復讐実践

 白雪さんからの資料には彼氏の自宅アパートの住所はもちろん、職場、帰宅時間まで詳細に記されていた。


 幽霊受付課が持つお客様の背景調査能力は探偵並みだ。


 白雪さんの資料に従い、クソ彼氏こと間宮圭太の自宅アパートに到着したのは夕暮れ時だった。


 雲雀さんの指示で私は黒マスクを着用している。もちろん雲雀さんも。黒マスクをつけた雲雀さんの凶悪さったらない。


 形は美しいが鋭すぎる目に、耳なのか穴なのかもうわからないバシバシピアスのツーブロック刈り上げに、黒マスクだ。今から犯罪を犯す気満々の怪しさである。


「雲雀さん、どうしてマスク着用ですか」

「課長から、後でもみ消すときに顔が出てるとやりにくいって指示が出てる。ヤるときは顔は隠せ」

「犯罪をヤるときですね……ウッス」


 課長は私の体を心配して憑依を止めてくれるが、犯罪行為には顔を隠せというだけなのか。どうなってる幽霊成仏課。


 黒い手袋をした雲雀さんは間宮の部屋番号がついた集合ポストを開けて、合鍵を見つけ出す。さっさと玄関前に移動して、ドアノブに合鍵を突っ込んだ。合鍵の場所は杏梨さんが教えてくれたが、こんな隠し場所は不用心過ぎるのでやめた方が良い。


 あっという間に不法侵入が完了して驚いている。犯罪って恐れなければこんなに簡単なのか。これが役所OLの仕事らしい。役所OLって何だっけ。


 間宮の部屋は綺麗とは言い難いが、男の一人暮らしにしては整頓されている方だ。フィギュアがケースの中にきっちり並べられていて、こだわりが感じられる。


「このフィギュアに何円お金かけてると思う?!私にはホワイトデーに薬局で買ったリップ渡してくるくらいなのに!」


 杏梨さんがふわふわの髪を振り乱しながら恨み節を唱えるのをうんうんと聞く。私は間宮のワンルームアパートをぐるっと見回す。壁の薄そうな軽量鉄骨造で、私が本気で暴れたら底なんて簡単に抜けそうだ。


「雲雀さん、こんな壁の薄そうな家で暴れたらうるさくて通報されちゃいますよ」

「俺がそんなヘマするかよ」


 黒マスクをつけた雲雀さんがお札を一枚、玄関の前に貼った。雲雀さんはたくさんついている耳のピアスを一つ外してから、黒手袋の両手を合わせて呟く。


「結界──幽域」


 私の身体にゾワッと悪寒のようなものが一瞬走ったが、それだけで特に何も変わらない。


「何したんですか?」

「この部屋で何が起こっても外には一ミリの騒音もないような空間にしてやっただけだ。壊れもしねぇよ」

「手作りの拷問部屋……」


 雲雀さんみたいに犯罪に抵抗のない人が、霊術という人間離れした技を使う。もう誰も止められないだろう。


「おい杏梨、来い」


 雲雀さんがもう一つピアスを外してから、左手で杏梨さんの手を握った。杏梨さんはきょとんとしている。


 もしかして術を使うために、ピアスを外すのか。今外したのは、勇気君と憑依したときにも外していたピアスと同じ小さなブラックピアス。


 術の数だけピアスが必要だから、数えきれないくらい付けているのかもしれない。雲雀さんが右手を私に差し出した。両手に手を握るやり方は知ってる。憑依だ。


「ヤるぞ、野々香」

「ウッス、雲雀さん!」


 雲雀さんと手を握り、契約の言葉を交わす。雲雀さんの「幽契──成る」の言葉と共に、私の身体にバシンと強い電気が走った。


 ぎゅっと閉じた目を開けて片手を確認する。やはり透けている。フローリングに寝転がっている私の身体が起き上がった。


「すごい、本当に身体だわ!ありがとう、これで存分にぶん殴れる!」


 意気揚々と私の身体で杏梨さんが両手でボクサーシャドウを始める。杏梨さんの元の身体より私の身体の方が力が強いと思うので注意してもらいたい。


「今日は杏梨さんの見た目にしないんですか」

「憑変化は負担がでかい。今回は本人の見た目が必須じゃねぇからな」


 雲雀さんの素っ気ない返事から私への配慮が幾分か汲み取れた。体力バカだとしても省エネ方法を選んでくれているようだ。


 勇気君の時は靴を履くという条件が必要だったから憑変化が必要だった。けれど今回は殴る腕があれば、誰の腕でもいい。雲雀さんの視線が幽体の私に刺さる。


「野々香、離れんなよ。離れたら」

「戻れなくなる!です!」


 私が雲雀さんの指に指を絡めて恋人繋ぎまでしてぎゅっと手を握る。雲雀さんはチッと舌打ちした。


「ナマの時にヤれよ。幽体は温度がねぇ」


 どういう意味かさっぱりわからない。しかもなんでこのタイミングで舌打ちキレされたのだろうか。準備万端のところでガチャっと扉が開いて、小太りの間宮が帰宅した。


「ヒッ!」


 ドアを一歩入って雲雀さんの凶悪面を見た間宮は、本能炸裂でドアから逃げようとした。しかしやや丸い身体をした間宮の鈍い動きでは何の意味もない。


 雲雀さんが間宮の首根っこを掴んでフローリングに引き倒して、長い足で玄関のドアを思いっきり蹴り閉める。


「待てよ、間宮。ゆっくり話し合おうぜ」


 雲雀さんの凍えるように温度の低い声が狭い部屋に満ちた。あまりに手早く暴力が振るわれて私もついて行けてなかったが、手は握ったままなので幽体の私は思いっきり振り回された後だ。


 この人、暴力に一瞬の迷いもない。


「ヒッ……た、助けてくれ、お金が欲しいなら、わ、わ渡すから、い、い命だけは」


 顔がヒクつく間宮の腹の上に、雲雀さんの固い靴底が着地する。家に入るときから私も雲雀さんも靴を脱ぐ気がなかった。


「金なんて要らねぇよ。お前が死んで詫びればな」


 雲雀さんが死刑宣告を渡しつつ、私の顔した杏梨さんを顎で呼んだ。杏梨さんは顔面蒼白で、明らかに雲雀さんの暴行に引いていた。わかる。普通引く。


「おい杏梨、ヤれよ」

「ヒンッ!」


 間宮からキンと悶絶する音が出た。雲雀さんが間宮の股間を固い靴底で踏みつけたのだ。私にはわからないが、金的は死ぬほど痛いらしい。


「俺がここ抑えといてやる。反撃なんてさせねぇから」


 雲雀さんの拷問プロのやり口を見て、杏梨さんは固まっていた。


「杏梨ィ!」


 雲雀さんのドスの効いた大きな声が杏梨さんに刺さる。俯きかけていた愛梨さんの顔がハッと上がった。


「自分でヤらねぇと後悔すんぞ。ヤれるときにヤれ。こんなクズのために死にきれなくてお前が苦しむなんて、おかしなことすんじゃねぇぞ」


 雲雀さんの声はひたすら地下を這っていて恐ろしいが、杏梨さんのためを思った言葉に聞こえた。


 私は柔道をやってきて、人と敵対する経験がある。普通の人にはそれがない。杏梨さんが引っ込んでしまう気持ちもわかる。


 でも後でやっておけば良かったは、一番ダメだ。だってコイツのせいで死んだのだ。どんな形でも一発やっておく方が良い。私も声を上げた。


「杏梨さん!がんばって!杏梨さんの、これからのために!」


 唇を噛んだ杏梨さんが一歩踏み出す。


「おら、立てよ間宮ぁ」

「ひぃいい!ヤメテェ!」


 雲雀さんが間宮の胸倉を掴み上げて引きずり持ち上げて、杏梨さんの前に突き出す。


「た、助けてくれぇ!」


 杏梨さんは涙も鼻水も垂れ流して情けない命乞いをする間宮に向かって拳を振り上げた。


「このドクズ!」


 杏梨さんの怒号と共に拳がゴリっと間宮の鼻にめりこんだ。


「ぐあぁあ!」


 間宮の身体が後ろに流れたが、雲雀さんが胸倉を掴んでいるために倒れることも許されない。私の身体、力が強いから。杏梨さんは力加減がわからなかったと思う。わりとメリっと入った。


 杏梨さんが拳を覆ってうずくまってしまった。


「痛ったぁ……!」


 間宮を殴った拳は赤く腫れてしまった。杏梨さんは今、私の身体で痛覚がある。人を殴ると、痛いのだ。


「なんでこんな奴のために私が痛い想いしなきゃいけないの、サイッテー」

「杏梨。もういいのか」


 雲雀さんがもう一度、鼻血まみれになって脱力する間宮を片手にぶらさげて杏梨さんの前に突き出す。この人、果てしなく容赦ないな。杏梨さんが涙目で叫ぶ。


「もういい!殴るなんて全然気持ち良くない!痛いし怪我するし、こいつの血がついてキモいし!」

「あとは俺がやってやるよ」

「……お願い、します」


 杏梨さんは赤く腫れた拳を撫でて涙目で鼻をすすった。そのあと雲雀さんに数発ボコられた間宮は「杏梨ごめん」と言えと強要され、口から鼻から血を流して謝り泣いた。


 その光景は全く気持ちの良いものではなかった。杏梨さんも最後には目を逸らして、もうやめて欲しいと泣いていた。

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