第3話

辺境の砦はとても広い。

 丘の上にある石造りの城の中に、ヴィルヘルム様とアンジェは一緒に住んでいる。

 わりと乱暴そうで粗雑に見える彼だが、わりかし繊細で慎重派な性格だ。住んでいる屋敷にも、数名の使用人と精鋭の騎士達以外は立ち寄らせないようにしている。

 城の二階にある彼の寝室に近寄れるのは、王都時代から一緒のアンジェだけなのだ。

 

 ちなみに、彼女の部屋は――なぜか主君である彼の部屋の隣にある……そう、なぜか……。




***




 ヴィルヘルムの寝室で、薄ぼんやりした空の明かりを受けて、アンジェは目を覚ました。


(ヴィル様、今日ももういない。世話係のはずの私よりも早起き……)


 まだシーツがほんのり温かいので、ヴィルヘルムはまだ近くにいるのかもしれない。

 アンジェは身体を起こして周囲をきょろきょろと見回した後、窓辺に目をやった。


「あ! 今日もイベリスの花の妖精さんが来てくれてる!」


 彼女は裸の身体にシーツを巻き付けてベッドから降りると、窓にテトテトと近づいた。

 ちょっとだけ土のついた、愛らしい紫色の花々を手に取る。


「可愛い……!」


 花弁一つ一つがキャンディ菓子のようにも見えて、胸がきゅんとなる。

 アンジェがそっと手に取ると、ちょうど風が吹いて、花びらがさやさやと揺れ、甘い香りが鼻腔をついてきた。

 イベリスの花の隣には、腕で抱えられるぐらいの大きさの箱が置いてある。


「えへへ、今日の中身はなんだろう?」


 ドレスやネグリジェ、下着に装飾品等――様々なものが送られてくるのだが、いつも宛先人は不明なのだ。


(砦七不思議……!)


 こういった類の品物の受け取りに関して、厳しそうなヴィルヘルムなのだが――。


『大したやつじゃねえし、物騒なものでもないんなら受け取っておけ』


 ――寛容な結果、アンジェの部屋は、えらくキラキラしくて乙女チックな世界観になってしまったのだった。


 アンジェは箱の中身を手に取った後、さっそく自身に宛がってみる。


「わあ……! 新しいメイド服、とっても可愛い!」


 働きやすさと可愛らしさを重視して、栗色の髪をツインテールに整えた後、フリルいっぱいのヘッドドレスを装着する。

 黒いブラウスに白いエプロンは上質でとろりと蕩けるような素材のもので、今から纏うのが楽しみでしょうがない。

 しかも、繊細な薔薇の刺繍が施された薄衣のハンカチーフが、エプロンのポケットから顔をちらりと覗かせているではないか。


「ふんふんふん、お仕事が捗りそうです♪」

 

 シーツ姿のアンジェは鏡の前で鼻歌を歌いながら、喜びの舞を踊った。

 もう夜は明け、空は白み始めている。

 ふと――。



「アンジェには、まだ言えねえ」



 窓の外から声が聴こえたから、アンジェは歓喜の踊りを中断して、わくわくした気持ちのまま窓辺へと向かう。


「あ……ヴィル様! ヴィ……――」


 だけど、アンジェはそこで何も発せなくなった。


(あ……)


 ズキンズキンズキンズキン。

 先ほどまでの喜びはどこかに消え去った。


 なぜなら、階下には――。


 ヴィルヘルム以外に一人の女性の姿があったのだ。

 アンジェとは違って、グラマラスな体型の黒髪の美女だ。


(ヴィル様……)


 最近のヴィルヘルムには見合いの話が多数来ているという。


(もしかして……お見合い相手?)


 胸がズンと重くなった。


 ヴィルヘルムのオモチャになることを立候補したのは自分だ。


 それ以上でもそれ以下でもないと分かり切っていたことなのに――。


 それでもやっぱり、彼が綺麗な女性と話す姿を見ると、彼と離れないといけないのだろう将来像が沸いてきて、漠然とした不安に駆られてしまうのだ。


(ヴィル様に奥様が出来たら――それを見て過ごすのは辛い気がする……そうしたら、彼と離れないといけない……そうしないと……)


 今、彼が見知らぬ女性と話しているのを見るだけで、こんなにも辛いのだ。


 離れなければ――。


 心が粉々に砕けて飛び散ってしまうだろう。


 もちろん、彼と離れるのは寂しいけれど、そうしないといけない日が、刻一刻と迫ってきているようで……。


(昨日も聞いたけれど……やっぱりヴィル様にとって、私はオモチャというだけの存在でしかない……今後の自分の身の振る舞いを考えなきゃ……)


 彼に嫌われるぐらいなら、いっそ自分から身を引いて――。


 アンジェが呆然と床を眺めていると――。


「アンジェ!」


 ――ガチャリと扉が開く。


 彼女はノロノロと声の主へと視線を向けた。


「ヴィル様……」


「……アンジェ、なんだよ、シーツ姿にメイド服なんて持って、びっくりしたじゃねえか……」


「え? あ、確かにそうですね……えへへ……」


 アンジェが誤魔化すような笑みを浮かべると、ヴィルヘルムは首を傾げて怪訝な表情を浮かべていた。


「ああ、もうそんな半端な格好せずに、その新しい服でも着てみせろよ」


「え? ああ、はい! 分かりました!」


 巻き付けたシーツとメイド服をどうにかしようとして、アンジェがわたわたしていると――。


「ああ、ほら、俺が着るの手伝ってやるから」


「ええッ……ヴィル様が、私の手伝いを……!?」


「ああ、ほら……!」


 シーツを除けられてシュミーズを着せられた後、黒いワンピースを頭の上から被せられたかと思うと、長くて綺麗な指が釦を留めてきた。

 長身痩躯の彼が屈むと、着崩して身に着けていた騎士団のコートから、ちょうど鎖骨から胸板までがちらりと覗いて見えて、アンジェの心臓はドキドキと落ち着かなくなってくる。

 心臓の音を聞かれたくなくて、彼女は必死にその場を取り繕った。


「ヴィル様、釦を外すだけじゃなくて、留めるのも得意なんですね……!」


「おいおい、どういう言い回しだよ、そりゃあ……ああ、しかし、馬子にも衣装だな――お前が三割増し良く見える」


「ぶう、ヴィル様に、もっと可愛いって褒めてもらいたいです」


「だが――こんな貧相な体型じゃな……俺の方も……」


 一番上の釦で手が止まっていたヴィルヘルムだが、耳が真っ赤に染まっている気がする。


「……くそッ、口だけで、俺もマジで鍛錬が足りねえな……」


「急に鍛錬の話だなんてどうしたんですか?」


「いいや、こっちの話だよ……」


 メイド服を整えてくれる優しいヴィルヘルム。


 その時――。


 アンジェは見逃さなかった。


 ――彼の指先を。


(あ……)


 そう――彼の指先には土がついていたのだ。


 ドクンドクンドクンドクン。


 先ほどまでとは違って、心地よいリズムを心臓が奏ではじめる。


「ヴィル様……起きてすぐ……いつもどこに行かれているんですか?」


 その時、一瞬だけ彼がたじろいだ。


「ああ? 色々鍛錬だよ、鍛錬。今は辺境伯やって、指揮とる立場だが……自身の剣技を衰えさせるわけにはいかねえからな」


「……他には?」


「他?」


「剣の他です」


「剣の他なんて……」


「その……手に……土が……あって……」


 言いよどむアンジェの姿を見て、ヴィルヘルムがはっとして抗議をはじめた。


「これはちょうど、剣を取り落としてだな……」


 もごもごしている彼に向かって、彼女はふんわり微笑んだ。


「そういうことにしておきますね」


 ふふふと嬉しそうに笑うアンジェとは対照的に、彼は首まで真っ赤になっていた。


「そういうことも何も……そうなんだよ!!」


「うふふ」

 

 二人の間に和やかな雰囲気が流れる。


「なあ、アンジェ、腹減ったから、朝飯作ってくれるか?」


「ヴィル様、もちろんです! せっかくだし、一緒に厨房に立ちましょうよ」


「そんなことはしねえ。だが――オモチャのお前が火傷や怪我をしないか見張っておかないといけねえな」


「そうなんです……? ヴィル様はオモチャ相手に過保護ですね」


「仕方ねえだろう、オモチャの管理は持ち主の俺がしないといけねえからな……」


 そっぽを向いたヴィルヘルムの顔は真っ赤なままだった。


 主君とメイドは微笑みあいながら厨房へと向かう。


 こんな幸せな朝食と日常の後に、予期せぬ来訪者が現れ、そうして二人の関係が変化する事態に陥るなんて――この時は思いもしていなかったのだった。

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