コーヒー専門店
まだ今日は雲雀さんを家に送り届ける任務が残っている。
雲雀さんはぐるぐる同じような場所を1時間程度歩き回って、やっと立ち止まった。今まで一度も見なかった私を見た雲雀さんと目が合う。
「帰るぞ」
「ウッス、雲雀さん!」
雲雀さんの眉間の皺は深かったが、海の底ほどではない。帰るの意思表示が出たので私は彼を誘った。
「雲雀さん、一杯やっていきますか!」
「お前まだ飲めねぇだろ」
「そこは法律を守らせる気があるんですね」
「俺は法律を侵したことなんてねぇよ」
「どの口が言うんですかそういうこと!?」
役所職員の顎に拳銃を突きつけていた雲雀さんが言うと、恐ろしい認識である。雲雀さんの中のモラルとは。私は聞かなかったことにして、雲雀さんを案内した。
港区から脱出して、ホームの目黒区へ。
しっとりした夜の目黒川沿いを歩き、やってきたのは。カルフォルニア発の世界的に有名なコーヒー専門店「ブルームーン」青の月なんて洒落たネーミングだが、通称は「ブーム」だ。
ブーム目黒店は三階建て、モダンであり和の趣きを持つ切妻屋根の建物。この大きな建物の一階から三階すべてでコーヒーを多種多様な味わいで提供するカフェ&バーだ。私の隣に立つ雲雀さんは、ブームの前で建物を見上げた。
「雲雀さん、コーヒー好きですよね?」
「犬飼に聞いたのか」
「情報源が即バレですね」
入口の硝子扉を押し開け、雲雀さんの背を軽く押す。店内は三階まで吹き抜けの解放感あふれる天井に焙煎の蒸気がふわりと広がり、コーヒーの深い香りが満ちていた。ブームでは一階でコーヒー、二階でティー、三階でバーを楽しめる。雲雀さんを階段へと導き、目指すは三階。
「私と犬飼先輩はメッセで連絡取りまくってるので、雲雀さんの取り扱いについて引継ぎは完璧です」
ヘルプの依頼後、犬飼先輩から届いたのは「壱哉さんマニュアル」だ。ヘルプ後はここに連れてくるのが定番らしい。ならば私もそれに倣う。ダメージを受けた時の、自分立て直しルーティンは大事だ。
まばらに人が行き来する階段を上がっていく。
三階は金の星や月のオーナメントが落ち着いた間接照明に照らされて揺らめき、ぐっと都会の夜の雰囲気が増す。雲雀さんを案内したバーカウンターは、磨き上げられた銅の装飾が柔らかく光っていた。
「コーヒー専門店でお酒が飲める場所なんて、ここくらいですからね!さすが犬飼先輩!何飲みます?」
カウンターチェアに座った雲雀さんは足を組んで舌打ちをした。
「犬飼から聞いてんだろ」
「はい!じゃあ、いつものってやつで!」
舌打ちは気を使われて少し気恥ずかしいという音に聞こえた。舌打ち一つで機嫌をくみ取れるようになりそうだ。
雲雀さんがアイリッシュコーヒーのカクテルを飲み続ける横で、私はもりもり石窯カンパーニュを食べる。カウンターに頬杖をつく雲雀さんは私を見た。
「よく食うな」
「雲雀さんもお酒だけ飲んでないで食べた方が良いですよ?」
「うるせぇ、バーカ」
バーカが小学生レベルの返答なので、ぼちぼち酔ってるのかもしれない。このまま酔い潰してお家に連行するまでがミッションだ。「ほろ酔いになってくるとガードが緩くなるので、言いたいことはこのタイミングで言うと良い」犬飼マニュアルの指示だ。
私はシナモンロールの残りを飲み込み、目蓋が重そうな雲雀さんを見つめた。
「さっきの拳銃って本物ですか」
「弾以外はな」
「雲雀さんって腕力で何でもいけそうなのに拳銃使うんですね」
「これが一番速いから、痛みが少ないだろ」
処刑の際に、わずかでも苦痛の少ない方法を選んでいると聞こえた。
「弾は悪霊を抹消するための、俺の霊力だ」
「霊力ってそういうこともできるんですか……雲雀さんって色んな霊術使いますけど、いくつくらい使えるんですか」
犬飼先輩が課長は雲雀さんほど多彩ではないと言っていた。課長が一つの術を使うとして、雲雀さんはどれくらいなのか気になった。カプチーノを飲みながらニューヨークチーズケーキにフォークを刺すと、雲雀さんが耳の黒ピアスに指で触れた。
「これの数だけ」
チーズケーキを口に入れた私は雲雀さんの耳に刺さった無数のピアスを数えてみる。私の視線を辿った雲雀さんがふっと口端を上げた。
「身体のも見せてやろうか」
「け、結構です!」
常に威圧的な雲雀さんだが、お酒を飲んでやや柔らかいせいか色気なんてものが漏れている気がした。ふっと微笑まれるとうっかり動悸がしてしまった。雲雀さんはアングラ界隈ではモテそうな美顔なのだ。私は動悸を誤魔化すように、次は苺のタルトにフォークを突き立てた。
「雲雀さんは術を使うために、身体に穴を開けるってことですか」
「逆だな。人間らしくするためにピアスを刺す。霊力制御だ」
「霊力を抑えるためのピアス?」
「お前に倣って言えば、俺は霊力バカ。制御しておかねぇと……俺は悪霊寄りの生き物だからな」
雲雀さんの声は少し切なく響いたのだが、私は苺タルトを大口で口に入れてパッと言った。
「悪霊寄りとか言われても。普通の人間から見たら雲雀さんはただの凶悪なヤクザなんで、意外でも何でもないですけどね!」
「ハッ!お前マジでウケるわ」
雲雀さんは噴き出すように笑って立ち上がった。私は事実を言っただけだが、ご機嫌になったようで何よりだ。洗面所向へかうようだが、どこに行くかはまず言って欲しい。二度と帰って来ないくせに。
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