第三幕⑧



 たった五日ほどで、ウエンディは上品な乗馬服を与えられ、裏庭を通って馬房まで連れ出された。

 さすがに出来る国は決定までの過程が早い。無駄に時間を消費しないという点で、ウエンディはこの国が好ましいと思ったくらいだ。


「これが……馬」


 前世を含めて初めて馬に触った。思ったよりも硬いが、温かい。

 故郷からの長旅に同道してきたせいか、最終日は少しうすよごれていたように遠目からも見えた。しかし、今は真っ白に輝やいている。れいにしてもらったらしい。


「もともと、乗馬馬としてのしつけはされていた。それに馬車を引かせてきたらしいな」


 誰か、兄弟か王の馬になるはずだったのだろう。それが、きゅうきょ、輿入れのための道具になった。

 白馬というのは珍しいから、かき集められた際に、アピール力があるとみられたに違いない。


「名があるのか?」

「知りませんねぇ」

「では君が名付ければいい、君の馬だ」

「わあ、じゃあ白いから、『王子様』で」

「お……に決まっているだろう、馬鹿にしているのか君は」

「白馬といえば王子様が乗っているのにぃ? 仕方ありませんね……じゃあエフォーナにしましょうねぇ」


 名が決まると、シリルは軽い動作でエフォーナに乗った。そして、手を差し出してくる。

 ウエンディは、騎士なのか兵士なのか分からないが、軽装をした体格の良い男に補助されながら、シリルに引き上げられた。彼に背中から支えられる形だ。

 想像以上に視点は高かったが、ぽくぽくと馬が歩くとそよ風が感じられ、気分がいい。

 ひざをしめろだのづなに力は入れるなだの色々とシリルが言っていたが、裏庭を歩くくらいしか運動したことのないウエンディにはかなり難しい。上半身がゆらゆら揺れてちょっとった。


「おえっぷ」


 なので、早々にお終しまいにされてしまう。

 まあ今日だけではない、まだまだ時間はある。残りは明日からゆっくりとだ。



 そう思ったが、翌日のウエンディは、ベッドから起きられなかった。

 それを伝え聞いたのだろう、こわばった顔のシリルが、こちらはまだ寝間着だというのに、ずかずかとしんしつに入ってくる。


「君の希望だったのだ、だから馬も、人も調整した! それが一日できたというのか!」


 ウエンディは、寝たまま答えた。


「大きな声を出さないでくださぁい。あと、女の部屋にノックもせずに入って来ないでください。それに飽きてなんかいませぇん、誰が言ったんですかそんなこと」

「昨日の今日で来ないとのれんらくだ、飽きた以外にありえないだろう!」

「なんだ。勝手な思い込みじゃないですかぁ。そんなことでよくれますね」

「思い込みだって? だったら正当な理由があるんだろうな」

「当たり前でしょう。見て分かりませんかぁ」

「分かるか!」

「筋肉痛ですよ、見た目は元気なのに起きられないんですからぁ。考えたら分かるでしょう」


 急激に勢いを失ったシリルは、筋肉痛、と小声で呟いた。聞いたことがあるようなないような、というレベルの反応だった。王妃と第三王子以外は皆筋肉で出来ていたような国だから、そんなこともあるだろう。

 双方だまり込んだところで、ドアのすきから、

「あのぅ」

と声がした。


「どうしたのオリーブ」

「裏庭の運動のお時間ですので、騎士様がお迎えにいらっしゃいました。帰ってもらってもよろしいでしょうか」

「いえ、入ってもらって」

「筋肉痛なんじゃないのか、君は」

「日に当たらないと駄目よ。おんぶしてもらうから平気でぇす」

「駄目に決まってるだろう! 馬鹿か君は!」 

「なんで?」

「寝間着で? 王子妃となる者が? 騎士におんぶ? ありえない」


 ありえないらしい。


「もちろん着替えますよ。そうですよね、姫様?」

「そうよオリーブ、それだわ、当たり前よ、だったらいいわよねぇ?」


 無言になったシリルを追い出し、オリーブに手伝ってもらって着替えをした。膝ががくがくする。太ももとふくらはぎが痛すぎて、体を支えられないのだ。

 よたよたと寝室から出ると、とっさのようにシリルが手を取ってくれた。故郷も含めて、レディファーストの文化けんなのだろうが、当然、忘れられた王女であるウエンディには、しんせんな対応だ。


「なんだそれは……本当にただの筋肉痛か?」

「どこに出しても恥ずかしくないくらい、筋肉痛ですぅ。大体、こっちはろくに運動もしない十五年だったんですぅ、むしろ歩けていることを褒ほめてほしいですね。騎士様ぁ、おんぶして裏庭へ連れていってください。どうせ動けませんから、その辺に放り出して、三十分たったら迎えに来てくれていいですぅ」


 よたよたというより、もはやよぼよぼとした足取りでお願いする。騎士は、シリルを見た。そのシリルは、呆れたように首を振る。


「だから、ありえないって言っているだろう」


 その言葉と共に、ウエンディの体がふわりと持ち上がる。

 おんぶどころか、これは。


「すごい、これがお姫様抱っこね。初めてだわ、こんなふうなんだ」


 前世でもされたことはない。乗馬といい、転生も意外と悪くないとさえ思う。

 そのまま裏庭に運ばれたが、さすがに放置してはくれなかった。シリルはいそがしいのか立ち去ったが、騎士は少し離れたところでおうちしている。

 筋肉痛で、今日は歩き回れない。オリーブが敷いたやわらかなシートに座り、クッションを当てられ、もれでななたぼっこをする。

 手足の筋肉はとんでもなく痛い。

 けれど気分は悪くなかった。

 なんとなくそれは、自分の体と世界との境目を感じさせる。今ここに自分があることを、痛みだけが教えてくれる気がした。

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