また明日

 週初めの学校帰り、一日と空けることなく公園へとやってきた。急ぎ足だったけれど、うたうはすでに、昨日と同じく木陰へたたずんでいるところだった。

「……来たのね」

 こちらを一瞥して、うたうが言った。心なしか、その姿はひとまわり小さく見えた。

「どうしたの、調子でも悪い?」

 尋ねるとうたうはあきれた様子で、ぎこちなくこちらをうかがう。たっぷり間を置いて、ようやく口を開いた。

「昨日からどうにも浮かれていて、これで待ちぼうけたら馬鹿みたいだと不安だったのよ。杞憂だったようだけど」

 ため息をつくうたうを前に、あたしは首をかしげる。

「どうして? 昨日約束したじゃない」

「そうね。でも、いつとは言わなかったわ」

 言われて、確かにそうだと思った。まるっきり、また明日のつもりで別れていたけれど、そんなことはちっとも言わなかったのだ。

「で、恋も相当浮かれているのね。息が上がっているわよ」

 皮肉っぽく言ううたうは、いくらか調子が出てきたように見える。

「そうかもね」

 あたしは素直に認めた。まっすぐ家へ帰らなかったのは、ずいぶんと久しぶりのことだ。頬の熱が、未だに冷めない。冷めない方がいいとさえ思った。

「今日は、わたしから」

 待っている間に用意したのだろうか、挨拶もそこそこに、うたうは詩を紡いでよこした。言葉の海に頭から突き落とされ、あたしは思わずにやりとする。たちどころに、返すべき言葉たちが群れをなして浮かびあがってきて、それを解きはなち、眼前の少女もざぶりと引きずりこんでやろうという衝動が、小気味よく胸へと満ちた。

 うたうの詩は、いつになく鮮やかな色彩を呈してあたしへとせまった。はっきりとした輪郭と言ってもよかった。霧に沈む山麓と、闇よりもなお深くて、あでやかな木々の緑。歯切れのいい言葉にはじける景色は、まさに幽玄、雄大という形容がふさわしく、それが小さな体躯、ごく短い唄から繰りだされるさまは、ほとんど魔法めいている。ふところの深さと言うべきか、重層的な言葉の厚みは、苔むした岩とか日に焼けた書物を思わせて、それを歳下の少女が、か弱く繊細な声へ乗せて詠むことは、めまいのするくらい幻想的に映るのだった。

 しかし、あたしも負けてはいられない。詩歌へ情景や風物を詠みこむのは得意分野だ。扱うスケールではかなわなくとも、いきいきとした命の息吹を呼びおこすことにかけては、引けをとらない自負がある。さえずりかわす鳥たちの、羽ばたくあとには虹をかけ、色めく花々の心をとらえて、うららかな清水をひらめかす。踊るように誘うように、気ままなステップを踏みながら手を替え品を替え、とりどりの言葉をわたり歩いては、いつの間に唄があたしを追いかけてくる。言葉のひとつひとつが身をふるわせ、さざめいて成す協奏は歓喜と躍動に満ち満ちて、どっしり構える山の尾根とは対照的だった。

 けれど、うたうはうるさがることもなしに、いっそう静謐な泉を持ちだして、匂いたつ睡蓮を浮かべてみせるのだ。あたしは気をよくしながら、風に柳のゆれる声を返す。それは水面をすべるように広がり、空気の中へと溶けていった。

 ふう、と息をつく。気がつけばすっかり日は傾いて、ふたりを明々と照らしだしていた。

「わたりあいって、四首で終わりのはずよね」

 少しだけ拗ねた風に、うたうはそう言った。合わせて四首どころか、続く限りに続けた詩歌は、もはやいくつつなげたかわからなかった。ひどく、喉が渇いている。

「別に、そういう決まりはないよ。リーグ戦みたいな、競技ではそうなっているけど」

 言われてみれば、うたうは件の学生大会でしか、わたりあいに触れていないのかもしれなかった。あたしは唇を湿して、説明を試みる。

「わたりあいは、本来なら詩歌のかけあい全般のことで、決まった形式はない。それこそ、連歌とか、詩を含む手紙のやりとりとかも、わたりあいと呼んでかまわないと思う。大事なのは、互いに言葉の世界をわたり、心を通いあわせること。たとえ競技という形式で、ルールが定められていても、本質はそこにあるとされているの」

 だから、いくら長くとも、今のやりとりは立派にわたりあいなのだ。

「たとえば、あたしが参加しているわたりびととしての試合は、それぞれ二首ずつを交互に詠んで勝敗を決めるけれど、充分に言葉が交わされなかったと判断されたら延長が認められるし、そして、本当に優劣がつけられずに、お互いが十全に通じあうことできたなら、引き分けではなくて、双方ともが勝利という扱いになる」

 その説明を、うたうは黙って聞いていた。けれど、興味がないわけでもなさそうだった。

「ふうん、素敵だと思うけど、実際にそういうことがあったの?」

「……まあ、公式記録では例がないけれど。よほど出来映えがよくないと駄目らしいから」

「なんだ、ちょっとは期待したのに。でも、そうね。言葉を交わすことに勝ち負けなんてないわよね」

 納得して、それから少しばかり顔を曇らせた。ささやくように、うたうは言った。

「……あのときわたしがしたことは、わたりあいではなかったのね」

 あたしは何も言えなかった。射すくめられたみたいに固まっているだけだった。そして、それは肯定と変わらない。

 うたうは、詩を返してくれたのはあたしが初めてだと言った。話を聞いた詩歌部の人は、うたうが詩を詠めば決着したと、誰も返せなかったと、畏怖にも近い尊敬とともに語った。確かにそれはすごいことだけど、決して褒められたことではないのだ。そして当然ながら、楽しいことでもあるはずがなかった。

「ねえ、今度どこかへ出かけてみない?」

 ほとんど反射的に、口をついた。うたうはうろんげに、こちらを見かえした。

「どこかへって、ふたりで? 別に、ここでいいと思うけれど。何か理由でもあるの?」

「あたしが、うたうと出かけてみたいなって、それだけ」

 水かけ論に、意外にもうたうはむっとした顔のままで、言いかえすことはしなかった。思いつきだったけれど、じわじわと、とてもいい考えのように思えてくる。

「……勝手ね、まあ、予定を見ておくわ。すぐにというわけでもないでしょう」

 うたうはそう言って、ちらりと公園の時計を見あげる。六時を少し回ったところ。昨日別れたのも、これくらいの時間だった。

「じゃあ、わたしはそろそろ帰るから」

「あ、ちょっと」

 思わず引きとめて、軽率な自分が少しだけ恨めしくなる。けれど、恥を忍んで尋ねた。

「うたう……って呼んでいいよね?」

「ええ。是非そう呼んで頂戴。今のわたしに、家の名前は……」

 うたうはそこで口をつぐんでから、ごまかすように言い足した。

「いや、なんでもない。それで?」

 引っかかったけれど、あえて詮索することはしない。返すのは、ただ一言だった。

「また明日」

 わずかに間をおいてから、うたうが笑ったように見えた。

「……うん、また明日」

 そうして夕焼けにまぎれていく背中を、あたしはいつまでも眺めているのだった。

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