憑変化
「野々香、勇気の家からあの靴をかっぱらって来い。勇気の親に、幽霊の勇気のために貸してくれ、なんて言うなよ拗れるからな」
「じゃあ、どうやって貸してもらえば」
「俺はかっぱらって来いって言っただろ。俺らは警察じゃねぇ。幽霊だ成仏だって言えないことばっかのアングラ組織が、綺麗な仕事だけで回るかよ」
私は口をあんぐり開けたが、雲雀さんは顎でくいっとさっさと行けのジェスチャーだ。
部下に窃盗を指示。裏組織のアングラ上司。ここに極まる。これで役所だというのだから世の中深い。役所OLってヤクザに指示されて犯罪に手を染める仕事だったかな。
窃盗なんて抵抗がある。けれど、じゃあどうやって幽霊の勇気君の話をせずに、ママさんに協力を仰ぐのかと言われると、そんな回答を出せる頭はない。私の限界だ。だから、私は雲雀さんの指示通りやるしかない。
私は勇気君のために、泣く泣く新しいにゃんにゃん丸の新しい靴を買ってから、再び勇気君の家を訪ねた。温かく迎え入れてくれたママさんの目を盗みつつ、仏壇の前で手を合わせ、買って来た靴と仏壇に供えられた靴を入れ替えた。絶対にすぐ返しにくるから!と何度も心の中で告げてお暇して、幽霊館に帰ってきた。
「にゃー!にゃー!」
ゲストルームに帰ってきた私に勇気君が飛びついて来た。
にゃんにゃん丸の「にゃー」かなと思うとほっこりした。窃盗してきたお姉ちゃんを許して。ベッドで寝転んでいた雲雀さんがお疲れ様の一言もなく、遅いとだけ言って起き上がる。
こっちは人生初の犯罪だが、雲雀さんにはお使い程度の仕事だったようだ。
「行くか」
「どこへ?」
「幽霊館の庭」
靴を履くだけならここでもいいかと思ったが、きっと走り回りたいだろう勇気君のための配慮か。雲雀さんは意外と気配りができる。勇気君にだけ。
「行こう、勇気君!」
「あー!」
私は勇気君が触りやすいように靴を掲げながら、勇気君と一緒にゲストルームを飛び出して大階段を駆け下りた。事務所から雲雀さんの声が飛んだ。
「おい、お前ら。俺を置いて行くな。迷うだろうが」
二階から玄関までも迷うなんて病的である。わざわざ雲雀さんを連れに戻ってから、幽霊館の裏庭へ向かった。
幽霊館の裏庭は広大な芝生が広がっていた。余分とも思われる大きな敷地を確保しているのは、幽霊館を住宅地と物理的に区切るためかもしれない。
塀と桜の木に囲まれた緑の芝生の真ん中で、雲雀さんは抱っこしていた勇気君を側に下ろし、芝生に片膝をついた。雲雀さんは顎で私を隣に呼び、勇気君に語り掛ける。
「勇気、この靴、履いて遊びたいだろ」
「にゃー!」
元気な返事の勇気君は小さな手を空に高らかに掲げた。勇気君の鼻の穴がふんと膨らみ、私も期待に胸が膨らむ。雲雀さんはなぜか小さな黒ピアスを一つ、外した。数あるピアスの一つだが、何か意味でもあるのだろうか。
「憑依やるぞ。手出せ、野々香」
雲雀さんは、左手で勇気君の手を握り、右手を私に差し出した。
「ウッス、雲雀さん!」
私はごくりと息を飲んでから雲雀さんの右手に手を重ねた。雲雀さんに手を握られて、緊張で心拍が上がった。雲雀さんの低い声が青空に響く。
「契約だ。勇気に身体を貸すと言え」
「勇気君に身体を貸します」
「勇気、野々香の身体を借りるか?」
「あー!」
「幽契──成る」
勇気君が雲雀さんと握った手をおー!と高く上げると、私の身体にバチンと強い電気が走ったような衝撃があった。一瞬目がくらんで、また目を開ける。
すると芝生の上にごろんと寝転んでいる私が見える。
「私が寝てるー!私が透けてるー!
幽体離脱というやつだろうか。自分の手の平を確認すると、向こう側が透けている。思わず大声を出した。
「私が幽霊になっちゃったんだけど!」
足の先が景色に溶けるように自然と消えていて、ふわふわ浮いている。信じられないが私が今、幽霊だ。雲雀さんが低い声で一つも乱れずに言う。
「お前は今、生霊だ。生霊の間はどこでもいい俺に触れてろ。絶対離れるなよ。離れたら戻れなくなるぞ」
「ひー!先に言ってください!」
私は雲雀さんの手に手の平をぎゅっと押しつけて、指を絡めて恋人繋ぎまでして力を込める。雲雀さんは大きくて固い、常人とは思えない屈強な手で、私の手をぎゅっと握り返した。
「悪くねぇな」
「何がですか!?ど緊張ですよ?!」
雲雀さんは私を無視して、芝生に寝転んだままの私の体の肩を揺すった。
「おい、勇気。起きろ」
「う?」
私の中に勇気君がいるらしい。起き上がった私は座り込んできょろきょろしている。不思議な感じだ。自分を遠くから見るなんて。私ってあんな感じなんだ。短い前髪、意外と可愛いのではないだろうか。
雲雀さんは私の顔をした勇気君の前に膝をついて、頭を撫でる。感覚はないが、私が撫でられていてなんかむず痒い。
「勇気、自分の身体を思い出せ。身体は魂についてくる」
雲雀さんが言うことはよくわからなかった。でも雲雀さんが、勇気君の目を手で覆い集中を促すと、みるみる私の身体が縮んでいく。大人の身体があっという間に一歳児になってしまった。顔もどんどん変わって赤ちゃんになる。
「うっそ、そんなことある……?!」
「霊を受け入れるだけじゃ体が変わらねぇ。これは高位の憑依術。憑変化だ。お前の体力をエグるがな」
雲雀さんの手をどけると、勇気君のぱっちり可愛い黒目が瞬く。勇気君は寝たきりだったが、今は歩けるくらい少し足も太い。本来の勇気君というよりは、勇気君がイメージするなりたかった姿にも影響を受けているように見えた。
「あー!!」
勇気君が両腕を振り上げて空を見上げ、両足でびょんびょん飛び跳ねて咆哮した。生きているときは一度も手に入らなかった、元気な、体だ。
「きゃあー!!」
勇気君が走り出してしまう。追いかけなくちゃと思ったが雲雀さんは追わなかった。芝生の端まで裸足で走って行った勇気君は、またUターンして帰ってくる。そうして息が切れてしまうまで、勇気君は芝生を走り周り続けた。
「きゃあー!」
言葉にならない喜びの雄叫びが澄み渡った青空に響き渡る。胸にぐっとくるその歓喜の音に私は鼻の奥がツンと痛んだ。うっかり雲雀さんの手を離してしまわないようにぎゅっと握る。
「まーま!まーま!」
ママさんに、見せてあげたかった。勇気君が元気に走り回る姿。勇気君も見て欲しかっただろう。ママさんを呼びながら、走り続ける。
「おい、勇気。これ、履くんだろ?」
「にゃー!」
雲雀さんが跪いて、勇気君ににゃんにゃん丸の靴を履かせてあげる。勇気君は新しい靴を履いた足で、またひたすら走り始めた。
「きゃーーーー!」
蒼い空の下、時おり桜の花びらが風に舞う芝生の上を、勇気君はただ風を切って走る。たったそれだけのことが、彼には叶えられなかった。今、勇気君は風を感じて、足で地面を蹴って、自分の意志で好きなように走っている。
にゃんにゃん丸の靴がぴこぴこ愛らしい音を立てて、そのたびに勇気君は叫んだ。嬉しいも、楽しいも、幸せも、ぜんぶ叫んだ。私は歓喜の叫びに涙が溜まった。
「野々香、泣いてんじゃねぇぞ。まだここからだろ。お前、邪魔だから俺の背中に乗ってろ」
「え」
雲雀さんは私と繋いでいた手をスルッと離して、今度は両手を自分の首に巻き付ける。
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