第5話 死神の大太刀 伍

 山道で待つ十吉とおきち達は皆が一様に同じ不安を抱いていた。


 菊之助きくのすけが戻るまでに盗賊に襲われるのではないか。護衛に二人の兵が居るとは言え、街で耳にした噂では盗賊の数はかなりのものらしい。仮に今襲われでもしたら・・・十吉とおきち自身は殺され、妻と娘は・・・悪い想像しかできない。


 十吉とうきちは不安を祓うように首を振った。それでも、一度浮かんだ悪い想像は消えてくれない。


「こりゃ、神頼みでもしないとやってられねぇな。」


 弱気とも取れる発言が口から漏れた。こんなことではダメだ、十吉とおきちが頬を軽く叩く。気を引き締めなければ。


 不意に大きな木の下で見た餓狼のことを思い出した。今あの男の事を思い出した理由は分からない。各地で名を上げている彼ならこんな状況をどう思うのだろうと。


 死神、そんな異名が着くくらいなんだから、さぞ強いんだろう。だったら・・・。


「俺達を助けてくれるなら、死神でもなんでも崇拝するんだがな。」


 十吉とおきちが呟く。吐き出された言葉は不謹慎そのもの。だが、呟きだったのが幸いした。彼の声は誰にも届いてはいなかった。



 菊之助きくのすけは餓狼を連れて十吉とおきち達の下へ戻った。槍を突きつけられないように見えるように山道を使った。


「今戻った。何か異常はあったか?」


 菊之助が問う。おそらく何も無かっただろう。案の定、二人の部下は沈黙したまま。言葉の無い短い時間があった。その後、部下の一人が口を開き、疑問符を投げかける。


「・・・その者は?」


 二人の目線は菊之助きくのすけの背後に向けられていた。黒衣の外套を纏った男がそこに居る。


「あぁ、この人は・・・。」


「・・・死神。」


 説明しようとした菊之助きくのすけの言葉を遮るように十吉とおきちが声を漏らした。何か不味いものを見ているような様子だ。


 十吉とおきちがハッと我に返る。


餓狼がろう殿、大変失礼しました。」


 すぐに頭を下げる十吉とおきち。すると、餓狼がろうが短いため息をつく。


「気になんてしてないさ。最近その名で呼ばれていることは知っている。俺には過ぎた異名だ。死神・・・死神か。まったく、過ぎた異名じゃないか。他人から見れば常人とは違う。そう考えれば死神と言いたくもなるか。ふむ、俺はそんな風に見えるか。」


 身形からは想像できないほど餓狼がろうの口調は飄々としていた。


 菊之助きくのすけは、先に餓狼が野盗を斬る様が頭を過った。


 闇夜に溶け込んだ大太刀が見えなかった。技量が違いすぎる、それが言い訳にならないほど餓狼の剣技は卓越していた。


 常に行動を共にしてる勘宝かんほう狗神いぬがみ家家臣の中でも剣術で肩を並べる者はいない。近隣諸国の中でも勘宝かんほうは強い部類だろう。だが、そんな勘宝かんほうでも餓狼がろうの前では霞んで見える。


 勘宝かんほう剛平ごうへい菊之助きくのすけが三人同時に立ち会っても勝ち筋を見い出すことはできないだろう。


 菊之助きくのすけ十吉とおきちに問う。


「餓狼殿を荷馬車に乗せることは可能だろうか?」


 十吉とおきちが驚いた反応を見せる。


 荷馬車にはサチとサナの二人が乗っている。多少狭くはなるだろうが、餓狼がろう一人を乗せることくらいはできる。だけど・・・。


「俺達家族は、とはあまり関わりたくない。」


 十吉とおきちの口から思っている事が溢れた。一番驚いたのは自分の声を聞いた十吉とおきち自身だった。


 この状況を打開してくれるなら死神であっても崇拝できる、そう思っていた。だが、実際に死神と呼ばれる男を目の前にすると気持ちが臆してしまった。


 餓狼がろうが肩を竦めた。十吉とおきちの返答が予測できていたように。


「ほら、だから言ったじゃないか。俺を乗せようって御者はいないって。死神なんて異名が付いては俺の隣を歩けるって人間を見つけるのも一苦労だろうさ。そもそも、あの男は俺を恐れている。」


 図星を突かれた。十吉は慌てて否定の言葉を探した。


「そんなんじゃ・・・。」


 その言葉を遮るように餓狼がろうは首を左右に振る。


「お前、元兵士だろう?それもかなりの手練。歩き方を見ればわかる。剣の扱いにも慣れていそうだ。俺に恐怖を抱き、関わりたくないと思うのは、一重ひとえにお前の本能によるものだ。お前がそう感じてしまうほど、俺とお前の力量には差がある。自分に敵意が向いていないとしても、危ない人間をそばに置いておくものではない。そこは恥ずべきところではないし、むしろ誇っていい。お前には家族もいる。自分の命は大切にするものだ。」


 十吉とおきちは何も言えずに俯いた。


 次に困るのは菊之助きくのすけだった。


 餓狼がろうを護衛に据えて狗神いぬがみ家の屋敷まで行くのが一番安全。その上、かなりの手練を狗神いぬがみ鋼牙こうがに紹介することができる。優秀な戦力を野放しにしておくのはもったいない。


 十吉とおきちが荷馬車に乗せないのであれば、違う案を提示するまでだ。


「それでは餓狼がろう殿。」


 餓狼がろうが何も言わずに菊之助きくのすけに視線を移す。


「断る。」


「まだ何も言ってないじゃないですか。」


 菊之助きくのすけが慌てて言い返す。


「なんだか、面倒な予感がしてな。話だけでも聞こうか。」


 菊之助きくのすけが感謝の言葉を述べた後で話を始めた。


「私の馬をお貸しします。その上で同行をお願いします。私が十吉とおきち殿の荷馬車に乗せてもらいます。」


 菊之助きくのすけ十吉とおきちへ視線を向ける。すると、十吉とおきちが頷いた。


「それではすぐに動きましょうか。私は鳥野目とりのめ様に報告の後に、この先の集落へ向かわなければなりません。」


 餓狼がろうが先に大勢斬り捨てたとは言え盗賊の総数は未知数。勘宝かんほうが感覚派であるとは言え、無策で集落に飛び込むような事はしないと思うが・・・。いや、それもあり得るかもな。


 胸の中で不安が膨らんでいく。


 菊之助きくのすけが荷馬車の御者台に乗り込む。それと同時に、天幕付きの荷台に十吉とおきちが乗り込んだ。


 十吉とおきちは怯える家族の肩をそっと抱き寄せた。

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