第三幕⑨



 ただまあ冷静に考えると、ずっとこれではまずいだろう。ウエンディは、翌日から、自室と裏庭でストレッチを中心に体力づくりを始めた。

 前世では、職場の女性達にしょくはつされて、ジムに通っていたから、基本の動きは分かる。ヨガとラジオ体操で筋肉痛が起こらなくなるまで、乗馬はお預けだ。

 その間、乗れはしないが、忘れられないようにとこまめにエフォーナに会いに行っていた。

 動物と仲良くなるには、食べ物だ。そう信じているウエンディは、お茶の時間に出て来る角砂糖をこっそりため込んでは、たびたび手のひらからエフォーナに与えた。

 そのうち、エフォーナはウエンディが姿を見せるたびに、手のひらをもぞもぞとその口でさぐるようになった。


「ふふふ、すっかり私のとりこねぇ、エフォーナ」

けされたのちがいでは」

「オリーブったらぁ。同じことじゃなぁい」

「違うと思いますが……」


 無心にウエンディに顔をり寄せるエフォーナは、づやも良く、暴れる様子もない。よく面倒を見てもらっているのだろう。


「騎士様ぁ、だいを調達してきてくださらなぁい?」

「何をなさるのです?」

「可愛くしてあげるのぉ」


 白馬のたてがみは、長くサラサラだ。それをきっちりみ込んで、ぎわに花を飾った。

 馬にも正装がある。晴れのたいでは、こんなふうにおしゃをするのだと、前世のテレビで見た。

 たてがみをいじっている間、エフォーナは大人しく待っている。ウエンディが、この国の誰よりも早くしんらい関係を築いたのは、エフォーナだったというわけだ。


 そうやって、ある程度動き回っても筋肉痛が起こらなくなるまで、一カ月かかった。

 ようやく少しずつ乗馬を始め、同時に、裏庭での運動にボクササイズを開始する。運動強度がけた違いなのと、そもそも使う筋肉が違うため、また筋肉痛になった。

 最初十分も動けなかったのが、三十分続けられるようになった頃、すでにアウリラに来てから半年が過ぎていた。


 ウエンディは、いつの間にか十六歳になっていた。

 乗馬には、いつもシリルがった。そればかりか、ちゅうから、裏庭の運動にも時折顔を出すようになっている。

 ボクササイズの動きに顔をしかめつつ、大きな姿見を要求すると、裏庭に置いてくれた。ヨガのポーズにさらに顔をしかめつつ、ヨガマットを要求すると、似たようなものを用意してくれた。


「その格好は……?」

「これですかぁ? これはぁ、戦士のポーズですぅ」

「それは……?」

「これはぁ、せんとうをやめた戦士のポーズ」

「そう、か……」


 なんだかんだ、いいやつだ。だからお返しに、そうやって一緒に過ごしている時間を使って、レヴァーゼの情報を少しずつ与えた。


「ローワンはね、あ、ローワンっていうのは宰相なんですけどぉ、すっごく口うるさいの。二言目には、我が国はぁ、我が国のぉ、って、ほーんと、国のことしか考えてないの」

「忠臣ではないか」

「ええー? でも陛下のお言葉には、はいはいしか言わないわよぉ?」

「それはいかんな」

「あーなんかお腹いちゃったわぁ、レヴァーゼで食べたあれがあったらいいのに。あの、赤い果物よ。とても甘いの」

「なんという果物だ?」

「知らない。果物の名前なんてぇ、あなたは知っているの?」

「大体はな」


 世間話に織り交ぜて、じゅうちん達の名前や、役職、意思決定の流れ、それから、王子や王女を含めた王宮内の人間関係に至るまで垂れ流した。

 反対に、シリルの方から色々と話しかけてくることもある。ただそれは、ウエンディのような世間話ではなく、質疑応答ともいえる内容だ。


「馬と牛、アウリラではどっちが多い?」

「牛ぃ」

「馬車に乗っていたら、知らない声でドアを開けてほしいと言われました、どうする?」

かぎをかけて口を閉じるぅ」


 一問一答形式のこれは、要するに、ウエンディがシリルの手渡す本をきちんと読んでいるかどうかのテストなのだ。

 信じられない。この人は、ちゃんと読んでいないと判断したら、本気で乗馬を取り上げるつもりなのだ

 何度でも言う。信じられない。


「……これはぁ、この国の教育方法なのぉ?」

「何がだ」

「だから、こうやっていちいち試験みたいに質問することですよぉ! 私、仮にもあなたのお嫁さん候補なのよぉ? こんな話題しかないなんて、おかしいわぁ」 


 いつエフォーナから遠ざけられるかせんせんきょうきょうとする毎日につかれ、そう抗議してみたこともある。

 しかしシリルは、かすかに微笑んだ。


「その意識があるとは思わなかった。一応、嫁ぐつもりはあるんだな」

「なっ……」


 いやではなく、本気で言っているらしい。口元がゆるんでいるのは、なんのつもりだろう。


「あ、当たり前ですぅ。私、王女なんですよぉ?」


 すると彼は、側近からまた一冊の本を受け取り、ウエンディに手渡した。


「ならば王女よ、次はこの本だ。今までより少しだけ難しい。どうだ、読めるか?」

「当たり前ですぅ!」


 そうやってまんまと乗せられ、ウエンディはまた、使うことのなさそうなアウリラの知識を詰め込むのだ。


「それを読み終わったら、次は物語にしよう。君は何が好きだ?」

「物語?」


 この世界にも、そういう本があるのか。ウエンディはじゅんすいに疑問に思ったのだが、シリルは少し、ばつの悪そうな顔をした。


「ああ。自分が何を好きかも、君は知らないか。では……」


 しんけんに考え込み、やがて、うんとうなずく。


「きっと君は、ぼうけんの物語が好きだろう。そんな気がする。私が幼い頃に呼んでいた本を、ひっぱり出しておこう」


 ウエンディはその提案に、ただ、頷いた。

 少しだけ想像した。

 この人が読んだ本を、一からずっとたどって、同じ物語を共有したら、私達は同じ人間になれるだろうか。

 なれやしない。分かっている。でもそれは、その前にウエンディが死ぬからだ。

 もしも生きて、一生をかけて同じ本を読めば、シリルの考えや気持ちが分かるようになるかもしれない。

 その日が来ないことが、少しだけ残念だ。

 ウエンディがごく当たり前に育てられ、ごく当たり前に嫁いできたなら、この人と結婚する未来もあったのだろう。

 でも、その日は来ない。

 ウエンディが呪われた子になってしまった以上、レヴァーゼはいずれ敵国となる。自分はその国の王女だ。この国にウエンディの居場所はなくなるのだ。

 シリルが後に持ってきてくれた冒険物語は、とても面白かった。

 その本についての質疑応答はなく、ウエンディは短く感想を伝え、シリルはまた少し口元を緩め、私と同じだ、と言った。



 そうやって過ごしていたある日、シリルに少しげんそうに言われた。


「視察に行く。君も同行するようにと、王の命だ」

「お城の外に出ていいのぉ?」

「ああ。城の人間は今は手が空かない。この訪問が重要なものだと印象付けるため、王家側の人間として人数を増やす意味合いがある」


 ウエンディは、その不可思議な理由を、なんとなく嘘だと感じた。なぜなら、シリルが真まっ直すぐこちらの目を見ていない。他に目的があるのだろう。

 大体、ウエンディは王家の人間ではなく、ただの他国の王女で、ただの王子妃候補だ。


「遠いの?」

「馬車で三日ほどだ」

「わあ。いいわね、旅は好きよ?」

「そうか。特に君が何かしなければならないことはないから、楽しむがいい。困ったことがあれば、余計なことは言わず、黙って笑っていればいい」


 シリルの言葉ははからずも、レヴァーゼ王が手紙に書いてした言葉と同じだった。 けれど、その時のシリルは、今度こそウエンディの目を真っ直ぐに見つめていた。

 同じ言葉なのに、ウエンディには全く違う意味に聞こえた。


「ええ、いいわ、得意だわぁ、それ」


 ウエンディもまた、扇で隠すことなく、彼に向かって微笑んだ。

 この人と、この人を育てた人達の元でならば、例え侵略されたとしても、レヴァーゼの国民はそうひどい扱いを受けることはないだろう。そんな気がした。

 

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