第20話 死神の大太刀 弐什

 餓狼がろうと魔獣が戦闘を再開した。魔獣の毛皮は非常に硬い。漆黒の大太刀でもそれを斬り裂くには至らない。このままでは餓狼がろうの分が悪いように思えた。


 継続する戦いの中で、先に動きが鈍くなり始めたのは魔獣の方だった。


 無作為に攻撃を繰り出す魔獣に対し、攻撃を全て打ち落とす餓狼がろう。反撃は同じ場所へ繰り返す。そこが急所なのかは分からない。だが、手を止めずに何度も漆黒の大太刀を叩きつけた。


 徐々に魔獣が後退する。正面からの打ち合いは分が悪いことを理解したのだ。


 間合いに余裕ができた。餓狼がろうが好機と踏んで、漆黒の大太刀を上段に構える。鋭い踏み込みと共に振り下ろされる一撃。だが、体に悪寒があった。その悪寒の正体を説明しろと言われても、感覚的過ぎて言葉にできない。


 餓狼がろうは大太刀を振り切る前に飛び退く。


 魔獣の額の一角に電流が走る。地面に紋章陣が展開。そこは餓狼がろうが踏み込んだ場所だった。その直後、炎柱が立ち昇った。


 炎柱は一瞬。熱波が餓狼がろうの頬を撫でる。


 魔獣が牙をむき出しにした。その表情は怒っているようにも、笑っているようにも見える。丸焼け予定だった黒衣の男は未だ健在。魔獣は攻撃が空振りに終わったことを理解した。人間ならば多少は動揺が見えるところ。しかし、相手は魔獣。即座に強烈に咆哮、それと共に両腕を広げて威嚇の構え。


 餓狼がろうが短く息を吐く。


「後退したのは誘い・・・得物を振り切っていたら丸焦げ、か。獣の分際でちょっとは賢い戦い方をするじゃないか。だが、残念だったな。俺の直感は捨てたもんじゃないだろう?」


 餓狼がろうがニヤリと口を歪めた。そして、脇溜めにしていた大太刀を担ぎ直した。少し間を取って呼吸を整えなければ。


 魔獣である以上は紋章術を行使するであろうとは思っていた。紋章術に特化した個体や特殊事例を除き、基本的に各個体が行使できる陣は一つ。魔獣が紋章術を行使するのは本能。人間のように陣を描いて得たい効果を具現化するものではない。これまでの戦いの中で感じたのだが、この熊のような魔獣は紋章術特化の類ではない。


 特殊事例の個体に関しては、餓狼がろうが見たのは二度だけ。魔獣の発生そのものが少ないけれど、特殊事例に該当する個体はさらに希少であった。


 ここで奴の陣の効果を知れたのは僥倖だ。


 それならば、気を配るべきはあの角。先の攻防で紋章陣の展開の直前に電流が走った。無拍子に紋章陣の展開はできないと予測を立てて対峙すべきだろう。今まで使用しなかったのはその回数に制限があると考えれば筋妻が会う。間合いの外から牽制で行使してこないのが答えではないか。


「あれはお前にとって奥の手。必殺の一撃ってところか。悪いな避けてしまって。」


 人間の言葉なんて理解できないと思いつつ言ってみる。この言葉を人間相手に言ったら挑発と受け取られかねない。この言葉が伝わるなんて思っていない。


 案の定、魔獣は言葉の意味を理解できていない様子。


 餓狼がろうを威嚇した魔獣が攻勢の構えを見せる。だが、何を思ったか突如として踵を返す。そして、逃げ始めた。背中を見せての逃走。その姿は一目散って言葉以外では形容できない。餓狼がろうも脚力に自信があるけれど、全力で逃げる四足歩行動物を追走できるほどではない。平地ならいざ知らず、ここから先は山道。同じよほどの脚力がなければ追うのは至難の業であろう。


 餓狼がろうが構えを解く。そして、下げてた漆黒の大太刀を鞘に納めた。


 大きく息を吸い込んだ餓狼がろうがゆっくり息を吐き出す。体の中に溜まってる気を吐き出すように。気を落ち着けた餓狼がろう稲継いなつぐを見た。


 餓狼がろう稲継いなつぐの視線が交錯した。


 稲継いなつぐは目の錯覚を疑った。餓狼がろうの瞳は淡い赤に発光している。瞬きを数回する間に餓狼がろうの瞳は元の色に戻っていた。


「とりあえず、魔獣は退けた。お前の望み通り、部下は助かった。これでお前の命は俺のものだな。ふふふ、どうしてやろうか。」


 腕を組んでニヤリと笑う餓狼がろう。その言葉に対し、稲継いなつぐが深々と頭を下げた。緊急の口約束を守ってくれたのだ。感謝をする以外にない。


 餓狼がろうの言葉を聞き、慌てた様子で森河もりかわりょうが声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってもらえないだろうか。」


 彼は二人の間で交わされた約束を知らない。餓狼がろう稲継いなつぐの間に割って入る。


水戸部みとべ様とどんな話があったのかは分かりかねますが、隊長の命が貴殿のものと聞いては黙っている訳にはいかない。」


 側近達は刀の柄に手をかけて戦う構え。


「お前たち・・・。」


 俺に恥をかかせるな、稲継いなつぐがいいかけた。しかし、餓狼がろうの言葉が続きを遮った。


「別に取って食おうって訳じゃない。お前の主には俺の役に立ってもらう、そう言っているんだ。それにあの男はお前達の為に命を差し出すと言ったんだ。勿体無いほど良い大将だ。このまま死なすのは惜しい。それはそうと、勝てない相手に喧嘩を売るのはどうかと思うぞ。」


 最後の言葉だけ聞くと煽っているように聞こえる。しかし、稲継いなつぐを含むその場にいた者達全員が餓狼がろうの言葉に反応を示した。


餓狼がろう殿、貴殿の役に立ってもらうとはいったい・・・。」


 稲継いなつぐ代表して言葉の真意を問う。すぐに餓狼がろうが返答した。


「あぁ、言ってなかったな。水戸部みとべと言ったか、お前には狗神いぬがみ家の為に盗賊の掃討と魔獣の討伐に協力してもらう。狗神いぬがみの当主に力を示して、配下に加えてもらえ。俺が考えたのはそんなところだ。不満があっても却下だ。命を俺に預けた以上否は認めない。主を鞍替えしろって言っているんだ、配下の兵には選ぶ権利をやろう。転移紋章陣の再構築と起動は許すから、本国に帰りたい者はそうすればいい。無論、紋章陣はすぐに破壊させてもらうがな。」


「そんな事でいいのか?」


「そんな事ってなんだ。命を絶って欲しいのならその望みを叶えたっていいんだ。だが、まずは俺に協力しろ。狗神いぬがみに仕えるかはその後考える猶予をやる。」


 稲継いなつぐが再び頭を下げた。同時に、主の命が絶たれると思っていた森河もりかわりょう達が一斉に胸を撫でおろした。


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