第四章 少女と過去の重力場 4

 辞令を待ちながらシリムと研鑽を積む、濃密な日々が過ぎていった。

 そんな折、街中で偶然、臨時部隊の元同僚と出会い、ジュキナ養殖場の調査が完了して部隊がローズミルに引き上げてきた、という情報を偶然聞き入れたサスは、さっそくレグダンを連絡を取って落ち合う約束をした。

 まさにその当日、潜伏派を巡る情勢が大きく動き出した。

「よう、ルンターズ。会いたかったぜ。号外は見たか?」

「久しぶり、レグダン……見たよ」

 レターム潜伏派の主導者リライ・フォーボクによる声明が出た。内容はハクヌス共和国がレターム王国の滅亡を画策したことを正式に認めること。国内のレターム遺民を解放すること。残存する陸地の中から、レターム王国が所有していた広さの土地を割譲すること。

 期限までに要求を飲まなければ、ハクヌスの都市のひとつを攻撃し、そこを新レターム王国の首都に据えるという。主張自体はこれまでの潜伏派の掲げる大筋と変わらないが、具体的な行動を脅しとして示した例は初めてだった。

「そんな馬鹿げた要求、飲むはずがない。事実上の宣戦布告だな」

 ローズミルの酒場、そんな旨の書かれた新聞記事を机の上に開き、背を丸くして覗き込みながらレグダンは言った。

「ただ、潜伏派はアズヴァだけじゃなく、各地に散らばっていて全容が把握できない。手の届かない放浪島ノービットにも拠点があるって話だ。どこが標的になるかわからないのは痛いな」

『潜伏派の動きが活発になってきている。ピクニック気分でいると死ぬぞ』

 ムデルの別れ際の台詞が脳裏に蘇ってくる。声明の後、調査団の主要部隊はひっきりなしに稼動し、潜伏派の拠点を叩いて回っているようだが、どこも尻尾を掴ませず、構成員は狡猾に逃げ回っているようだ。

「でも、どうしてわざわざこんな声明を……無駄に警戒されるだけだよね。どうせやるなら先に行動するべきだったんじゃ」

 ルールなき競り合いは崩星以来続いていて、予告無しの攻撃など日常茶飯事だ。今更かしこまった声明を出したところで、侵攻の日時をわざわざ知らしめるものと変わらない。不意を打つアドバンテージをあえて放棄するのは何故だろうか。

「ああ……リライはレターム謹製の怨霊みたいなもんだが、シュワル因子持ちだし頭がキレる。なんか腹づもりがあるんだろうな……ま、いずれにしたって、砂上の楼閣を築こうとしてるようなもんだ。長くはもたねえ。リライがのこのこ破滅への一歩を踏み出したんだと見りゃ、こんな楽しみなことはないな」

 そう言い捨ててレグダンは酒をあおった。確かに、潜伏派の未来は控えめに見積もっても明るくなく、リライの行動も悪足掻きのようにも思える。

 まあ、酒の席で詮索をしても仕方ない。サスは本題を切り出した。

「それで、養殖場の調査はどうだった?」

「ああ……アホみてえに臭かったぜ」

 レグダンが鼻をぎゅっとつまんでみせる。もう、よほどだったらしい。直前で帰還した自分が余計に申し訳なくなってくる。それから定番となっているらしい、しばらく臭いが身体から落ちなかったという話をひとしきりした後、レグダンは声を抑え、核心に入った。

「あの場所は正確に言うと、養殖場じゃなくてジュキナの研究所だった」

「研究所……?」

 サスの脳裏に残った凄惨な光景と、研究所という単語は即座に結びつかなかった。長くローズミルの研究室に居座っているせいかも知れない。

「大半の情報は破棄されてたんだが、キャビネットの裏側とか、死んだスキナの胃の中から見つかったりした資料の断片から見るに、親個体の生殖メカニズムを調べていたらしい。後から来た専門家によりゃ遺伝子学っつぅ、よくわかんねえけど、生物の設計図みたいなもんをいじくる研究だとかさ」

 遺伝子、という言葉はレオナが口にしていたような気がする。ジュキナの持つそれは、他の生物に比べて遙かに複雑らしい。対宇宙の存在だからだろうか。

「それで家畜化に適した個体を作ろうとしてたのかな」

「ああ、そんなようなことを報告にあげたな。あの研究所で生まれたスキナは、他地域で観測されたスキナよりも遙かに丈夫な個体で、孵化に失敗した個体が見つからなかった。ま、お前のハンマーの前じゃ誤差みたいなもんだったわけだが」

「じゃあ、潜伏派はもう研究に成功してる、ってことじゃないか」

「ところがどっこい、そうでもないらしい。研究所が破棄されたのは存続連の侵攻があったからで、研究自体は中断という体裁になっていた。繁殖をコントロール下におき、生命力の強い個体を生産することに成功したが──連中にとって、それは途中経過に過ぎなかった。俺たちの対処したスキナ大発生は、しぶとい個体が生き残りまくった結果らしい」

「ってことは、まだ、あの先が?」

「古い施設だったしそのまま本当に中座した可能性もある。なんとも言えねえな」

 スキナにしろジュキナにしろ、平気で共食いするようなけだものだ。数多く打ち倒してきたサスからすると、どうしても食肉利用以外の方途が思いつかないし、仮にそうだとしても非効率的としか映らない。

 いずれにせよ、潜伏派はハクヌスを嫌い、その領土に住むことをよしとせず、ジュキナの生息圏に潜んで暮らしてきた人々だ。安全圏を少しずつ広げるように生きるハクヌス側とは全く異なる、ジュキナとの向き合い方をしていてもおかしくない。

 そんな漠然とした疑念を、今日公表されたばかりのリライの声明と繋げてしまうのは、短絡的だろうか──なんともすっきりしない気分だけが残る。

 レグダンはその後も養殖場改め研究所調査のことを話した。わかりやすい粒度の成果はそのくらいに留まったものの、その他は現行のジュキナ研究の穴を埋めるような専門的な情報や、スキナ飼育のノウハウなど、地味ながら有益な発見があったらしい。総合的に見れば上々とのこと。

 結局、掴んだ情報をどう判断するかは上層部の仕事になるだろう、とまとめて、現状、よくわからない情報に関しては匙を投げることにした。

 そうこうするうちに酒も深まり、話も自然と逸れて、隊員同士のゴシップや面白かったエピソードなど、口々に言い募る局面に入った。普段、成り行き的に女性ばかりと喋っているサスにとって、男相手だと気が抜けて良い。サスは安楽な気分でレグダンとの会話を楽しんでいた。

「あっ……サス!」

 だから、その声が聞こえた時は幻聴を聞いたと思った。振り向くと、確かにシリムが空色の髪を振り乱し、サスの方へと駆け寄ってきている。一瞬で酔いが吹っ飛んだ。

「シリム、なんでここに」

「だって、サス、帰るって言った時間に全然帰ってこないんだもん。レオナにはなに言っても『ぽにゅー』としか言わないし、わたしもう、サスの身になにかあったんじゃないかって、すっごく心配になっちゃって……」

 隣に座り、潤ませた瞳をぐぐっと近づけてくる。シリムは当然のように同室だが、レオナは報告書書きで精神が壊れてしまったとかで、逃げ場所を求めて何故かサスの部屋に陣取っていた。

「え、それはごめん──って、ええ……」

 そんなに時間が経っていたかと焦って時計を見ると、過ぎていたのは十五分程度だった。「そこまで?」と思ってしまう誤差。

「でも、無事で良かった……」

 長らく行方不明だったような温度感でシリムがひしと抱きついてくる。一部始終を見ていたレグダンは、めちゃくちゃ面白そうにげらげら笑っていた。

「わかった、その子がガルって子か! サスからよーく話は聞いてるぜ、もう恥ずかしいくらいにガルがガルがって言ってたからよ」

「えっ……本当に! もっと、もっとサスが言ってたこと教えて!」

 シリムが食いつく。それから前にもあったようなやり取りが繰り返され、サスは恥ずかしさのあまり頭を両手で抱えてうずくまる。そこへすかさず給仕の少女が水を持ってきた。いや飲み過ぎたわけじゃないんだけどな、と思いつつ「ありがとう」と受け取ったら、シリムがむっとした顔で「誘惑しないで」とその子を睨みつけた。肝を冷やすサスに、給仕の子は顔をしかめて「アチチチ」と厨房へ逃げ帰っていき、レグダムだけでなく周りの客や店主にも笑いを引き起こす。シリムを中心に、店の雰囲気は一気に朗らかになっていた。

「というか、よくサスがここにいるってわかったな、シリムちゃん」

 最終的にすっかりシリムに入れ込んだレグダムが赤ら顔で訊く。確かに、行く先は告げていなかったな、とサスが思っていると、シリムはなんてことのないようにとんでもないことを言ったのだ。

「この通りのお店全部に顔出してサスがいないか訊いて回ったの」

「……ええええっ!」

 サスは絶叫する。

 ──ここは酒場街だ。面白そうな情報があれば、火がついたように広がっていく。

「あ、シリムちゃんだ」「今日もラブラブだねー」「良い意味で重たくてなによりだぜ」

 と、数日もしないうちに、ルンターズの生き残りの青年と、彼にぞっこんな愛の重い少女の噂は瞬時にローズミルの街のトピックとなり、歩くだけでそんな声がかけられるようになってしまった。

「ふふ、ここって良い街だね」

 自分たちを肯定してくれるなら最早なんでもいいのか、シリムもニコニコしている。サスとしては恥ずかしくってしょうがなく──まあ、彼女がいいならいいか、と思いかけている自分にも呆れてしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る