第一幕⑤


 ◇ ◇ ◇



 猶予ゆうよは半年間と、短かった。

 そして、端的たんてきに言えば、教育は失敗した。


 ウエンディは、派遣はけんされた家庭教師をにこにこと出迎え――それだけだった。座学では本を手に取ることもなく、ダンスやマナーではただ微笑み座っていた。

 教師達は、言葉による知識伝達と共に、出来得る限りの手で彼女に実践じっせんを積ませようとしたが、それは叶わなかった。


「どうぞ続けて?」


 ウエンディは微笑みながらそう言った。

 カトラリーの持ち方は、とやってみせ、では王女殿下も、と促すのだが、彼女は手を動かさない。

 ダンスのステップは、とやってみせ、では王女殿下も、と促すのだが、彼女は足を動かさない。


「どうぞ続けて?」


 教師達に出来ることは、必要な知識を詰め込むために、ひたすら解説を続けるだけだ。覚え書きのひとつもとらない彼女に、それら知識がしみ込む様子がなくとも、やるしかない。

 宰相ローワンにとっては、今更いまさらなんなのよ、というのが、推測できる彼女の心中だ。

 個人としては、理解できた。もしもウエンディが自分の娘だったら、と考えただけで、胸がふさがれる思いだ。

 誰にかえりみられることもなく、愛どころか、存在が無であることなど、許されるべきではない。

 それが、よめに出さねばならないから早急さっきゅうに教育を受けよ、とは、勝手もはなはだしい。知ったことではない、と、自分ならば言うだろう。


 しかし、宰相としては頭をかかえる事態である。

 一カ月ごとに王が進捗しんちょくを確認し、三カ月目には直々にウエンディにお叱りがあった。

 それが他の誰かであれば、震え上がって即座に命じられた仕事を進めるのだが、ウエンディには、そんな説教は無意味だった。当然だ。王のなんたるかを彼女は知らないし、逆らってふりかかる不利益についても、無頓着むとんちゃくだ。

 もちろん、庶民しょみんに比べれば格段に良い衣食住を与えられていただろうが、庶民の生活そのものを知らないから、それを取り上げられることへの恐れもない。

 それに、彼女には、王が父親だという意識すらないだろう。

 当の王すら、彼女を娘だと思っているのかどうか。お互いが突然現れた関係は、結びつきのひとつもなく、だから叱られたところで心が動くこともない。


 何よりウエンディは、今や外交の最大の切り札なのだ。教師も、文官達も、宰相や王でさえ、厳しい言葉を投げかけつつも、それ以上のばつを与えることなど出来るはずもない。中途半端な指導は、彼女を無理矢理動かすことは出来ないのだった。

 ウエンディはそのような詳細しょうさいは知らないだろうし、理解もしていないだろう。

 彼女に分かるのは、今まで放置していたというのに、今度はよってたかって淑女に仕立て上げ、他国へ嫁がせようとしていることだけ。それで十分だ。


「分かりました、国王陛下」


 ウエンディは王の苦言にそう答え、けれど、行動を変えはしなかった。ずっと、ただ、微笑んで、そしてただ、それだけで。




「王よ……いかがしましょう」


 残り一カ月となったところで、ローワンは最終判断をあおいだ。

 この五カ月で、彼の心中にも少し変化があった。ウエンディ王女殿下は、もしや、怒りのせいで教育を拒否きょひしているわけではないのではないか、と。


 ――王女は学ばないのではなく、学べないのではないか。


 よく考えれば、彼女は三歳の子どもと同じだ。三歳の子に、文字を覚え詩をつづり、ステップを覚え優雅ゆうがに踊れと誰が言うだろう。出来もしない要求は、する方が悪いのだ。

 結局、ダリア王女を送ることになるのだろう。そう思った。

 だが、王が下した決断は、ローワンの想定を超えたところにあった。


「決定はくつがえらぬ。ウエンディを送る」

「しかし……! しかし、王よ、どうも……私には、あの方が国と国とをとりもつとは思えません」


 言葉を選びつつ、ずっと考えていた懸念けねんを伝える。王女はどうにもなりません、とはとても言えるわけがなかった。

 王は、何かを決心したような顔で答えた。


「よいか、よく聞け。あれは……あれは、病弱であった。だから、後宮の奥深くで、大切に育てた。体の弱さから、教育もままならなかったが、近年、特効薬により健康を取り戻した。大事に大事に育てた、我が掌中しょうちゅうたまであるが、友好のあかしとして嫁がせる」


 宰相と側近達は、しばらく意味がみ込めなかった。だが、じわじわと理解する。

 この、王であり、父である男は、ウエンディの人生さえ奪おうとしているのだと。生きてきた時間を消し去り、にせの人生を与え、り替えようというのだ。

 ローワンは心底恐ろしかった。

 王の冷徹れいてつさが、ではない。同じ娘でありながら、片方への愛は、片方への無関心にまさるのだという、人の心のやみのようなものが恐ろしいと思った。

 そしてほんの少し、別の恐れも混じる。こんなことをして、いいわけがない。一人の人間の人生を踏みつけにして、その上に成り立つ国が、果たして幸福な未来を歩めるだろうか。


「王よ……アウリラの要求は、有能な王女ということでございます」

「外交に有能な、だろう。決して言語やマナーにすぐれているという意味ではない。ウエンディが外交にはげめば良いのだ、そうだろう?」

「……それで納得するでしょうか」

「どうせ小国からの要求だ、連合国をかさに着て強気に出ているが、国力はこちらが上だろう。むやみにいくさをしかけてくるとは思えん、抗議されたらこちらも抗議し返せ。レヴァーゼで最も愛された王女には、その価値があると言い張ればいい」


 王の言うことも一理ある、とローワンは思った。今まで名を聞いたこともない国から、歴史あるレヴァーゼへの尊大な要求に呑み込めないものを感じていたのは、自分も同じだ。だから、ローワンの答えは決まっていた。


王への返答は、諾以外ありえない。

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