復讐心

 私がドアを開けると、金切り声が響いた。


「私は絶対にあの男を許せないのよ!」


 女性の霊が、ソファに座った雲雀さんの胸倉につかみかかっていた。ヤクザにつかみかかるとはなんとも命知らずなと思ったが、もう死んでいると怖いものがないのかもしれない。


 左半分だけのあまりに生々しい体つきに驚いてしまったが、激昂しているのを見ると人間らしくて逆に親近感が湧いた。


 雲雀さんは霊に胸倉を掴まれてぐらぐら揺らされながらも反撃することはなく、私に片手で資料を渡す。


「絶対!絶対に!殺してやる!!」


 女性の暴力は雲雀さんに全く効いていないが、雲雀さんは怒ってもいないようだ。


 勇気君のときも思っていたが、雲雀さんって幽霊にものすごく優しい。私にも、もう少し優しくてもいい。


 私は資料にさっさと目を通した。白雪さん作の資料はさっと頭に情報が入って来る。


 雲雀さんにつかみかかっているのは杏梨さん26歳。


 目黒区在住でトラックにはねられて亡くなったようだ。トラックにぶつかった理由は。


「彼氏の浮気現場を……目撃?」

「そうなのよ!私たちが一緒に暮らしていた部屋で、私たちが一緒に寝てたベッドであいつ……他の女と寝てたのよ!」


 杏梨さんは顔は擦り傷程度。顔だけ見れば綺麗なままだ。ナチュラルなメイクに栗色でウェーブした長い髪。ふわふわのシフォンブラウスが彼女のファッショナブルな性格を物語っている。そんな美意識の高い彼女をこんな姿にした罪は、重い。


「私が帰ったら浮気相手と抱き合ってて、こっち向いて『あ……おかえり』って、バカじゃないの!死んでよ!」


 脱力した杏梨さんはわんわん泣きながら雲雀さんの膝に縋りついた。


「クソが」


 雲雀さんは一見、女を蹴飛ばしそうな顔をしている。だが、杏梨さんが縋りつくのをそのまま受け入れて、チッと舌打ちを一つしただけ。その舌打ちは杏梨さんではなく、クソ彼氏に向いていたのではないだろうか。


 浮気現場を目撃した杏梨さんは混乱して夜道を走り、そのままトラックにぶつかって死んでしまった。


 彼氏への恨みが未練になるのはよくわかる。私だってそんなことされたら彼氏を殺してやりたくなる。しかし、さすがに、公的機関の役所として殺人はできない。


「絶対、成仏なんてしてやらないから……!」


 杏梨さんの悲鳴のような泣き声がゲストルームに響きわたって一時間は経過した。


 雲雀さんは、どけとも言わずに膝で杏梨さんを泣かし続けている。私は突っ立ったまま泣き声を受け入れて、彼女の半分だけの身体をじっと見つめていた。


 もうスプラッタの身体を気持ち悪いとは思わない。ただ、彼女が憐れで辛かった。彼女の涙が息切れしてきたころ。雲雀さんが、杏梨さんのふわふわした髪の頭をがっと握った。


 杏梨さんが泣き腫らした顔を上げる。ついに殴るのかと思ったが、静かな声が言い放つ。


「おい杏梨、復讐するか。手伝ってやるよ」


 にっと口端を上げてニヒルに笑う雲雀さんが言うと、冗談には聞こえなかった。これはガチで人が死ぬかもしれないと胃がキュっと縮む。


 勇気君のとき、窃盗が許された。もちろん後で返却した。報告書にも正直に記載したが、課長からお咎めはなかった。


 幽霊成仏課的に、あの窃盗はセーフなのだ。では復讐はどこまでセーフなのか。


 雲雀さんの言葉を聞いて、杏梨さんの目にきらりと生気が灯った。


「やる……絶対にやる!」

「どうしてやりたいんだよ、そのクソ男を」

「ぶん殴る。ぶん殴ってぶん殴って、股間を蹴り倒して、それからベランダから吊るしてやりたい!」


 過激。とても過激だった。雲雀さんがハッと声を出して笑った。雲雀さんの笑い声なんて初めて聞いたけれど、寒気しかしない。


「それだけでいいのか?簡単だな、杏梨」

「簡単?!じゃああいつが大事にしてたフィギュア全部燃やして、職場に浮気したせいで恋人が死んだことをリークして失職させて、実家の親に言いつけて天涯孤独にしてやりたい!」

「やってやるよ。全部な」


 杏梨さんの頭を撫でるなんて生易しい触れ方ではなく、鷲掴みにした雲雀さんが口端を持ち上げる。私は悪寒しかしないが、杏梨さんはパッと顔を明るくした。雲雀さんは味方のうちは良いけど、敵なら最悪だと思う。


「ありがとう!雲雀さん!」


 杏梨さんは復讐に心躍るのか、ふわふわと浮いて天井のランプの周りをくるくる飛び回り始めていた。雲雀さんはぐるっと私の方に顔を向ける。地を這う声が地獄を告げ出した。


「おい、野々香。身体、貸せよ」

「やっぱりそうきます?」


 杏梨さんが「ぶん殴ってやりたい」と言っていたところで、私の身体がまた役に立つような気がしていた。私もそんな男、ぶん殴ってやりたい。しかし、課長の注意が気にかかった。


「身体を貸してぶん殴るのは良いですけど、課長が許可取れってさっき」

「結果出した後でサーセンって言えば、課長は許すから良いんだよ」

「課長の信頼を何だと……」

「課長はお前の身体能力を舐めてる。俺も舐めてたが、お前は突出した体力バカだ。俺が認める」


 雲雀さんはソファの縁に首をもたげて、天井を楽しそうに飛び回る杏梨さんを見つめた。雲雀さんに認めるなんて言ってもらえて、ちょっと嬉しくなってしまった。


「憑変化が筋肉痛で済むなんて話聞いたことねぇよ。耐性あるやつで一週間寝込むくらいだ」


 その基準は知らなかったが、霊術師だという雲雀さんが言うのだからそうなのだろう。筋肉痛のみなんて確かに異常だ。


「お前が異常だなんて、課長はすぐ認めねぇよ。二連続案件で体を貸すなんて最初に言ったら、拒否されるに決まってんだろ。課長を説得してるうちに杏梨の気持ちが濁っちまう。恨みを晴らすのは早い方が良い。拗れる前にな」


 拗れてしまえばしまうほど悪霊に近づくと聞こえた。誰だってそうだ。ガンは早いうちに取り除く方が良い。結局雲雀さんの話は杏梨さんのためを思っての提案なのだ。


「どうすんだよ、野々香」


 勇気君の件でもそうだったのだが、私は雲雀さんに対案を示せるほどの思考を持ち合わせていない。なので、私にできることを全力でやる。これが常に私の最適解だ。


「やりまっす!」

「行くか。クソ男の家」


 キャア!と杏梨さんから喜びの声が上がった。まず手始めに彼氏ボコボコ。柔道黒帯が役に立つだろうか。


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