第6話 死神の大太刀 陸

 菊之助きくのすけ狗神いぬがみ鋼牙こうがへの報告を終えて自室へ戻った。


 空は微かに白んでいるが外は暗いまま。太陽はまだ顔を出していない。


 職人達の集落にいる勘宝かんほう達と合流するのは早い方がいい。だが、連れてきた二人の疲労も考慮しなければならない。故に、出立は太陽が出てから。二人にもその旨を伝え、短い時間だが自室で休ませることにした。


 自室に戻った菊之助きくのすけは少しでも横になって疲労をとる努力をする。しかし、目が冴えてしまって寝付くことができない。


「寝れん。気が立っているのだろうか。報告は済ませたし、餓狼がろう殿をお連れした経緯も伝えた。しかしまぁ、相兵宝ひょうほう様は相変わらずだ。新参者に厳しい目を向ける。あれでは胆力の無い者ではすぐに逃げ出してしまうだろうな。」


 菊之助きくのすけが目を閉じて一人語りを始めた。


 鳥野目とりのめ兵宝ひょうほう狗神いぬがみ家家老として役目に殉じている。その手腕は優秀。なにより非常に用心深い。新参者に厳しい目を向けるのは彼の用心深さの現れだ。それでも、時として重箱の隅をつつくかの如き嫌味を言うのは勘弁してほしい。


「気になったのは狗神いぬがみ様の方だな。」


 狗神いぬがみ鋼牙こうが餓狼がろうを見た時の事を思い出す。


 よもや、鋼牙こうが様は餓狼がろう殿の事を知っているのではないか。旧友と再開した時のような、そのように見えた。


 僅かな変化だったと思う。普段から将棋の相手をしている菊之助きくのすけでなければ見落としていしまったかもしれない。雰囲気の変化、気のゆらぎ・・・いまいち上手い言葉が見つからない。だけど、それは確信に近い推測。


 そこまで考えたけれど、狗神いぬがみ鋼牙こうがが何を思ったまでは想像できなかった。寝付けないからと言って睡魔が近くに居ないわけではない。徐々に頭がボーッとしてくる。


 菊之助きくのすけが眠りに着くまでは、然程の時間もかからなかった。



 狗神いぬがみ鋼牙こうが鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうに下がらるように命じた。鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうは渋々当主の命に従う。部屋には餓狼がろう狗神いぬがみ鋼牙こうがの二人だけになった。


 先に頭を下げたのは狗神いぬがみ鋼牙こうがだった。


「お久しぶりです。」


「領主が一介の浪人なんかに頭を下げるもんじゃないぞ。」


 餓狼がろうの返答を聞いた狗神いぬがみ鋼牙こうがが頭を上げる。


「今の俺があるのはあの時貴方に助けられたからだ。」


 狗神いぬがみ鋼牙こうがは十数年前に起こった反乱の際に餓狼がろうに助けられてたことがある。当時から神童と謳われていた狗神いぬがみ鋼牙こうが。そんな彼に反乱の鎮静が命じられたのだ。当時の彼は自尊心の塊のような人間だった。


反乱の鎮静など自分にとっては簡単な仕事だと、正直舐めていた。その考えが彼を窮地に追い込むことになる。


 、ろくな作戦も考えずに武力で押し潰そう。それに異を唱えた部下の進言には耳を貸さなかった。彼は反乱軍を烏合の衆と断定した。そして、不用意に兵を動かした。


 案の定それが悪手となる。


 多くの兵を鎮静に向かわせた結果、手薄になった本陣が奇襲を受けた。本陣に残っていたのは僅か十数人。反乱兵達はその四倍。その際に狗神いぬがみ鋼牙こうがを助け、反乱軍の奇襲部隊を殲滅したのが餓狼がろうだった。


 狗神いぬがみ鋼牙こうがの言葉を聞いて、餓狼がろうがニヤリと笑った。


「いやいや、狗神いぬがみ鋼牙こうがなら、あの場からでもなんとかしていたかもしれん。なんせ自尊心が天井知らずだったからな。ふん、余計な事をしたと非常に反省したんだ。」


「若気の至りってことにはならないだろうか。今となっては恥ずかしい限りです。」


「それはお互い様だろう?」


 部屋の中に居るのは二人の男。彼らは声を上げて笑った。


 餓狼がろうが奇襲部隊を殲滅した後で狗神いぬがみ鋼牙こうがから言われた言葉はだった。


 その後で餓狼がろう狗神いぬがみ鋼牙こうがが殴り合うのは容易に想像できる一幕だ。


 一頻り笑い終えた二人。


「この度は部下が助けられたようだ。重ねてお礼を申し上げる。」


「いいから頭を下げるなって。大層な事をしたなんて思っていない。俺は突っかかってきた奴らを斬っただけだ。」


「偶然とは言え、結果として領地内で問題となっている盗賊の数も減らせた。俺としては感謝しかない。」


 狗神いぬがみ鋼牙こうが柔らかい笑顔を作る。餓狼がろうが顔を背けた。


「人間、変わろうと思えば変われるものだ。調子が狂うぜ、まったく・・・。だが、奴らの残党はまだ残っているだろうよ。」


 狗神いぬがみ鋼牙こうがが眉根を寄せる。餓狼がろうが言葉を続けた。


「宿場町や職人達に聞いた頭目の特徴と合致する者がいなかったからな。」


 餓狼がろうが盗賊の頭目の特徴を簡単に説明する。


「あくまで噂の中で掴んだ特徴だ。実際に見れば全く違うかもしれん。」


 狗神いぬがみ鋼牙こうがが顎に触れていた手を離した。


「情報提供に感謝する。聞いてばかりで申し訳ないが、盗賊の残りはどれほど居るだろうか?正確でなくて大丈夫だ餓狼がろう殿の推測で構わない。伺ってもいいだろうか。」


「・・・五十から六十ってところだろうか。」


「そうか。」


 指先が顎先に触れ思慮の構えを見せる狗神いぬがみ鋼牙こうが。少しの沈黙。彼は纏まった考えを告げた。


「討伐隊を編成せねばな。差し当たり問題になるのは、東山とおやま川上流の集落に向かったのは勘宝かんほう達か。餓狼がろう殿、私の依頼を受けてはくれまいか。」


 餓狼がろうが首を傾けて見せる。狗神いぬがみ鋼牙こうがは簡潔に依頼内容を告げた。

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