第2話
そうして、十数年の月日が流れた。
ヴィルヘルム王子は当代一の最強の武人と評され、国の盾としての役割を期待され、辺境の砦で辺境伯として隣国から自国を守っていた。
頭の切れる彼の判断は早く、立ち回りも機敏で、駿馬とともに風を切るように走る。
戦場に立ち、敵を屠る姿は、まるで獰猛な黒獅子のようだと、彼を見た騎士たちは噂していた。
一方、侍女見習いから侍女になったアンジェはといえば――彼の跡を追って辺境までついてきていて……。
人を寄せ付けないと評判のヴィルヘルム王子が、自身のそばに置く唯一の存在。
そう――。
アンジェは彼専属のメイドとして過ごしていたのだった。
***
とある夜。
辺境の砦にて。
整然と整えられた王子の部屋のベッドの上、秀麗な見目をした屈強な武人に、まだ幼さの宿る女性が組み敷かれていた。
熱情を孕んだ黄金の瞳が、獰猛な獣のように輝いている。
鍛え抜かれた無駄のない厚い体躯の持ち主は、無駄に色香を放っていた。
長い指が流麗な黒髪をかき上げたかと思うと、綺麗な汗が彼女の頬へと流れる。
「アンジェ……」
「ヴィル様……」
二人の間を漂う空気には、まだ先ほどまでの熱気が孕んである。
とろりと蕩けるような瞳を、彼女は美青年に向かって告げた。
「ヴィル様、今日もすごかったです……」
すると、美青年はハアッと呆れたような溜息を吐いた。
「お前ってのは……相変わらず情緒がない女だ……」
そうして、彼が彼女の身体から離れようとしたのだが――。
「ぎゅううう」
「いてえ、締め付けてくんなよ!!」
アンジェはヴィルヘルムの身体に蔦のように絡まって、相手の動きを制していたのだった。
「ヴィル様から、離れたくないなと思ってしまいました……」
「はあ?」
アンジェがちらちらと視線を向けると、ヴィルヘルムは再び、はあっと大きく息を吐いた。
「面倒くせえな。仕方ねえ、口止め料だ。もう一回今のやってやるよ……」
「やった! ヴィル様になら、何度だって……気持ち良くしてもらいたいんです……」
アンジェが頬を赤く染めながら顎に小さな手を添える。
「そうかよ……欲しがりな女だな……ああ、そういえば――」
ヴィルヘルムが、真剣な眼差しになったかと思うと、彼女に向かって告げた。
「前から言っているけど、他の奴らに話したら絶対にダメだ。この関係も、もう終わりになる……アンジェは、それは分かってるんだろうな?」
「はい、もちろんです!」
本当に分かっているのかいないのか、分からないぐらいに、アンジェはニコニコと微笑んでいた。
「はあ、返事一つとっても色気がねえな……まあ、いい、ほら、もう一度遊んでやるから……」
「はい!」
――小さい頃からずっと一緒のヴィルヘルム王子。
彼と一緒にいるのが当たり前で――。
そうして、いつの間にか――自然な流れで、二人は身体の関係になっていたのだ。
まだアンジェは純潔のままだけれど――庶民たちの言い回しを借りれば、いわゆるセフレみたいな関係なのだ。
身分差があるし、王子の彼が侍女の彼女と結婚できないことだったり、将来的に上位貴族を妻に迎えるだろうと、アンジェ側も分かってはいるのだけれど――。
(それでも……ずっと片想いのヴィル様と、肌を触れ合わせたりするのは、すごく幸せ……)
そうして、二回戦目に突入する。
再び天にも昇る気持ち良さを、彼から提供された。
夢見心地のままでいたアンジェに向かって、まだまだ体力があり余っているヴィルヘルムが不機嫌そうに告げてくる。
「ああ、アンジェ……二回もやっちまったが、疲れてはねえか?」
「もちろん疲れていますけど……大好きなヴィル様に心配していただけたので、アンジェはとっても元気になりました!」
「そうか……なら良かった」
ヴィルヘルムがふんわりと微笑んだ。
(あ……)
心臓がドキンドキンと高鳴っていく。
ちょっとだけ仏頂面なイケメン武人に育ってしまったヴィルヘルムだが、笑うと本当に天使のように美しい。
(普段は口が悪くて無愛想なのに、こんな時は優しいだなんて、反則です……)
そっと彼が離れて、ゴロリとベッドの端からど真ん中へと転がった。
彼の体温が遠ざかっていって、アンジェは一抹の寂しさを感じていたのだけれど――。
肩肘をついた彼が、ポンポンとシーツの上を指で叩いて誘ってくる。
「ほら、こっちに来いよ。こっちに来て、俺のことをあたためろよ。お前は俺のオモチャだろ、アンジェ? そんな端にいたら、そんな簡単な役割も果たせないぞ、ほら」
そう、アンジェがいるのはベッドの端っこ。
ちょっと寝相が悪かったら、ゴロゴロと転がりそうな場所だ。
「……はい!」
彼の腕の中へと私は抱き寄せられる。
「幸せです……ヴィル様、大好き。アンジェはずっと貴方に仕えつづけます……!」
相手がはっと息を呑むのが伝わってきた。
「…………別に…………俺は……お前のことは、オモチャとしか思ってねえから……」
ヴィルヘルムがぽつりと呟いた言葉に、なぜだか私の胸はチクリと痛んだ。
「えへへ、そうですよね、ずっと昔から、私はヴィル様のオモチャなのです……へへ……」
なぜだろう。
最近のアンジェは欲張りになってしまっていた。
今まではオモチャ扱いで身体を触れあわるだけで幸せだったのに……。
彼のもっともっと大事な何かになりたい。
そんな気持ちが沸いてくるようになっていたのだ。
「そう、アンジェはオモチャ、オモチャです……」
「アンジェ……」
少しだけヴィルヘルムの表情が翳ったような気がしたが、すぐに普段の砕けた態度に戻った。
「それにしちゃあ、オモチャのくせに……生意気だな……俺にこんな手をかけさせやがって……」
「ええっ……!? 生意気……?」
「ああ、もう良いから寝ろよ……疲れてるだろう? 毎晩毎晩騒々しいな……本当に俺がいないとダメなオモチャだよ、お前は……」
ぎゅうっと力強く抱きしめられて、彼に頬をすり寄せられた後、大きな手でアンジェの頭を優しく撫でてくる。
「ヴィル様、お休みなさい……」
「アンジェ、お休み」
そうして、寝ぼけ眼の彼女が彼に願いを告げた。
「いつかヴィル様がキスしてくれますように……」
「…………」
彼がその願いに応えてくれないことを知った上で、彼女はワガママな願いを口にしたのだった。
――幼馴染以上恋人未満。
――お互いになくてはならない存在。
――オモチャと口では言って来るけれど、本当は彼は――。
けれども、そう思って期待しているのは自分だけだろう。
恋人同士のようなキスすら、まだしたことがないのだから……。
(だけど、いつか、ヴィル様が身分なんて関係なしに、私と結婚したいって思ってくれる日も来るかもしれない……そんな日が来るって信じたい)
今の関係が続く中で、もしかしたら彼の気が変わるかもしれない。
じわじわと時間をかけさえすれば、きっと……。
まだまだ二人の関係が変化するのは、ずっとずっと先の話だろうと、漠然とそんな想いがあった。
そう――。
――彼と彼女の間にちょっとした事件が起こるまでは――。
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