第2話:賢者様の到着

 白い光の中から徐々に意識が戻ってきた。淳は重い瞼を開けた。


 天井から差し込む光の筋。石造りの壁に掲げられた見知らぬ紋章の旗。床には複雑な図形が描かれ、かすかに青白く光を放っていた。周囲には色とりどりの豪華な衣装の人々が集まり、彼を見下ろしていた。


「ここは……どこ?」


 疑問が浮かんだが、声は出なかった。


 立ち上がろうとしたが、体が言うことを聞かない。白い髭を蓄えた老人が一歩前に出て、深々と頭を下げた。


「偉大なる賢者様、我らの呼びかけにお応えくださいましたか。グランディア王国は、あなたの知恵を必要としております」


 淳は言葉を発しようとしたが、恐怖と混乱で声が出なかった。


 老人は微笑んだ。


「さすが伝説の賢者。その威厳ある沈黙こそが、あなたの力の証」


 周囲の人々が次々と敬意を込めて頭を下げる。


「な、何が起きてるんだ……? 賢者? 僕が?」


 老人が再び口を開いた。


「それでは、尊き『万語の術』を施させてください。我が国の言葉をご理解いただくため」


 老人の手が淳の頭上で複雑な動きを描いた。空中に文字のような光の粒子が現れ、淳の周りを舞い始めた。一瞬、頭の中で何かが整理されていくような感覚。


 突然、周囲の人々の会話が意味を持って聞こえてきた。


「召喚は成功したのか?」


 若い魔道士が小声で尋ねた。


「ああ、だが何か違う」


 老人が答える。


「勇者召喚のはずだったが……」


「術式に誤りがあったのでは?」


 銀髪の女性魔道士が冷たい声で言った。彼女の鋭い青い瞳は淳を不信感たっぷりに見ていた。


「マリアベル、そのような疑念は控えなさい」


 老人は彼女をたしなめた。


「いずれにせよ、尊き賢者がお越しになったのだ」


 淳はどうにか立ち上がった。周囲の人々の服装をよく見ると、中世ヨーロッパのようでもあり、どこか東洋的な要素も混ざっていた。まるでファンタジー世界のようだった。


「これは……夢?」


 儀式の間から、一行は長い廊下を通って玉座の間へと向かった。淳は初めて見る異世界の宮殿の豪華さに圧倒された。


 床には赤い絨毯が敷かれ、壁には複雑な装飾が施されていた。廊下の天井からは水晶のシャンデリアが吊り下げられ、淡い光を放っていた。


 玉座の間に入ると、正面に金と紫の豪華な玉座が見えた。そこに座る人物は、威厳に満ちた顔立ちの中年男性だった。頭には金の王冠があり、紫のローブを身にまとっていた。


「国王陛下、お待たせしました。賢者様をお連れしました」


 老人が深々と頭を下げて言った。


 国王は立ち上がり、淳に向かって頭を下げた。王が自分に頭を下げる光景に、淳は混乱を深めた。


「賢者様、よくぞ我が国に来てくださった。百年に一度の危機に瀕している我が国を、あなたの知恵でお救いいただきたい」


 淳は恐怖で言葉が出なかった。国王はさらに続けた。


「ノースガード公国との国境問題、メリディア商業連合との貿易摩擦、そして東方諸国連盟の不穏な動き……」


 説明が続く中、淳は何も言えずに固まっていた。すべてが夢のようだった。異世界。王国。賢者。現実とはかけ離れた状況に、頭が追いつかなかった。


「賢者様のご意見をぜひ伺いたい」


 国王の言葉に、玉座の間は静まり返った。すべての視線が淳に集まる。あの大学の教室で感じた恐怖が再び襲ってきた。喉が渇き、足が震え始めた。


 沈黙が続いた。しかし、意外なことに国王は満足げな表情を見せた。


「さすが賢者様、軽々しく答えを出されない。深く熟考なさっておられる」


 周囲の貴族たちも同意するようにうなずいた。淳の沈黙が「熟考」だと誤解されたのだ。


 銀髪の女性魔道士だけが、冷たい視線を向けていた。彼女の鋭い青い瞳には、明らかな疑念が浮かんでいる。


「明日改めて賢者様のご意見を伺うことにしよう」


 国王は言った。


「長旅でお疲れのことと存じます。ゆっくりとお休みください」


「マリアベル、賢者様を休息の間へご案内せよ」


 銀髪の女性魔道士が一歩前に出た。


「かしこまりました、陛下」


 彼女は淳に向き直り、冷たい声で言った。


「賢者様、こちらへどうぞ」


 彼女の不信感に満ちた視線に、淳は身震いした。玉座の間を後にする際、淳は遠くに立つ若い女性に気づいた。淡い金髪と青い瞳を持ち、気品ある美しさを漂わせていた。彼女は好奇心に満ちた目で淳を見つめていた。


 出口付近で、グレーがかった黒髪の中年男性が側近に何かを指示していた。淳が通り過ぎる際、「計画通りだ」という言葉がかすかに聞こえた。


 マリアベルに導かれ、淳は異世界での最初の日を、「賢者」という誤解の中で過ごすことになった。

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