第一幕④


 沈黙ちんもく

 沈黙、また、沈黙。

 誰が何を言うべきか、譲ゆずり合うような時間があったが、言葉を継いだのは当のウエンディだった。

 それも、王女にあるべき微笑ほほえみすらない、表情のない顔で。


「ちなみに、何も習っていません。マナーも、ええと……他に何を勉強するのか分かりませんが、とにかく、何ひとつ、です。だって、教えてくれる人がいませんから」


 彼女は、テーブルを囲む面々をゆっくりと見回した。


「私は正しい食事の仕方も知らないし、正しい言葉遣いも知らないし、ましてや王族としての慣習や振る舞いも何もかも知りません。だから、他国に嫁ぐなんて、とんでもないことだと思いますよ?」


 ローワンの心臓が、まるで止まる寸前のようにどくりと大きく動いた。冷や汗がどっと流れてくる。

 そんな御方もおられたな――ウエンディの名を聞いた時の自分の感想が、改めて思い出される。

 思えばその時、他の誰もが、同じような表情を浮かべていなかったか?

 この王女の母親は誰だったか。そう、すでに降った公爵こうしゃく家 の長女、セシリア様だ。

 では乳母は。

 誰だったか。

 誰だ。


「せ……専属侍女は、本日お連れでいらっしゃいますかな」


 事情を聞きたい。ドアの外にひかえているだろう侍女を呼ぼうと合図をしかけたが、首を傾げるウエンディを見て、ローワンは体が動かなくなった。


「専属侍女?」


 彼女は、まるで初めて聞いた言葉のように、そう言ったのだ。

 何が起こっているのだろう。

 どうすべきか、何をすべきか、何を言うべきか、どう先へ進めるべきか、ローワンの頭が真っ白になる。こんなことは、彼が宰相になってから初めてのことだ。

 思わず皆が王を見る。これ以上は自分の範疇はんちゅうではない、王がこの場をどうにかしてくれないだろうか。そう願ってすがるように見た王の顔は、青ざめていた。

 ローワンの仕事は、なんとかこの場をおさめることだった。


「お……恐れ入ります、ウエンディ王女殿下。ひとまずはこちらで確認をいたしたいことがいくつかございますゆえ、ご退室いただいて結構でございます。本日のご予定は……この後、出来れば自室で待機いただきたいのですが」

「ええ、いいわよ。私は、自分の部屋から出ませんから。もしかして出ても良かったの?」


 その言葉に、再び全員が言葉をなくした。

 出て行く際にちらりと見えたのは、ウエンディを迎えるメイドの姿だった。下級メイドが、一人。


「メイド長と、侍女頭をここへ。財務官、王女に関する出納すいとう帳を記録庫から可能な限り持ってこい」


 ばたばたとした時間があり、やがて、さまざまな証言と記録を確認して分かったことは、ウエンディの言葉は全て事実であるということだ。

 彼女はなんの教育も受けず、どこにも出されず、誰にも気にかけられず十五年を生きてきた。

 判でしたように、年に十着の肌着と二着の寝間着、五着のデイドレス、年に一個の誕生石がルーティンとして届けられていた。

 食事はメイドが運び、三日に一度、フランス窓から裏庭に出てはひたすらぐるぐると歩き回る。

 ちなみにこれは、乳母であった子爵家の娘が、三歳だったウエンディにそう助言したものらしい。

 その直後、乳母は退職した。

 以降、ウエンディは誰のおとずれもなく、誰と触れ合うこともなく、今まで過ごしてきた。


「なななななぜ、こんなことに!」


 不運、としか言いようがない。

 記録を辿たどれば、ウエンディが生まれた一週間後に王妃の懐妊が分かり、王と国民が待望した子の誕生だと皆が浮かれさわいだ時期だった。


「言ってくだされば……!」


 誰かが責任を転嫁てんかするようにそう言いかけたが、言葉尻は自然と消えていった。それはそうだろう。誰がウエンディを責められるというのか。

 乳母はおらず、侍女もおらず、メイドが一人食事を運んで着替えさせ、そうすると、『普通ふつう』を教える者は誰もいない。

 普通は、侍女がつき、普通は教育がほどこされ、普通は兄弟姉妹と交流を持ち、普通は親子でいつくしみ合う。誕生日を祝い、素敵な贈り物ものをして、時にしかられて、世界を知っていく。

 その『普通』は何ひとつ、初めから、ウエンディには与えられなかった。


「陛下……」


 じっと黙りこくっていた王は、宰相にうながされ、決断した。


「ウエンディにあらゆる教育を施せ。半年で最低限の淑女しゅくじょにしろ」


 王の命令である。ついさきほど、その返事がだく以外にないと考えていたのはローワンだ。

 しかし、ここは叱責しっせき覚悟で進言しなければならない。宰相としてなすべきことはなす、それが代々この職に就いてきたスティール家の教えだった。


「恐れながら陛下……おそらく王女様は字も読めぬものと思われます。今から教師をつけたとて、半年では……」

「ではどうしろというのだ」

「ダリア王女殿下がおられます」


 王の顔に一瞬、いかりの表情がよぎった。


 その反応は、予想されたことではあった。

 ウエンディが生まれる前、五年間は誰の懐妊もなかった。当時の末娘として生まれたダリアは、母親である側妃の美貌をあますところなく受け継ぎ、それはそれは可愛らしい子どもだった。王は、遅く生まれた彼女を、まさに目に入れても痛くないほど可愛がっていたのだ。

 それに、ダリア王女誕生の直前には、王子が一人、流行はやり病で亡くなっている。子が死んでしまうという経験をした親である王は、まるでその悲しみをいやそうとするように、ダリア王女を慈しんだ。

 そうやって、親兄弟の愛情を一身に受け、美しくかしこく育った王女は、その知性とやわらかな笑みを武器に、外国との交流を積極的に進めている。さまざまな輸入品がもたらされ、特産品の輸出で外貨を得られたのは、ダリアの尽力じんりょくによるところが大きい。

 つまりダリアは、王が最も可愛がっていた娘だ。生まれた時から五歳になるまで、すなわち王妃の懐妊が判明するまで最愛であったことは、誰しもが知っている。

 今回の婚姻は、政略中の政略だ。中立だが、いつ敵になるとも知れない国へ、単身で行かせることに不安がないわけがない。

 当然、向こうも人質ひとじちを預かるようなつもりでいるだろう。愛のある結婚など、子どもの見る夢のようなものだ。


「……二度は言わぬ。いいな」


 ほんのわずかながら、迷いがあったことが救いだった。それだけで、ローワンはそれ以上を言うことなく、王の命令に従うのだった。

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