第五章 引き合うふたりが謳うもの 5

 ベイド・イベルカは破竹の勢いでジュキナを散らしていった。定期的にピィィ! と甲高い警笛が鳴り響き、その音に寄せられたジュキナは次々に金属の巨体に向かって突撃、次々と返り討ちに遭っていく。以前、サスがスキナを蹴散らしたやり方を、そのままスケールアップし、ジュキナ狩りに適用しているようだった。その活躍ぶりに味方の士気も自然と上向く。

 あの兵器が稼動してから、サスの相手は主に潜伏派の戦闘員へと変わった。シリムの尋常ではない引力下でゼルキドをかけて鍛え抜いたサスは、一対一ならまず負けないが、腕前というのはすぐにバレる。勝負をかけると逃げられ、追うと四方を囲まれてしまう。どんな腕に覚えがあっても、複数人相手では原理的に押し負ける。

「シリム、離脱したい」

「うんっ、ジャンプだね!」

 シリムが空間を歪めて一瞬で遠くへ移動し、そこから一気に引力グラブを放つ。取り囲んだ者たちは不意を突かれて転倒するが、慣れきったサスは風に乗るようにシリムの引力を乗りこなし、彼女のもとへと落下、うまく着地する。

 サスたちを追ってきた者たちには、シリムが遠くから引っ張ってきたジュキナの巨体をお見舞いする。飼い主たちを蹴散らしたジュキナは、そのまま奔走するベイド・イベルカの目の前まで転がっていき、重厚なボディに肉体を裂かれた。

 サスは周囲を見る。秘密兵器の登場によりジュキナの数も減り、押し返しているように思えるが、戦いが始まってから既に長く経って、朝日も昇っている。アズヴァ中から選りすぐりを集めたにもかかわらず、負傷者は増え、残った者たちにも疲労が見え始めている。それだけジュキナは戦闘力として破格なのだ。特効兵器も一台では、そのギャップを埋めるのは厳しい。

 それに──と、ある懸念に目を眇めるサスへ「サス、大丈夫?」と、いつの間にか傍らに立ったシリムが声をかけてきた。状況に不釣り合いな優美なワンピース姿を見て、少しだけ心が落ち着く。

「うん、まだやれるよ。ただ……リライが姿を見せていないのも気になって」

「あ……前に会った、リーダーの人だね」

「これは存続連側以上に、レターム潜伏派にとって負けられない戦いのはず……だとすれば、まだ、なにかが──」

 と、思案したサスの耳に、絶叫に近い声が飛び込んできた。

「敵の後詰めだ!」

 はっ、と顔を上げると、新たなジュキナの編隊が接近しているのが目に入った。

 まだ来るのか──しかし、なんだかこれまでとは様子が違う。

 先頭を駆ける四足型ジュキナの上に、ひとり仁王立ちしている人物がいた。爪先から頭まで、爬竜型ジュキナの鱗で作ったらしい装甲に身を包んでいる。相当の重さがある装備なのか、ジュキナの足取りが乱れていた。リライか? と咄嗟に思ったが、彼ほどに筋骨隆々としていない。シルエットは女性に近かった。

 謎の人物が乗ったジュキナは迷わず、ベイド・イベルカの方へと駆けていく。甲高い音に寄る習性に従っただけと思いきや、明確な指示を出してそうしているらしい。

 なんだか嫌な予感がする。

「シリム、あのジュキナの方にジャンプしたい」

 サスが言うと、シリムはこくりとうなずいた。

「うん、わたしもそう思ってたところ……いくよ」

 ふ、とシリムの姿が消え、サスの天地が横になる。干戈を交わす敵と味方の間を落下して抜け、サスがシリムのもとへ落ちきった時には、当のジュキナはベイド・イベルカのもとへ到達していた。前脚を振り上げ、叩きつける。ベイド・イベルカは轟然と足を回してそれを回避し、車体下部についた砲門から銛を的確に射出。ジュキナの顎に突き刺さり、そのまま頭頂まで抜けた。

 銛一発で騎手まで狙ったのか、とサスは目を見張ったが、既に謎の装甲兵はいなかった。銛から伸びる鎖の上を駆けている。軽やかな足取りなのに鎖はガシャガシャと揺れた。ベイド・イベルカが振り払うように車体をガクガク揺さぶり、鎖にうねりを加えるがもろともしない。凄まじい身体能力だった。

「ルンターズ!」

 呼ばれてそちらを見やると、見知った猫背の男がいた。レグダンだ。この戦いでは一隊員として参加しているらしい。

「それにシリムちゃんも。無事だったか」

「レグダンこそ。ねえ、あの装甲兵──」

「ああ、見るからに相当の因子持ち……あんな手合いがリライ以外にいるとか──」

 聞いたことねえぞ、と言いかけただろう口の動きが止まる。サスはベイド・イベルカの方へ視線を戻し──愕然とした。

 謎の装甲兵はベイド・イベルカの本体まで辿り着くと、近くの砲門から銛を軽々と引っこ抜き、片方の足に叩きつけた。金属板がひしゃげ、がくんと巨体が揺らぐ。

 ベイド・イベルカは残った片方の足を激しく稼動させると、ぐるりと身体を回して装甲兵に叩きつけようとした。サスの方まで空気の重く裂かれる音が聞こえるほどの威圧、しかし装甲兵は回避の素振りも見せず、肉薄するボディへ両手を伸ばすのみ。

 ドゴン! と大きな音が立って、ぴたりと金属の巨体が静止した。

「マジかよ……」

 レグダンの呟きが漏れる。サスは息すら忘れていた。

 装甲兵はすかさずサーベルを抜くと、ベイド・イベルカの首元に突き刺し、金属製のボディをジュキナの皮のように剥いだ。装甲の下、赤熱した機構部分が露出する。高熱を発するその箇所へ、その装甲兵は躊躇なく両手を突っ込むと、肝を抉り抜くようになにかを引っこ抜き、地面に叩きつけた。

 機械の心臓だった。

 ベイド・イベルカは大きく身をよじったきり、その巨体を轟音と共に地に伏せた。

「姉さん……」

 サスは呆然と呟く。まさか、たったひとりの人間に、こちらの切り札が敗れるなんて──そして、あの中にいる姉は無事なのか。

 衝撃的な光景に硬直するサスの腕を、シリムが引いた。

「サス、見て……」

 シリムの示す方を見ると、後に続いてやってくるジュキナの頭上に、リライが立っていた。大詰めだ。そう指すように、こちらに腕を伸ばしている。傍らには役目を終えて戻ったのか、あの装甲兵が控えていた。

 そして、彼の後方に続くジュキナたちが引くキャビンには──同じような装甲を着込んだ人間たちが大量に乗っていた。正体の未だに知れない、たったひとりでベイド・イベルカを倒せるだけの戦力が、ざっと数えただけでも百はいる……。

「無理過ぎるだろ──」

 レグダンが乾いた声で言う。周りの味方も引きつった顔をしていた。

 なんだよ、あれ。あんなの無理だ。適うわけがない。不可能だ。終わった。もう死ぬしかないのか──恐慌が押し寄せ、伝播し、増大していく。

 もはや、部隊長たちが必死に声を上げても効果はなかった。

 意気が挫け、砕け散り、濃厚な絶望が周囲を漂い始める。

「──ルンターズ、ゼルキドだ」

 ふと、隣のレグダンが低い声で言った。

「味方の士気が死んでる。まだ戦えることを示さねえと」

 臨時部隊を率いていただけあって、この状況でか細いながらも勝ち筋を見ている。

「で、でも、サスはゼルキドを使わないって──」

 シリムが抗弁しようとするのを、サスは手で制する。

「僕のゼルキドは的が小さいと相性が悪い。今、切るのは悪手だ」

「でも、それ以外になにがあるっつうんだよ! このままリライに蹂躙されるなんて──俺はゴメンだぞ!」

 サスも同じ気持ちだが、どちらにせよサスのゼルキドでは解決しないのだ。かといって生身ではひとりの相手すら覚束ないだろう。どうにかならないか。サスは不安に翳るシリムの顔を見つめ、必死で頭を巡らせた。

 そうしている間に、彼らの目前で運搬役のジュキナたちが停止し、続々と装甲兵たちが横に展開していく。ずらりと並んだその威容は、単にジュキナの立ち並んだ画よりも底の知れない恐ろしさがあった。

 先頭に立ったリライが咆える。

「今こそ、我が祖国、奪還の時! 進め!」

 そうして、馳せる。ウオオオオ、と続く装甲兵も猛る。更にジュキナも──。

 味方側に恐怖の気配が色濃く凝った。戦いで最も肝要なのは意気だ。なのに、相手の迫力を前にして、気力がみるみる萎んでいくのがわかる。

 このまま突撃されたら、負ける。

 そんな痺れるような直感がサスの全身を抜けた時だった。

「ゼルキド!」

 ゴウン! と雷の落ちるような音が響いた。

 サスとシリムは顔を見合わせる。どちらもゼルキドは使っていない。だとすると、他にこの魔法を使える人物は──。

「姉さん!」

 落ちて地を走る雷が如く、颯爽と味方の間を抜け、戦線へ躍り出たのはレメ・ルンターズだった。無事だったのだ。右手足が魔装肢であることを感じさせない軽やかな身のこなしは、先のベイド・イベルカを降した装甲兵に引けを取らないか、それ以上だ。

 サスの胸にどっと熱いものが寄せた。本当にゼルキドを一晩でものにしてくれたんだ。今、レメの中には偽シュワル因子が、魔装肢の不足したエネルギーを補って、全盛期以上の動きを実現している。自分の磨き上げた武器によって、姉が戦場に舞い戻ったという事実にサスの全身が震えた。

「シリム!」「うん!」

 サスはリライを指差す。それだけで通じた。シリムは手をかざし、強い引力を発する。リライと装甲兵の乗ったジュキナの頭が、ガクンと地面に落ちた。彼らの身体が無防備に宙に浮く。

 ──姉さん、父さんの仇を討て!

 せめてリライを倒してくれれば、それでいい。

 サスは姉にそんな願いを託して、その一手を打った──が、レメは応えなかった。

 彼女は転倒したジュキナを横目で見ただけで、その脇をすり抜けていく。

「な、どうして──」

 そのまま、レメは奥に立ち並んだたくさんの装甲兵のひとりに肉薄すると、サーベルを抜いた。

 閃光のような太刀筋。パキン! と音が立ち、鱗の装甲が割れた。

「ぐわっ!」

 攻撃を受けた装甲兵はあっさりと膝をついた。傍らに布陣した装甲兵たちは、動揺したように列を乱し始める。サスは拍子抜けた。全くレメの奇襲に対応できていない──。

「ま、まさか」

「あの鎧たち全部、虚仮威しか!」

 隣のレグダンが叫んだ。その言葉を証明するように、レメは取り巻きの装甲兵を次々なぎ倒していく。ここまで来れば、真相は誰の目にも明らかだった。

「あいつら全員、こっちの意気を挫くためのハッタリだ! 強いのはひとりだけ! ビビる必要はない! 突っ込め!」

 すかさず鋭い激励が飛ぶ。声の主を見るとムデルだった。それに呼応して、周囲の味方が士気を取り戻し、次々に声を上げ、飛び出していく。

 その光景にサスは乾いた笑いが出てしまった。

 リライの策を見抜き、たった一撃で沈み駆けていた戦況をひっくり返してしまった。やっぱり、あの姉にはまったくかなう気がしない──。

「ナメた真似しやがって! リライめ、ぶっ殺してやる!」

 レグダンが背中をきゅっと丸め、独特の姿勢でサーベルを構えて走り出した。その滑稽なまでの勢いにサスは現実に戻ってくる。

 そういえば、リライはどうした? サスが前方に目を向けると、既に見かけ騙しの装甲兵たちと味方の交戦が始まっている。その中で、明らかに動きの質が違う男女が見えた。レメとリライだ。その激しい剣戟に巻き込まれたのか、リライの乗っていたジュキナは既に骸となっていた。

 そして、その周辺ではベイド・イベルカを倒した装甲兵が、まるで雷落を模倣するように縦横無尽に戦場を駆けていた。その動きは見るからにレメの背後を狙っている。サスは口の中に苦いものを感じながら、目を細めた。

「……あいつ」

「サス、あの人どうにかしよう」

 シリムが指さして言った。味方の高揚にあてられたのか、興奮して熱っぽくなっている。その様子に、サスは却って冷静になって訊ねた。

「同感だけどいい手が思いつかない。なにかある?」

「えっと……わたしがうんと遠くに引っ張っていくのは?」

「なるほど、リライの切り札も手元になければ……ただ、あの素早さだ。引力に引っかけるのは難しい。先に動きを封じよう」

 サスがそのための案を伝えると、シリムはうなずき、ぱっとその場から姿を消した。探すと、戦場から遠く外れた丘陵に立っているのが見える。

 サスは付近の適当なジュキナの死骸に上ると、例の装甲兵の動きをよく観察し、タイミングを合わせて跳んだ。宙に浮いた身体を、遠くにいるシリムの引力が捉える。彼女の重みに抱かれ、サスは戦場の上空を落ちていく。

 内蔵を弄ばれるような浮遊感の中、とある地点でサスは腕を交差させた。引力を消すサインだ。その時点でサスの身体は星に引き寄せられ、慣性に従って斜めに落下していく。

 その軌道上には、レメと、その背中を狙う例の装甲兵の姿があった。

「うろああああああああ!」

 サスは勢いに任せ、容赦なくその後頭部にサーベルを突き立てる。奇襲が完璧にはまった。相当な速度が出ていたために、鎧の一部が弾け飛ぶ。それだけの衝撃を与えた、はずだったが──相手は倒れなかった。

「重──っ」

 装備の重さではない。身体そのものが重く、引き倒して動きを止めるつもりが、少しよろめかせるだけに留まってしまう。なんだ、この重さは──と、レメの背中を守るように着地したサスは、その者の姿を見て言葉を失った。

「はっ──」

 サスが飛びついた衝撃で頭部装甲が剥げ、素顔が覗いている。

 そこにあったのは──人間味のないほどに青白い、姉レメの顔だった。

「ふーん、そういうことね」

 呆然とするサスの横から、馴れ馴れしい声がかかる。混乱のあまり、一瞬、レオナかと思ったらレメだった。少女だった頃の口調がゼルキドによって引き出されている。リライの攻撃の隙を縫い、装甲兵の正体を見たようだ。

「ど、どういうこと!」

「奪った私の手足の使い道! コレクションじゃなくてさ、私の細胞取って、ジュキナの卵に突っ込んだんじゃないの? リライさん?」

「使えるものは全て使うのは当然。いかな、ルンタースの素材でもな」

 レメと激しくやりあいながら、リライは淡々と言う。それを聞いたレメは「マジ最悪、キモすぎッ、死ねっ」と罵詈を吐きかけながら、猛烈に攻撃を加える。

「な……なに、それ──」

 一方、サスは愕然とレメの分身を見た。白む意識に、レメと話していたコーストリアの台詞が蘇ってくる。

『ジュキナを遺伝子操作して手懐けてるような連中だ、お前の手足もロクな使われ方をしてないと覚悟しとけ』

 これが、潜伏派の研究の終着点。ジュキナの卵に姉の細胞を注入した結果、生まれた存在──つまり、レメのシュワル因子を持った「人型のジュキナ」ということなのか?

 確かに、戦場を駆ける様子は確かに姉を彷彿とさせ、造形に至ってはほとんど同じだが、その表情から人間らしい知性は感じられなかった。黒々とした眼球でサスを見据えており、その不気味さに吐き気がこみ上げてくる。完膚なきまでの悪を見たように感じた。こうまでして、取り戻したい国があるのか? そこには一体なにがあるんだ? こんなものを許してはいけない──。

「サス! ぼーっとすんな! 気持ちはわかるけど!」

 レメの声にサスは我に返った。

「姉さん──」

「私に追いつくつもりなら、そんな偽物、さっさと倒してくんなきゃ困るけど!」

 ああ、そうだ。サスはサーベルを握り直す。

 散々悩んで、変わって、強くなってきたが、そのゴールだけは一向に揺らぐことはなかった。兄に、姉に、追いつく。そのために、自分の足で立つ。

 そして、今、この瞬間が最後の試練なのだ。対するはサス自身の過去の亡霊だ。今まで失ってきたものも、得てきたものも、サスの全てを賭して、乗り越えなければならない。

「わかった、こっちは任せて。姉さんは、リライを」

 そう言って、偽レメに対峙した。ゆらり、と偽レメの身体が揺らぐ。

 その動きを見て、サスは気がついた。さっきから動きがないと思っていたが──どうやら、ずっと遠方のシリムの引力に引かれていて、それに抗っていたらしい。

 どうも、さっき一撃を加えた体感では、体積は人型のまま。重量はジュキナと同じだけあるらしい。シリムは人間だと思って引っ張っているだろうから、さぞかし困惑していることだろう。だが、無闇に引力を強めれば、他の味方にも影響しそうで、といったところだろうか。

 なら、それで構わない。サスは遠く、シリムの方へ視線を向け、あらかじめ打ち合わせておいたサインを出す。「そのままで」。そうして、一歩、偽レメの方に踏み出す。強く引かれる感覚がある、が、余裕で耐えた。散々実験場で味わってきた引力だ。サスはニッと笑って、サーベルを構える。

「シリムの重さには慣れっこなんでね」

 ハクヌスの最新兵器を単身破壊するような相手だ、平地では全く劣るかも知れない。だが、シリムの生み出した重力場なら──対等だ。

 サスの軽口に、偽レメはなにも言わずにサーベルを向けると、襲いかかってきた。

 複雑な重力場での対決だった。ある地点では横に引かれ、逸れると斜め下に引かれ、外へ出ると真下へ落ちる。しかも、その領域は一定ではない。シリムは遠方におり、少しで腕が揺らげば此方では大きなブレになる。

 ただ、サスにはその揺らぎも、引力の中から読み取ることができた。星の引力は一定だが、シリムの引力は生きている。その重さを、離れていても傍らにあるように感じる。

 特殊な環境下、偽レメの攻撃は鈍っているとはいえ、十分な威力と速さを備えていた。サスは一方的にその攻撃を受けながら、少しずつ、探るように立ち位置をズラしていく。

 そして、敵の振りかぶった手がわずかに鈍るのを見た。重力場の変化するポイントに差し掛かったのだ──サスはその隙へねじ込むように懐へ潜り、斬撃を放つ。そのまま振り抜いた手で、シリムへサインを送った。「一時的に引力を軽く」。偽レメの身体が軽くなり、切った衝撃に煽られてのけぞる。サスはすかさず無防備になった箇所へ攻撃を叩き込んだ。バラバラと鎧の鱗が剥げ、不気味な青白い肌が露出していく。

 適度な塩梅でサスはシリムにサインを出す。「戻して」──そんな合図の打ち合わせはしていないのに、通じた。直後、重力場が先の水準に巻き戻った。どっと身体が重くなる。なにかを感じて首を引くと、その目の前を刃が通り過ぎていった。かろうじてカウンターを避けた形だ。冷や汗がどっと出たが、同時に身体の底から確信が滾ってくる。やれる。勝てる。確信を込めて、サスはサーベルを振るう。

 視界の端では憤怒のレメがリライを押しているのが見えた。

 そんなルンターズふたりの激闘は、周囲で戦う味方にも熱をばら撒く。

「おい、見ろ、ルンターズが強敵を引き受けてる!」「サスがゼルキドなしで、バケモノとやり合ってる!」「レメは弟の十八番のゼルキド……こんなんアツすぎるだろうがよ!」「ああ、ルシェがいたころを思い出す!」

 その声のひとつひとつが、サスの身に染み入り、無窮の力になった。

「うおおおおおおおおおおおおおお!」

 サスは咆哮し、偽レメに肉薄し、力の限り、サーベルを振り上げる。偽レメは防御しようと腕を上げかけて──動けない。その腕にだけ、より強力な引力が絡みついたかのように、大きな痙攣を繰り返しながら静止している。

 しかし、サスへの負担が増えた感覚はない。土壇場の馬鹿力なのか、身体が限界を超えたのか……いや、これは──。

「シリム……まさか、形状記憶をふたつ同時に──」

 既に発動中の形状記憶のある一点へ、更に形状記憶を重ねがけすることで、ひとつの引力下の特定のスポットに、いっそう強力な引力を発生させているのだ。つまり、ここには二重の引力が存在する。紅茶のカップを引き寄せ、キャッチするのにあれだけ苦労していたのだから、その状態を維持する集中力はどれだけのものか、想像もつかない。

 ──サス、頑張って!

 シリムの声が、その見えない力に乗って聞こえてきたような気がした。

 ──シリムも、頑張れ!

 サスも見えない力に乗せて、気持ちを送り返す。

 そうして、渾身の力でサーベルを斬り下ろした。

「うらあああああああああああああああああああ!」

 刃先が偽レメの露出した首元に入った。直後、ぐっと刀身が重みを増して青白い肌へ深く食い込む。シリムも刃を引いて助けてくれている。周囲の味方──いや、仲間たちも、やれ! サス! と魂の叫びを上げている。

 今、この一撃に、サスの積み上げてきた全てが乗っている。

 このままいけば、振り抜ける──と、サスは勝利を確信し、顔を上げた時。

 そこに、ぐに、と姉の形をした青白い顔が、苦痛に歪むのが見てしまった。

『あああああああああああああああっ!』

 記憶の中、姉の悲鳴がフラッシュバックする。

「あっ──」

 それが偽物だとわかっているのに、ほとんど反射的に、サーベルの柄から手が離れかけてしまった。ダメなのか。結局、僕は、最後には心で負けてしまうのか──そんな恐ろしさが、腹の底から顔を覗かせる。

「大丈夫だよ」

 サスは目を見開いた。隣にシリムがいた。不釣り合いな紺色の優美なワンピース、なびく空色の髪、そして、紫色の瞳が彼を覗き込み、サスのサーベルを握る手に、自分の手を重ねている。

「サスは勝てるよ。強いから」

 ああ、そうだ。僕はこの少女のためなら、いくらでも強くいられるんだ。身も、心も。

 その瞬間、サスの心から、あの日、聞いた悲鳴がかき消えた。

 迷いなく、腕を振り下ろす。肉を裂く感触が抜けていく。鱗が散る。血が跳ねる。

 偽レメは前面に巨大な傷口をぱっくりと開き、仰向けに地面へ倒れ伏した。

「ほら、勝った」

 シリムが微笑む。勝った。じわりと、その実感が腹の底から湧いてきて、膨らんで、胸をいっぱいに埋めて──サスは天を仰いだ。

「勝ったぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 サスの鬨の声に、周囲が歓声を上げた。「俺たちも続け!」「あとはデカブツとザコだけだ!」と味方の士気は最高潮を迎える。

 一方で相手方には激しい動揺が広がり、逃走する背中も多数見え始めた。先ほどまで見せていた迫力に満ちた姿など、影も形もない。

 しかし、それも無理のないことだった。

「ぐっ……」

 どさ、と音が聞こえ、見るとリライがレメの前に膝をつき、激しく息を吐いていた。

「姉さん」

「ふう……ギリギリ間に合ったな。サスはいつもこんな気分で戦ってたのか」

 レメは余裕のない表情で汗を拭っていた。性格が元に戻っている。ゼルキドの時間を目一杯に使って、リライを追い詰めたらしい。

「……ああ、サスも勝ったんだ。さすが、私の弟だな」

「うん。気持ち的に……キツかったけど」

「……そうだよな。ごめん、嫌なこと押しつけて……でも、強くなったな、サス」

 ぽん、と頭に手を置かれる。その感触に、思わず涙がこぼれそうになったが、サスは耐える。まだ戦いは終わってない。

「それで……リライは、姉さんの手で?」

 見ると、リライはムデルの手によって地面に押し倒され、取り押さえられていた。その近くでレグダンが「ざまあみろ!」と嬉しそうに悪態をついている。

「いや、殺さない。負けたら死ぬつもりだった奴を殺すなんてバカげてる。法に預けて、自分のしたことの意味を、死ぬまでじっくり考えてもらう」

 レメは冷淡な口調で言った。リライは崩星の生き残りだ。あの災禍を乗り越えた後も一貫してレタームのイデオロギーを信じ、ジュキナ蔓延る危険な地域に隠れ棲み、ハクヌス打倒にその人生を捧げてきた。それをこれから、そのハクヌスの獄中で、自分の信じたこと、してきたことを徹底的に否定されながら終わっていくのは、人間が味わいうる最大級の罰なのではないか。

 そして、父も一歩間違えれば、その道に血を注いでいたのかも知れない。そう思うと、リライの運命もある意味で、他人事ではないような気がしてしまう。

 サスがそんな物思いに耽っていると、リライが突然、口を開いた。

「あのジュキナを斬ったのか……」

 偽レメのことだろう。サスは言ってやる。

「うん、斬ったよ。もう終わりだ」

「斬った、か……ははは、愚かなことをしたな、ルンターズ──」

 リライは口から血を溢しながら笑う。

「なにがおかしい」

「お前もあれの重さを感じただろう。人の身体にジュキナの重さ。絶対にありえない、が、その矛盾を実現していたのは──形状記憶魔法ホルドの力だ」

 その名前に反応して、ずっと傍らにいたシリムが、きゅっとサスの腕を取る。

「ヒト型ジュキナの製作実験は相当以前から行われていたが、人間以上のサイズになったサンプルはなかった。それまでに自らの成長を支えきれず自壊してしまうのだ」

 それは、ジュキナの元いた宇宙とのスケールにギャップがあるからだろう。対宇宙の巨大なスケールの生物の設計図を、この宇宙の小さなスケールの生物の身体で実現しようというのは無理がある。

「しかし、レメ・ルンターズのシュワル因子が新たなる可能性を示唆してくれた。回収した手足の細胞を埋め込んだサンプルは、星から受け取るエネルギーで成長する肉体を支え、人間の限界を超えてサイズを膨らませたのだ。多くは残念ながら、じきに瓦解してしまったが──ここで閃きを得た者がいた。人間のサイズの時点で皮膚に形状記憶をかけて固定化すれば、その内部へ畳み込むように巨大化していくのではないか、と」

 内圧で壊れてしまうなら容器を強力にすればいい。その結果、生まれたのが偽のレメだったということか──。

 サスの中で合点がいった時、足下に影が差した。周囲の喧騒も、戦闘時の怒号というよりも、困惑のどよめきになりつつあることに気がつく。

「サス・ルンターズ。君が斬ったのは──その形状記憶魔法の膜に過ぎない」

 そこで、リライの周りにいた者たちは、それを見上げて愕然とした。

 偽レメが巨大化し始めていた。筋繊維を剥き出しにした生物のようななにかが、サスの開いた傷口から這い出るように現われている。それは人間の形姿を留めながらも、顔貌も皮膚も失い、剥き出しの筋繊維から成っている。人体を抽象化した人形のようだった。

「奴はあの皮膚の内側で、その身に宿ったシュワル因子から星の核のエネルギーを置換して無限に代謝し、無尽蔵に成長を続けていた。あれは文字通り、この星が育てたあげたジュキナなのだ……はははははは、その包みを破ってしまったからには、もう遅い。ハクヌスは奴を前に……滅び去るほかない──」

 心底嬉しそうにリライは言った。結局、最後に残ったのは破滅への愉悦だというのか。サスはそのどうしようもなさに歯噛みをするほかない。

 ジュキナの身体はいくらでも偽レメの中から現われた。その巨大さに周辺のジュキナすら慄き、奔走していく。

「なにをしてる、俺たちも逃げるぞ!」

 ムデルの一声で、周辺にいた者たちも急いでその場から離れた。魔装肢でうまく走れないレメの肩をサスが支え、リライの身柄はムデルが請け負った。

「シュワル因子を宿したジュキナ……シュワル・ジュキナか……」

 レメが言う。偽レメの巨大化は留まるところを知らず、既に平均的なジュキナのサイズは超え、遠くの森林火災から立つ黒煙のように、天高く、どこまでも大きくなっていく。

「どうすんだよ、あんなの……入道雲じゃねえか……」

 同行しているレグダンの呟きをムデルが拾って、吐き捨てるように答える。

「倒すしかない。それ以外になにがある」

「いやいや、あんなんどうやって……」

 レグダンが猫背の身体を捻るようにして見上げた。シュワル・ジュキナの影は伸びに伸び、既にローズミルの全長の半分ほどにも達している。ここまで来ると、仮にベイド・イベルカが残っていたとしても、なんの役にも立たなかっただろう。

 未だに現実のものと信じられない光景に、サスはただただ呆然としていた。

 ──僕が斬ったせいで、あんなことになったのか。

 実際、あの場面ではそうするしかなかった。それでも、サスが撒いた種であることには違いない。責任は取らなければ、と強く思う。

「ねえ、サス」

 そんな時、シリムがサスを呼んだ。

「あいつを倒せる作戦ってもう……いろんな戦法とかサインを作ってる時、ふざけて考えたアレしかないんじゃない?」

 そう言って、とある方面を指さす。その先を見て、サスは脳内に稲妻が走ったようだった。完全に冗談のような話──非現実的でありながら、現状、最も現実的な策。

「アレか……確かに、そうかも知れない──」

「アレって? 作戦があるのか、サス?」

 サスに密着したレメが訊ねてくる。そこへレグダンがひょこっと顔を伸ばしてきた。

「そうだ、サス、お前ジュキナ専門のバスターだろ! なんとかしてくれ!」

「おい、サス・ルンターズ──勝ち筋があるのか」

 ムデルまで期待の宿った鋭い眼差しを向けてくる。そのやり取りを聞きつけてか、周りの仲間たちも口々に言い募ってきた。

「そうだ、サスはジュキナ専門だ」「おい、サス・ルンターズ、どうにかできるって本当か?」「お前の底力見せてくれよ!」「頼む、ローズミルに家族がいるんだ! 守ってくれ! この通りだ!」「ローズミルだけじゃねえ、アズヴァ全体の危機だ!」「救ってくれ、頼む! サス!」「サス!」「サス!」「サス・ルンターズ!」

 無数の期待を浴びて、サスは──やるしかない、と腹を括った。

 サスは足を止めると、彼を見つめる人々の顔を見渡して、言った。

「ああ……わかった。僕はジュキナ専門のバスターだ。確実にあいつを仕留めることを約束する。ただし──ひとつ条件がある」

 え、この状況で? と驚いたような反応が立つ。サスは安心させるように首を振った。

「簡単なことだよ。僕の相棒、シリム・レイタークの名も一緒に呼んで欲しい。僕がここにいられるのは、彼女のおかげだから」

「サ、サス──ちょっと」

 隣でシリムが慌てたように声を上げると、サスの耳元でコソコソとなにごとかを言った。それを聞いてサスはこんな状況なのに、少し笑ってしまった。

「訂正、シリム・ガル・レイタークでよろしく、と」

 一同はぽかん、と口を開けると、それからどっと言葉の雨あられをぶちまけた。

「サス・ルンターズとシリム・ガル・レイターク!」「なんだか知らないかわいこちゃん、覚えたぜ!」「一生忘れねえよ!」「だから絶対に止めてくれ!」「平和を掴んでいくらでもイチャイチャしろ!」「結婚式には呼べよ!」「サス! シリム!」「サス! シリム!」

「サス……」

 呼ぶ声と同時に肩がふっと軽くなる。見ると、サスから身を離したレメが、澄んだ眼差しを彼に向け、それからシリムの方にも向けて言う。

「それから、シリム──頼んだぞ」

「……任せて。さあ、やるぞ、シリム!」

「うん!」

 ふたりは全員にその場から離れてもらうと、改めてシュワル・ジュキナの方を見やった。その巨体は既に偽レメの身体から現われ尽くし、四つん這いの状態で腕らしきものを地面に叩きつけている。悔しがっているように見えるが、あれで移動しているのだ。そのまままっすぐ、ローズミルの方へ。

 あれだけの膨大な物体が人間のサイズに収まっていたとは信じがたい、と言いたいところだが──正直、それ以上の存在が傍らにいる。リライは恍惚と語っていたが、サスにとっては既に低次元な話だった。

「君の重さに比べれば、あんなのかわいいもんだね」

「ふふん、空間歪むくらいになって出直しておいでって感じ」

 シリムは自分の重さを誇る。それはきっと、その重さのおかげでサスの力になれていると自負があるからだ。その明快さ、迷いのなさがサスは羨ましく、好きだった。だからこそ、守りたいと思ったし、悲しませまいと思い、強さを求めた。

 そして、今、ふたりは世界の命運という、最も重いものを背負って立っている。

「じゃあ、最大出力で頼むよ」

「わかった。転ばないでね、サス!」

 ぐわん、と全身が一気に重くなる。なるほど、これはギリギリだ。サスは必死で地面を踏みしめながら、身体の中、偽シュワル因子を限界まで圧縮し、詰め込んでいく、そんなイメージを重ねていく。

 強く、強く、強く、強く、強く──そして、放つ。

 ここまで頑なに封じていたサス自身の武器──今、抜かずにいつ抜くというのか。

「ゼルキド!」

 ドガァン! と轟音が立った。

 かつてないほどの力、全能感がサスを包み込む。人生をかけて磨き上げてきたサスのゼルキドは、今、シリムと共に最高到達点に至っていた。

「さあ、シリムも、行こうぜ」

 サスは手を差し伸べる。

 シリムは「うん」と表情を引き締め、サスと同じ魔法を口にした。

「ゼルキド」

 ズガァン! と再び、雷鳴のような音が響いた。シリムは大人びた面差しでサスの手を取ると、踊るようにくるりと背中に回って、肩へ抱きついてきた。その感触から、偽シュワル因子の気配が濃厚に漂っている。

「しっかり掴まれ。容赦しないからよ」

「大丈夫、わたし、強いから。サスと一緒にこんなところへ、いられるくらいにね」

 耳元でそう囁いてくる。サスはニッと笑うと、地面を蹴り飛ばした。凄まじい速度で駆け、うごめくシュワル・ジュキナに接近する。

 シュワル・ジュキナはサスに気がつくと、虫でも払うように無造作に腕を振った。傍目には鈍重に見える動きも、近づくと凄まじい速度が出ていると肌でわかる。しかし、今のサスの方が機動力では圧倒的に上だった。真っ向からその腕にサーベルを突き立てる。剥き出しの筋肉に見えてその密度は尋常ではなく高く、黒曜石のように堅い。切っ先しか入らなかった。

 ただ、それで十分だった。それを手がかりにサスは一気に跳躍する、再びサーベルをピッケル代わりに肉へ突き刺し跳躍、と繰り返しながら、その巨体を登攀していく。シュワル・ジュキナは想像以上に俊敏で、身体を持ち上げ、よじり、腕先で振り払ってきた。サスはそのひとつひとつをうまくいなしながら、ついに頂点へと到達する。

 それでも、まだ上へ。サスはシュワル・ジュキナの頭部を蹴って、更に跳び上がって、高みを目指す。視界いっぱいに暁の空の色が広がった。

「サス、まだ来てる!」

 シリムの声に下を見ると、シュワル・ジュキナがこちらへ両腕を伸ばしていた。

「ああ、もっと行けってことか」

 自分たちを捕まえるために伸ばされた腕を容赦なく蹴りつけ、サスとシリムはもっともっと高くへ向かう。

 視線を下ろすと、朝日に照らされたローズミルの街が見えた。こんな危機の真っ只中でも、変わらずそこにある街の敢然とした姿にサスは勇気をもらう。

「シリム──」

 上昇速度が減退し、やがて一瞬、空中にふわりと停止した地点で、サスは肩にしがみついたシリムへ語りかける。

「うん。わたし、すっごく重くなると思うけど──平気?」

「望むところだ」

 星の引力がふたりを捉える。真下にはこちらを見上げるジュワル・ジュキナ。

 サスはコートの上から質量展開式破砕槌の輪郭をなぞった。

「悪いな、ここぞという時に使ってやれなくて」

 こいつを倒すには、遙かに巨大な武器がいる。それを今から取り寄せるのだ。

「グラブ!」

 シリムが叫んだ瞬間、ものすごい重量がサスの身に押し寄せた。その圧倒的な力に、思わず声が漏れてしまう。

「ぐ、ぐうう……」

「ごめんね、こんなに重い女で──」

「ああ、俺じゃなきゃ潰れてるな」

 強がりを言いつつ、身を裂くような引力に苦悶していたサスだったが──どうしてか、次第に力が増していくような感覚に襲われた。少しずつ身体が楽になっていく。

 何故、まだ強くなれるんだ。訝りながら自分の手のひらを見て気がついた。体内の偽シュワル因子が更に濃くなっている。

 その濃さの中に、シリムを深く感じた。

 そうか。今、サスの身体はぴったりとシリムに張り付いていて、彼女がゼルキドで構築した偽シュワル因子が彼の体内に漏れ出しているのだ。そして、その逆も然り、彼自身の偽シュワル因子も彼女へと漏れ出している。

「俺たち……ひとつになってんだ」

 ふたりはほぼ一体となって、互いの因子を共有していた。その効果は相乗的に顕れ、甚大な力となってふたりの間に宿っている。もはや、星の引力にすら引き寄せられないほどに──。

「サス!」

 シリムの声が飛ぶ。

 前を見ると、求めていた巨大な武器がふたりに向かって猛烈な勢いで迫ってきていた。

 放浪島ノービッットだ。

 ふたりが戯れに考えたのは、かつてのレタームの大地を巨大なハンマーとして扱うことだった。浮いているのなら引き寄せられる。無限の強さがあれば武器として使えるかも知れないと、そんな軽い冗談だった、普通のジュキナならばオーバーキル、リスクと成果に見合わないような過剰な火力、ロマンそのものでしかない非現実的な策──。

〈陸落とし〉。その夢想が、世界を救おうとしている。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 シリムが引き寄せたノービットを、サスは渾身の力で受け止めた。土の臭いが鼻を衝き、岩盤が手に食い込んでギシギシと重たい音を立てる。亡国の怨嗟がみっちりと詰まったような重量感だ。

 でも、軽い。この背中に負った少女の重さに比べれば。

 サスは受け止めたノービットを持ち上げる。ぐわんと砂礫をまき散らしながら垂直に翻った巨大な岩盤を、星の引力の引くに預けて振り下ろした。

 空気を切り裂いて、陸が落ちる。

 ジュワル・ジュキナは両手を伸ばしてそれを受け止めようとする。が、そこに乗っているのはノービットの重みだけではない。サスの強さとシリムの重みも上乗せされている。

 その重さはきっと、星に匹敵するだろう。

「くらええええええええええええええええ!」

「おらああああああああああっ!」

 ふたり分の叫びと共に──ノービットがジュワル・ジュキナに叩き込まれた。

 グギャアアアアアアア! とジュワル・ジュキナの咆哮があがった。ノービットの岩盤はその肉体を押し潰し、深く食い込み、静止する。怒濤の量の血しぶきと土埃が立った。

 ──まだだ。ジュワル・ジュキナの生命力の残滓を感じ取ったサスは、落ちたノービットを駆け上っていく。てっぺんに着くや、再び高く跳躍し、シリムに告げる。

「シリム! トドメだ!」

「任せて」

 サスの身体にシリムの重さが宿る。ふたりはひとつの星となって、ジュワル・ジュキナに刺さったノービットへ、最後の一打を叩き込む。

 空間が蠕動した。

 追加の一撃をもらったジュワル・ジュキナは、朽ちた人形のように弛緩し、地面に崩れ落ちた。生命力を失った肉体はその輪郭を保つ張力を失い、ついには自ら抱えるエネルギーに耐えきれず爆発する。最初は局所的に、そのうち連鎖的に広がっていき、最後には火薬庫が爆ぜるような勢いで爆ぜ、その巨体は消滅した。

 後に残されたのは──地面に深々と突き刺さったノービットと、そのふもとに立ち尽くすふたりの影。

「やった……」

 西方へ伸びるノービットの影を見つめながらサスは呟いた。

「とんでもないことやっちゃったね、わたしたち」

 シリムも放心したように答える。とんでもないこと──確かに、陸地を武器にするなんて、誰も思いつかないような、誰も真似しないようなことだ。

 その瞬間、凄まじい疲労がサスの身に襲ってきた。立っていられなくなって、どてっと尻餅をつき、大の字に寝っ転がる。シュワル・ジュキナが散ったばかりの草地はベトベトして最悪の感触だったが、動けないものはしょうがない。

 視界には雲ひとつない空が広がっている。その中に、同じ色をした髪がはためいた。彼女が紫の瞳を細めて、笑っている。

 もう全く身体が動かない。なのに、サスはその景色にこの上ない自由を感じた。

 僕はもう、自分の足でどこへでも行ける。彼女と一緒なら──。

「サス、頑張ったね──」

 眠りに落ちる直前、サスはそんな優しい言葉を聞き、さわさわと前髪の揺れる感触を覚えた。

 夢を見ないで眠ったのは、ずいぶんと久しぶりのことだった。

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