勇気君の未練

 翌朝、私が元気に出勤すると、幽霊成仏課の事務所には誰もいなかった。


「ってことは、隣の部屋か」


 私は事務所の隣の扉、勇気君が泊まったゲストルームをノックした。


 幽霊館の幽霊成仏課がある廊下には、扉がいくつも並んでいる。一番手前が事務所で、奥に並ぶ部屋は全部ゲストルームだ。成仏ゲートを通れない幽霊は、このゲストルームで未練を果たすまで過ごす。


 幽霊成仏課にはあと二人メンバーがいるそうだ。幽霊がゲストルームにいるときは順番に夜勤で、事務所に待機する仕組みだと教えてもらった。不謹慎だが、どの部屋もクラシカルで格式高い大正浪漫の館に泊まるのは、それだけで価値がある気がする。


 通常、大人の幽霊なら一緒の部屋に入ったりしない。だが、勇気君は赤ちゃんなので、昨夜は雲雀さんがゲストルームに一緒に滞在した。私が部屋を覗くと、勇気君が私の前にばぁと現れた。


「わあ!びっくりした~!おはよう、勇気君!」

「あー!」


 勇気君は私をびっくりさせて喜び、きゃっきゃ笑いながら足のない透けた体でふわふわ浮いて、ダブルベッドに向かっていった。ベッドでは雲雀さんが肩肘をついて涅槃像みたいに寝転びながら勇気君を見ている。


「もっとやってこい勇気」

「あー!あー!」


 ベッドに戻った勇気君は、雲雀さんのぶ厚くて固そうなお腹の上に乗ってはしゃいでいた。


 一晩で随分仲良しになったようで羨ましい。今日は私が夜勤で仲良くしたい。お腹の上で遊ぶ勇気君に好きにさせている雲雀さんに、私は訊ねた。


「雲雀さん、今日はどうするんですか」

「事務所とここ、掃除しとけよ」

「掃除じゃなくて!勇気君の話ですよ!何にも収穫なかったじゃないですか」


 雲雀さんは揃えた両脚に勇気君をくっつけて持ち上げたり、下げたりしながら腹筋し始めてしまう。勇気君がきゃあきゃあはしゃぐが、私もここで筋トレをし始めた方がいいのだろうか。朝やってきたけど。


「勇気の未練には心当たりを見つけた」

「え、うそ?!何?!」

「靴だ」

「靴がどうしたんですか?」


 雲雀さんの上下する足にくっついた勇気君には足がない。雲雀さんは足腹筋して、勇気君をあやしながら話す。


「リビングの写真に、靴があった」

「あ、ありました!ミュージアムショップでお土産に買ったにゃんにゃん丸の靴!」

「あれを履いて遊びたかったんじゃねぇか。仏壇の前に供えてあった靴ばっかり見てただろ勇気」

「まー!」


 勇気君は話なんてわかってなさそうだが、雲雀さんの足にくっついて楽しそうだ。勇気君は仏壇の前でおもちゃを見ていたと思っていたが、あの中の靴に注目していたのか。そういえば雲雀さんはもう一度仏壇の前に行っていた。勇気君をじっくり観察するためか。


「厄介なのはここからだ」


 裸足で床に立ち上がった雲雀さんは、勇気君をボールみたいに天井に放り投げて受け取ってと繰り返し始めた。赤ちゃんは筋トレボールではない。


「うきゃー!!」


 勇気君は興奮して喜んでいる。ママさんが勇気君は寝たきりだったと言っていた。生前は激しい遊びにも飢えていただろう。にゃんにゃんミュージアムで買った靴を履いて、走り回りたかったと言われると納得できる。


 しかし、雲雀さんの厄介なのはここからの意味もわかった。


 だって、勇気君にはもう、足がない。


 どうやったって、足は戻ってこないのに、どうやって靴を履いて走り回らせることができるというのか。私の頭は役に立たないので、ひたすら筋トレ遊びをする雲雀さんの横で私も腕立てし始めた。成仏課は筋トレ部ではない。


 遊び疲れた勇気君がベッドで眠った横で、雲雀さんが大股を開いてベッドで座る。私も筋トレ疲れして隣に座るとベッドが沈んだ。やや小さい声で地底ボイスが発される。


「勇気に足を与える方法が、あるにはある」

「え?!どんな!」

「憑依だ」

「憑依って人間に幽霊をくっつけちゃうやつですよね……そんなこと可能なんですか?」


 雲雀さんが立ち上がってわざわざ革張りソファに座り直して、長い足を組む。雲雀さんは手の平を返して私を指さした。


「俺は霊術師だ。憑依術も使える。だが問題は媒介がいないことだ」

「ちょ、ちょちょーっと待ってください。霊術師とかわけわかんないです!」

「霊力を使う術師だよ」


 雲雀さんのチッと大きな舌打ちが苛立ちを教えてくる。霊術師発言には驚くのだが、雲雀さんの異常に綺麗な姿勢と筋肉のつき方から只者ではないことは感じていた。

 もしかして霊術師って武闘家の一種なのでは、という予想は自然と立った。だが私はわからないことはわからないとハッキリ口にする。


「霊力って何ですか!」


 そこからかよと聞こえてきそうな雲雀さんの地底ボイスが仕方ないなと、ご教授してくれる。


「霊力は魂の純粋な生命エネルギーだ。人間誰しもが持ってる。だが霊力を発現できるかは個人差がある」

「あ、幽霊が視える適正って話ですか」

「そうだ。公務員の試験には霊視の適正があるかどうかを試す一問が紛れてる。霊視ができないとそもそも『視えない試験問題』だ。お前はそれを視て回答したから適性を見抜かれて今、ここにいる」


 公務員試験にそんな仕掛けがあったとは知らなかったが、私が幽霊館に採用された理由がやっと理解できた。


「その霊力ってので術を使う人が霊術師ですか?」

「成仏は次の人生があって、輪廻に還ることだ。だが、霊術師は霊を輪廻から引き離して存在自体を消滅させる。つまり霊術師は、霊を殺す連中だ」

「殺す?!」


 私は雲雀さんの説明に頭を鈍器で殴られた衝撃を受けた。あまりに雲雀さんの見た目通りの所業ではないか。やはりその悪人面に筋肉。暴力を駆使するタイプか。


 私が雲雀さんを初見で、コイツ何人か殺ってるぜマジでと思ったのは間違いではないかった。私の声がぷるぷる震えた。


「ま、まさか勇気君みたいな、いたいけな霊を相手に……!」

「するわけねぇだろ。悪霊対象だ。それからついでに教えといてやるよ。幽霊に触れられるのは、幽霊を殺したことがある奴だけだ」


 私の口からあ、と間抜けた声が漏れた。雲雀さんは勇気君に触れられるのは「狂ってるからだ」と言った。狂ってるとは、殺したことがあると。そういう意味なのか。私が目をぱちくりしている間に、雲雀さんは続けた。


「霊術師は様々な術を駆使する。俺は霊を他人に憑依させることもできる。俺自身には憑依させられないところが難点だがな」

「すっご……そんなことできる人が本当にいるんだ」

「残念なことにな」


 雲雀さんはソファに頭をもたげて天井を見上げる。虚しい響きがしたその言葉には、霊術師なんてロクなものではないという含みがあった。


 雲雀さんは役所職員として幽霊を成仏させる仕事をしながら、そういう霊術師の仕事をしたりもするのだろうか。


 例えば、49日で成仏できなかった幽霊を──殺したり、とか。


 私の考えを遮るように雲雀さんが説明を重ねる。


「憑依で霊を受け入れる側の人間を『媒介』と呼ぶが、リスクがある。低波動がって言ってもわかんねぇな。とにかく媒介にされた人間は疲労困憊。前に部下を媒介にしたこともあるが、二時間の憑依で一ヶ月寝込んだ。そう何回も使えねぇ」


 前回、媒介にされた部下とやらのその後が気になったが、今は私がその部下だ。雲雀さんはまたチッと盛大な舌打ちで話を締めくくる。


 私は長くて難しかった話を、私なりに解釈した。


「私が媒介になればいいってことですよね」

「あぁ?それがリスキーだって話をしたつもりだったが?」


 雲雀さんの眉間の皺は深く、馬鹿なこと言ってんじゃねぇと視線で殺されそうだった。だけど私は全くバカなことを言ったつもりはない。私はきっぱり言いきった。


「結局、媒介は体力勝負ってことですよね。私は飛び抜けた体力バカですよ、雲雀さん。こんなに適任は他に居ません」

「女の体力バカなんて大したことねぇだろ」

「私は毎日フルマラソン走れますよ」

「あぁ?」


 舐めてんじゃねぇぞこのアマ、くらい聞こえてきそうな一言だった。私は怯まず、鞄の中から一枚の紙を取り出して雲雀さんに渡した。役所の採用書類と共に鞄に入れっぱなしだった、警察官採用試験の体力試験結果だ。


 雲雀さんは紙に目を通して眉間に皺を寄せた。


「全国、一位?」

「男女混合で、全国で8000人以上受けてます。私、トップです。この飛び抜けた結果で筆記試験惨敗で落ちましたけど!」

「お前……体力バカだな」

「そうです!」


 雲雀さんはくいっと口端を上げて、にこりと微笑むどころかニヤリと悪人顔に拍車がかかる。雲雀さんは全然和まないニヒルな笑みで言った。


「お前で一度、ヤってみるか」

「お願いします!」


 体力バカなんて言われてコケにされてきたけれど。この体力バカの身体のおかげで、勇気君が渇望した足を体験させてあげることができるならば、心から誇らしかった。


 雲雀さんが返した手の平で私を指さして指示が飛ぶ。

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