やかな花のように笑って手を振っり帰って行った。


「かっこいい……」

「なかなか気丈なベッピンじゃな!」

「え?!巴さん?!」


 今まで白雪さんがいた席に、腰曲がりおばあさんこと、巴さんが座っていた。腰が曲がり過ぎてテーブルと頭こっつんこしそうだが、顔だけは私を向いている。やはり雲雀さんが言うババアとは巴さんか。

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