第二幕②


 このころには、乳母がかえし口にした『がレヴァーゼ王国』という地名や、どこにもルーツが似ていない言語について、ある予想をしていた。聞いたこともない国、聞いたこともない言語。


「雪乃だった頃の世界とは、違う世界……? まさかね」


 こうとうけいすぎて否定はしてみたものの、自分がおそらく転生していることを考えれば、そうおかしな話ではないような気もする。

 五歳を過ぎた頃、一人になった時を見計らって、部屋の外に出てみた。そして、ろうで立ち話をしているメイドの会話をこっそり聞いた。


「昼前に、国王陛下がいらしたんですって?」

「そうみたい。五年ぶりかしら、もう二つの宮の侍女達がおおさわぎだったって」

「お渡りがなくなってそんなになるのね。ダリア王女殿下の熱がようやく下がったから、おいだったって聞いたわ」

「ええ、元気になったことをお喜びになって、めずらしい果物をくださったみたい」


 じゃあ仕事にもどりましょう、と手を振り合ったメイドがこちらに来たので、あわてて自室に戻る。

 そして考えた。

 国王、宮、王女という言葉。そして自分には乳母がつき、貴族のような生活をしている。


 そう、ウエンディは貴族のようだが貴族ではない。

 王女だ。


 となればもう、決定的におかしい。こんなに放置されているのは、普通ではない。

 ただ、他にも子どもがいるようだ。母も乳母もいないことで、手配がおくれているのだろうか。

 それから、乳母に言われたことを思い出し裏庭でひとり運動をしたり、あちこちに足を伸ばしたりするようになった。朝の着替えと、朝と夜の食事、夜の沐浴と着替え、この四回だけは、決まった時間にメイドがやって来たので、その時間さえ外せば出入りは自由だった。

 この決まった顔のメイド以外、誰もウエンディがどこで何をしているか、気にすることはなかったので。

 だいに、王女といっても側妃の子であるという自分の立場が明らかになり、その上、決定的な確信が生まれた。


 ウエンディは、忘れ去られた王女だ。


 城内の誰も、ウエンディのことを何ひとつ気にかけていない。

 これらの自覚が出来てきた頃、ウエンディには二つのせんたくがあった。

 ひとつは、自分の存在を知らせ、きちんと王女としてあつかってもらうことだ。これはまっとうな流れだと思う。

 けれど、ウエンディはもうひとつの人生を選んだ。


 このまま忘れられることだ。


 今のウエンディには、『雪乃』の記憶と知識がある。一人ぼっちの生活を、かつての経験をかして乗り越えてきた。

 けれどもし、『雪乃』がかくせいしないままだったら?

 父には忘れられ、母は去り、唯一優しくしてくれた乳母すら去った。乳母には実子がいて、その子を優先して愛していたことは明白で、しょせんは他人なのだった。

 あとはもう、王の渡りもなく側妃自身も去ったこの宮に、誰が足を踏み入れるというのか。

 ウエンディを唯一として愛する者はいない。食べて、寝ねる、ただそれだけの五年。もしもただの幼い子が、そんなふうに人生を過ごしたら、一体、自らの存在を誰かに知らせたりするだろうか。

 言葉どころか、意思のつうあやしいのに?

 いいや。一人められ生きてきた子どもは、その手でドアを開けることすら知らない。

 今のウエンディにとって選択肢は二つだが、本来はたったひとつ、忘れ去られたままでいるしかなかったはずなのだ。


 それに、もし仮に、今名乗りをあげればどうなるだろう。多分、今度はごく普通に幼い王女として教育が始まり、何事もなかったかのように国の一部に組み込まれていくに違いない。

 そうなった後も、きっと誰もあやまらない。

 アイデンティティすら曖昧な『ウエンディ』という小さな女の子が、それでもいつも心に持っていたのは、寂しいという気持ちだった。言葉にもならず、形もはっきりとしないその感情は確かに、『雪乃』の知っている寂しさと同じだった。

 客観的に見て、このような王家のために生きなければならないことは、あわれ以外の感想を持たない。


 さらに、ウエンディは、自分がこのような扱いを受けている理由を知ったのだ。

 生まれてから五歳までちょうあいをほしいままにしたダリア王女と、最も望まれて生まれてきたおうの子であるローレンス第四王子の、ほんのすきに誕生した王女。

 ウエンディという子は、十人いる王家の子の中で、唯一忘れられた子であった。


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