第三幕⑦


「それで? どうなさるおつもりですかぁ?」 

「国としてのさくを君に伝える必要はないだろう」


 思わず言った。


「いやいや、あるでしょう。そもそもないと思うならなぜ、そんなことをわざわざ伝えに来たのですかぁ?」


 シリル王子は、いったん口を開け、閉じてから、また開けた。


「……君の立場を分からせるためだ」

「そうでしょう? ですから、これからどうするのかもお聞かせいただくべきでしょう? 私がこれからどうなるのか、そういうお話でしょう?」


 しばらく考えた彼は、ゆっくりと話し出した。

 無視されるかもしれないと思っていたので、意外だ。この王子、冷たく見えるのは外見だけで、内面は案外、色々と考えているのかもしれない。一番苦労するパターンのやつだ。


「レヴァーゼはこちらの要求に応えなかったものとみなされる。つまり、友好的な関係を拒否した、ということだ」

「ふんふん」

「我々はそれを、連合国全体に周知する」

「なるほどなるほど」


 もはや扇で顔全体を隠さなければならなかった。

 連合国、ひいてはこの地方国の勢いは、止まらない。アウリラに来た当初感じたように、やはりじわじわと領土の拡大を目指すのだ。だとすれば、ここから国をひとつはさんだだけのレヴァーゼは、恰好のしんりゃく地ということになる。

 連合国に周知する、というのは、もはやアウリラだけの対応策をやめ、連合国全体の問題として対応していく、ということ。

 まずは、経済制裁だろう。レヴァーゼは平地が少なく、国全体がとりでとしての強さを誇るけれど、その分、食糧自給率は低い。食品の輸入を断られれば、かなりのげきを受けるだろう。

 加えて、鉱山からのはっくつも先細りで、輸出に関してはもともと、別の外貨かくとくかいたくしなければならない時期だった。

 連合国内だけにとどまらず、その他の国にレヴァーゼの立場がわたれば、大国におもねって取り引きの量を減らしてくることが考えられる。


「言っている意味が分かっているのか?」


 眉をひそめるシリルに、ようやく扇を外して、ぼんやり微笑んでみせた。


「いいえ、ちっとも」

「だろうな……」

「あの国が、この後、やっぱりどうぞってダリア姉様を送ってきたら、どうしますぅ?」

「ありえそうもないが、もちろん、突き返す。すでに二度のチャンスをったのだ、三度目はない」

「では、結局私はどうなるのぉ?」


 答えは期待していなかったが、シリルはにこりともしない顔のまま、

「少なくとも、なんらかの決着がつくまではこのままだ」

 と言った。

 だとすれば……。


「二年はかかるでしょうねえ、ならばやっぱり、何か暇つぶしをいただけませぇん?」


 そう言ってみると、シリルはまた何やら考え込んだ。

 そして、かべぎわをちらりと見た。そこには、祖国の自室から持って来た本がずらりと並んでいる。あれは飾りか、とでも思っているのだろう。

 もう全部何回も読んだんですよ、とはもちろん言えないので、気づかないふりでにこにこしておく。


「……考えておこう」


 めんどうだろうに、さっさときゃっすることなく検討しようとするなど、やはりろうしょうの気配がある。前世の、人事課の課長を思い出してしまう。数字に表れないものを検討することほど、大変なことはないのよね。




 一週間後、シリルがまた訪れ、道具を与えてきた。


「刺繍.……刺繍かぁ……オリーブ、あなた出来る?」


 ぶんぶんと首を横に振られた。それはそうだろう。上級貴族と職業婦人のたしなみ、それが刺繍だ。メイドだった彼女とはえんどおい。

 当然、ウエンディにもそのような手ほどきはなかったし、前世でも手芸のしゅはなかった。


「刺繍が出来ない、と?」

「出来ませんねぇ」

「……よくも恥はずかしげもなく……詩の暗唱などは」

「趣味で? えっ、趣味で? 何が楽しいんですかぁ、それ」  


 ますます冷ややかな目つきだが、何度もため息をつきつつ、他の時間つぶしを考えようとしているようだ。


「馬は」

「えっ」

「馬は乗れるのか」

「乗れるわけないわ、でも乗りたいと思ってました!」


 思いがけない提案に、声がひっくり返った。

 最長二年の暇つぶしに、まさかの乗馬。『雪乃』の時にも経験できなかったことだが、実はずっと乗ってみたいと思っていた。

 前世ではねこを飼っていて、動物園の年パスを持っていたし、ウエンディになってからも、どうやら動物が好きなんじゃないかと思っていた。

 こちらでは生まれてこの方、いっさい生き物にさわっていない。旅の道中、馬車を引く馬にはきょうしんしんだったが、当然、近寄らせてはもらえなかった。


「では、君が祖国から連れてきた馬を調教しておく。準備ができだいもろもろの手配をしよう」

「どこで乗れるんです? 外ですよねぇ? 外に出てもいいんですか?」  

「ああ、こちらのかん……護衛がつくところで、決まった時間ということになるが、前々からそういう話はあった。さすがに部屋に閉じ込めっぱなしは、人道的ではない」


 花嫁として強制的に人質をとっておいて、人道的とは笑わせるが、もちろん口を閉じて黙っておく。


「馬は楽しみか?」

「とぉっても」

「では、その代わりに、これを読め」


 かたわらにいたシリル付きの騎士が、彼に何かを手渡した。そうしてウエンディの手元に回ってきたのは、児童書のようなものだった。小学校の中学年くらいが読むような、と言えばいいだろうか。


「なんでぇ?」

「お前の部屋の本はどれも手ずれして読み込まれてある。ならば、次はそのくらいの本を読んでみるべきだ」

「……え、ええー、私こんなの読めなぁい」


 いまさら児童書など面倒で、わいく言ってみた。

 少し、間延びした声が出しづらかったのは、まさか彼が、ほんだなの本を飾りではないとくとは思ってもみなかったからだ。

 呪われた王女の本棚を、先入観なしで観察したというのだろうか。


「ならば乗馬もなしだ」


 我に返る。やるじゃないか、とウエンディは腹を立てつつ思う。

 レヴァーゼの教育係が、無理矢理ペンをにぎらせようとしてきたのとは違い、あめむちを心得ている。


「分かりましたぁ……。じゃあ、お馬の準備、お早いお知らせを待ってますね。それと、そのお知らせは別に王子様じゃなくてもいいですからねぇ」

「……つまり?」

「あなた、第二王子でしょう? えらい人なのに、わざわざどうでもいいお知らせに走ってこなくてもいいと思いますぅ」


 こんな遠くまでね、と、自室のたいぐうに込める皮肉は口には出さない。

 シリルは表情の読めない顔で、いいや、と言った。


が花嫁への伝言は、誰にたのめるものでもない」


 花嫁、と言われ、ウエンディは目を丸くした。


「どうせけっこんしないじゃないですかぁ」

「馬鹿を言うな、お前は我が国が要求し、そうしてやってきた花嫁だ。今更結婚しないなどということになれば、それは国際的にも道理の通らない話になってしまう」


 なるほど、対外的にはそうだろう。

 ましてや今は、こうしたたぐいの交渉が多方面で行われている。もしたとえ地方の一国でも、迎えた花嫁をほうちくしたとなれば、相手国のけいかいが高まり、信用度が低くなる。

 もちろん、レヴァーゼの行く末が決まるまで、の話だ。だとしたら、おおよそ二年の間、この王子はただただ王子妃候補のいる状態で時間をろうし、他の候補も探せず、関係が解消されるのを待つしかない。

 その間に、シリルにふさわしい立場のれいじょうはどんどん相手を決めてしまうだろう。


「最初からダリア姉様が来ていればねぇ」


 ウエンディの口からこぼれたのは、そんな本音だった。そうすれば、面倒な制裁を計画せずとも良かったし、ウエンディも満足だったし、シリルもゆうしゅうな妻を迎えられて、ばんうまくおさまった。


「シリル様も大変ですね、呪われた子を嫁にしなさいって、王様に言われたんですか? 可愛がられてないんですかぁ?」

「可愛い可愛くないの話ではない。丁度見合うのが私しかいなかっただけだ。父にも母にも兄にも、泣いて謝罪された!」


 なんだ、ただの仲良し家族か。同情して損をした。


「お馬、お願いしますねぇ」


 ウエンディの念しに、彼はまた、せいだいなため息を返した。

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